9.崖っぷち
「何を適当なことを!」
取り巻きたちが反射的に否定してきたが、私は怯まずビビアンを見据えた。
この事実を表に出すと、これまでの苦労が水の泡になってしまう。一個人がイレイド侯爵家を敵に回して勝てるわけがない。
だが、結局それらも無意味なものとしてなかったことにされるなら話は別だ。
ビビアンのやり口を見ていると、新たに働き口を見つけても潰され露頭に迷うことが簡単に想像できた。
――本当、最低!
目の前に広がった自由が、がらがらと崩れていく。彼らにとって、人ひとりの人生がどうなろうとなんとも思わないのだろう。
私はなるべく冷静になれるよう、ふぅっと息を吐き出した。
「よく見てください。私には一切やましいことはありませんから」
黙っていても潰されるなら、すべてを曝け出してしまったほうがまだマシだ。
言い切ると、アルバーン教授がひったくるように取り上げる。
「これは……」
「私の筆跡ですよね? 私は課題を終えておりますし、それは私の専攻ではありませんので」
ちらりとビビアンを見ると、彼女は余裕のある笑みを浮かべていた。
嫌な予感がする。
アルバーン教授が確認するのを横から覗き込み、クロエはすごいわねと手を叩いた。
「あっ、それはクロエが役に立ちたいというから、残していた課題です。あら、もう終わったの? やはり優秀よね。だから、私はあなたを助けたいのよ。これであなたの有能さも理解されたから、お父様にも話が通りやすいし渡してよかったわ」
「そんなでたらめを」
もともとはビビアンの課題なのに、そんな理屈が通るのか。
まさかこんなバカバカしいいい分を信じはしないだろうと、副学園長や教授、ビビアンの取り巻きたちの反応をうかがう。
「さすがイレイド嬢ですね。育成にも力を入れていたとは」
「イレイド侯爵様もこのようなできたお嬢様を持って鼻が高いでしょうね」
だが、すぐさまステン副学園長とアルバーン教授が拍手する勢いでビビアンの肩を持った。
――うそっ。それが通るの?
そんなことが通るなら、私が何を主張し証拠を出したところで変わらない。頭を強く殴られたような衝撃を覚えた。
「はっ?」
あまりのことに取り繕うことも忘れ、短い、だけど思いのこもった低い声が出ていた。
「うわ。本性出たな。これだから可愛げのない女は好きになれない」
「全部嘘だらけのめちゃくちゃな女だな」
「どこまでも忌々しいが、ビビアン様がその能力を認めるということは確かに役に立つこともあるのだろう」
「ビビアン様のお慈悲に感謝しろ」
教授たちが完全にビビアンの主張を受け入れたため、取り巻きたちもビビアンの意味のわからない主張を受け入れた。
だが、こちらを本気で蔑んだ目で見る者と視線をわずかに逸らす者に分かれた。
本気でビビアンの主張を信じている者もいるようだが、察しながらもビビアンの主張に追随する者もいるようだ。
どちらにしろ、ビビアンの主張が通ってしまった。
結局は私の味方をしたところで何も利点がない。むしろ、リスクのほうが大きい。それに尽きるのだろう。
すべてのことがバカらしくなった。
――ここまで頑張ってきたことも無意味になるのね。
こんなぎりぎりで私に課題をさせたのは単純に嫌がらせかと思っていたが、この展開を望んでいたのだとしたら?
万が一、私が真実を晒してもすべてを丸め込むために計画していたとしたら?
どちらの言い分が正しいかなんて彼らには関係ない。ビビアンは彼らが彼女につくことはわかっていたのだ。ビビアンが白と言えば白になる。
もうほかはどうでもいいと彼らのことを無視し、私はビビアンだけを視界に捉えた。
「私は自ら人の課題をしたいと言ったこともなければ、自分の課題を人に頼んだこともありません。ビビアン様のおっしゃっていることに身に覚えがありません。ビビアン様が一番わかっておられるのじゃないですか?」
「犯した罪もわからないとは悲しい人ね」
私の言葉に憐れむような息を吐き出し、ビビアンは仕方ない人とこれ見よがしに頬に手を当てると首を傾げた。
いちいち動作も白々しくて鬱陶しい。
「私は恥じる行為はしていません。なので、ビビアン様のもとには絶対に行きません」
この先どうなろうとも、彼女にこれ以上振り回されるつもりはない。
「かわいそうなクロエ。意地を張ってもいいことはないのに」
「意地ではなく、これは私の意思です」
「そう。私にとってはどっちも一緒ね。でも、これであなたと私の違いをわかったでしょう? 身の程をわきまえなかったことがあなたの失態ね。そんなあなたを私は身捨てるつもりはないから安心して」
「頼るつもりはありませんので結構です!」
母は亡くなり、見栄ばかりの父親が事業に失敗し、借金を背負うことになったが辛うじて貴族としてのメンツを保ているのはイレイド侯爵家の支援のおかげだ。
確かに彼女の家門には恩義はあるが、これ以上のことに私は関与する気はない。私なりの家門に対する義理は通した。
「本当に頭が悪いし面倒だな。言っておくが、退学も働き先の件もただの脅しではないぞ。それをよく考えろ」
アルバーン教授が心底バカにしたような目で私を見下ろした。
「まあ、そういうことだ」
副学園長が私の肩を叩き、賢明な判断をしろよとぎゅっと指に力を入れてきた。
痛みはないが明らかに圧力だ。
卒業間近なのに、その卒業が阻まれる。
卒業できなければ、父と交わした契約が不成立になる。卒業できず働き口も失ったと知った父が、どう動くのか考えるだけでぞっとした。
伯爵家の困窮具合は変わらないため、イレイド侯爵家に売られるかもしれないし、金銭を手っ取り早く得るために私を嫁に出すかもしれない。
多額の金額を得るためには、どんな悪条件な相手でもおかまいなしに私を売るだろう。
父はごめんと謝りながら私を家に連れ戻し、侯爵家や義母の言う通りに動く。
なぜなら、そうすることが楽だから。自分が楽になるから。
そんなのはごめんだ。
しかも、そういった計算もどこかにあって、ビビアンに契約の話をした可能性だってある。
自ら進んでではなくとも、ちょっと詰められただけでぽろぽろと話していそうだ。
本当に最悪だ。
「――――――少し、考えさせてください」
とにかく今は考える時間が必要だ。
「そうか。君にとっては急なことだったな。一日だけ待ってやろう」
「一日も待ってくださるんですって。ありがたいわね。でも、早く決断しないと卒業を前に退学になってしまうから気をつけなさい。アカデミー卒業の資格を持たない者を私もそばに置くことはできないから」
副学園長とビビアンの言葉に目を見張る。
私が黙ったままでいると、ビビアンはそこでノアのほうへと視線をやった。
「それとノア。あなたが最後まで賢く立ち回ることを願っていたけれど、非常に残念だわ」
「俺のどこが賢くないって? 勝手に言ってろ」
「本当に残念な男。後悔するわよ」
「へえ。それは楽しみだ」
ノアは私の腰に手を回し、挑発するようにビビアンを見た。
最後までノアらしくて、こんな時でも変わらない態度に申し訳ないと思いながらも救われる。
だが、味方がひとりいても現状は変わらない。卒業まで三日。私は崖っぷちに立たされた。
序盤のこれからといったところで、一度ご挨拶を。
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