6.潰される夢
今すぐ振り払ってしまいたい衝動に駆られる。
だが、そのようなことをすれば、人の善意もわからぬ心ない者としてすぐさま私が悪者にされる。ここは我慢だときゅっと唇を引き結んだ。
「でも、大丈夫よ。私があなたを導いてあげる」
いやいやいやいや。絶対、嫌だ!
何を言っているのか。導くのではなく、破滅へと落とすの間違いじゃないのか。
勝手に騒ぎ立てて、勝手に決めつけて、こちらの意思などお構いなしの展開だ。舞台の真ん中に立たされているが、まるでマリオネットになったようで気持ちが悪い。
触れられて悪寒が止まらずそっと手を引こうとするが、ぎりっと爪を立てられた。
「……っ」
「ねえ、これまで私が助けてあげたでしょう? だから、大丈夫よ。素直になって」
痛みで眉をしかめると、ビビアンがさらに爪を食い込ませてきた。しかも、誰にも見えないように親指で内側に向けて爪を立てる。
よくもまあこういうことは頭が回るものだ。
尖った爪は凶器だ。何より、そのセリフが鳥肌もので寒気がする。
ビビアンの性格の悪さにドン引きしながら、手を離してもらえるように腕を引こうと試みる。
「私はいつだって素直でしたよ? ビビアン様こそどうされたのですか?」
「だから、これからも私が面倒を見てあげようと言っているの。私たち友達でしょう? 友達が困っているのだからこれくらい当然よ」
何が友達だ。下僕の間違いじゃないのか。
取り巻きたちが、「さすがビビアン嬢だ」「素晴らしい」などと感動した声を上げるが、どれもこれも茶番すぎて呆れ果てる。
そこまでするのかと見ると、ビビアンはちらりとノアを見てさらに爪を食い込ませてきた。
完全に私とノアが二人でいたことに腹を立てているようだ。
散々ほかの男性を侍らせておいてまだ欲するのは、圧倒的にノアの容姿がいいからというのもあるだろう。
強欲なビビアンらしさにある意味妙な感心さえ覚えるが、そんなくだらないことで八つ当たりされてはたまったものではない。
「結構です。私は恥じることはしていませんので」
これ以上、ビビアンに使われるつもりはない。
はっきりと断ると、ビビアンがきりきりと眉を吊り上げた。これまで従順だった私がここで反抗するとは思ってもいなかったようだ。
「立場というものがわかっていないようね」
互いの家門の関係を匂わされ、私は口を噤んだ。
ビビアンが私の手を離すと、ちらりとノアを見て一歩後ろに下がった。
ノアが放つただならぬ気配が次第に強まっていき、さすがのビビアンも居心地が悪くなったようだ。
どんな表情をしているのかと私もノアに顔を向けると、冷たい眼差しでビビアンを見ていたノアは私の視線に気づくと眉を跳ね上げた。
「助けは必要か?」
「いいえ。大丈夫」
「そうか」
なんだかんだ敏いノアのことだから、あからさまに私の味方をするとさらにビビアンが攻撃的になると気づいているはずだ。
それもあって黙ってくれているとは思うのだが、思うだけでそこまでノアという人物のことを知っているわけではない。
この状況に何かしら思うことはあるだろうが、確認してきたということは私の意思を汲んでくれるようだ。
余計な火種を撒かずに済んでよかったと安堵したが、そんなやり取りさえも気に食わないビビアンは赤い髪をさっと後ろに流し、挑発するような目で私を見た。
「ハストン伯爵は今のあなたの態度を見てどう思うかしら?」
「父ですか?」
私は約束通りこの三年間、伯爵家の者と一切連絡を取っていない。
どれだけ苦しくても助けも求めず、文句も言わずに踏ん張ってきた。父との約束を守り、ビビアンの機嫌を取ってきた。
「ええ。何度かお会いしたことがあるのよ。こんなことになるとは考えていなかったけれど、いずれ私のもとで働くことになるかもしれないと伝えたら涙を流して喜んでいたわ」
「喜ぶ?」
「ええ。娘をよろしくとおっしゃっていたわ」
あまりのことに眩暈がしそうだ。
ぷるぷると怒りで肩が震える。こんなに感情が爆発しそうになったのは初めてだ。
――あのトンチンカン!
我が父ながら心底呆れる。
私のこれまでの苦労はなんだったのか。我慢に我慢を重ねてきたのは誰のせいだと思っているのか。
アカデミー生活での苦労の大きな要因である、ビビアンにこき使われることになった元凶は父だ。
「そう、ですか」
「自慢の娘だと夫人とともに褒めてらしたわよ。よろしくと頭を下げられたわ」
人の気持ちをすべて無視して、人がいないところで勝手に話を進められていた。
情けなくて、情けなさすぎて、涙が出そうになる。これまでの苦労を一瞬にしてなかったことにされたようで悔しかった。
父は、私が自由を得るためにアカデミーに入っているのを知っている。
それなのに、あれだけ丁寧に説いてきたのに、悩んだ末に苦しくも伝えた気持ちを結局理解していなかったのか。
――やっぱりこうなるのね。
最後くらいわかってくれても、せめて邪魔はしないでほしかった。
僕と違ってすごいねと親の顔をして私を褒め、苦労をかけてごめんねと申し訳なさそうに謝るのはその時だけなのだ。
時間が経てばすぐに忘れ自分の要望を優先し、私の気持ちを蔑ろにする人だった。
私がいない三年で、私が堪えていた期間で、能天気な父は私の気持ちもすっかり忘れてしまったのだろう。
わかっていたら私の気持ちを確認もせず、他人から話を聞かされ涙を流して喜ぶはずがない。
「それでお優しいビビアン様は私のためを思ってこのようなことを?」
「そうよ。伯爵家には跡取りは別にいるし、あなたがいないほうが夫人も伸び伸びしておられるようだし。クロエもそのほうが幸せでしょ?」
遠回しにこれまでのことを揶揄したつもりだが、ビビアンは嘘くさい慈愛の笑みを浮かべ、白々しい演技を続けた。




