50.忍び寄る過去
「…………現れないわねぇ」
アリシアと二人きりになり三十分が経った。
そう都合よく物事が進むとは思ってはいなかったが、アリシアと再び一緒にいることができ、光の玉の件もいい方向に向かうのではと若干期待してしまっていたのでちょっとがっかりだ。
『気にしないで』
落ち込んでいるとアリシアが紙に字を書いて応えてくれる。
時間が経つにつれ昨日まで顔も合わせなかったとは思えないくらい距離も以前のように縮まり、たどたどしくはあるが話ができるようになった。
廊下で出会った時に少し青白かった顔色は、部屋の光の加減のせいなのかもしれないが話すことで少し血色がよくなっているように思える。
「あっ、前にもらった花冠は大事にとってあるのよ。まだ香りもするの」
そこで私はかけていた鍵も開け、花冠を取り出した。
「綺麗でしょ! あの時のままの状態なのよ」
『どうやって?』
「アイスの件で知っていると思うけど、私は保存系の魔法が得意なのよ。花畑でアリシアと出会ったことは内緒だからここに鍵をかけて大事にしまっているの。ノアにも見せていないわ」
そう伝えると、アリシアは目を丸くした。
「話していると思った?」
アリシアは迷うように視線をうろつかせ、遠慮がちに頷く。
「秘密って言ったもの。綺麗だし何よりアリシアから貰ったからノアには自慢したいけれど、アリシアがあの場所のことを伝えたくなければ言わないわ」
そう告げると、アリシアがほっと息を吐いた。
アリシアにとって、あの場所は家族とはまた違った意味で寛げる居場所なのだろう。
『ありがとう』
「ええ。花畑のことやひとりでの行動をアリシアが知られたくないうちは誰にも言わないわ。…………って、何か匂わない?」
アリシアとの会話に集中していて気づかなかったが、かすかに薬草の匂いが漂う。意識するとさらに匂いが濃くなっていく気がした。
どこからと視線を巡らし、ふと違和感に気づく。
「アリシア。ブレスレットが……」
気づくと、魔力の暴発を防ぐはずのブレスレットが何かに反発するように揺れている。それと同時にアリシアが顔をしかめ、鼻を押さえあえぐように口を開けた。
嫌な予感がした。
匂いのもとはどこだろうとアリシアが座っているソファに視線をやろうとした途端、アリシアの身体がぐらりと崩れ落ち慌てて駆け寄る。
「アリシア!」
触れようとしたら思いっきり腕を払われ、ぱしりと乾いた音が響く。
その音にアリシアははっとし叩いたことに驚いたような表情をしたが、その場にいるのが堪えられないと怯えるように部屋の隅へと逃げた。
「大丈夫?」
話しかけるが私から身を守るように縮こまり、ぶるぶると尋常ではないほど震え上がる。
私は私ではなく、まるで怪物がいるかのように巨大な恐怖そのものとして映っているかのような怯え方だ。
先ほどまでの和やかな空気が、匂いに気づいた途端に地獄のような空気に変わる。
過去のトラウマに関係しているのかもしれず、こうなれば近づかずなるべく刺激しないほうがいいだろう。
だが、このままの状態を放置するわけにもいかない。
何が原因でこうなったのかを考えると思い当たるのは徐々に濃くなっていくこの匂いなのだが、そのような匂いが発生する物は心当たりがない。
それと、どうしても気になることがある。
なんというか、私とアリシアが二人きりになってから起こったこの出来事はあまりに出来過ぎではないか。
知らない匂いがこの部屋を充満している事態を、ただの偶然と済ますことはできない。
それらは後ほど追求するとして、まずはどうすればアリシアが落ち着くのかを考えなければならないのだが、私が近づけば確実にアリシアは怯える状態でどうすればいいのか。
しばらく状況を静観する時間が重くのしかかる。
アリシアの震えに呼応するようにブレスレットが揺れ、不安を煽った。
「どうすれば……」
少しでも物音を立てれば、何かが爆発しそうな空気に下手に動けない。
今は多くの者が出払っていてすぐさま助けを求めることは敵わないし、タイミングよく見つけたとしてもアリシアのことを助けられるとは思えない。
――何かできることはないかな……。
諦めなければこの状況を緩和する方法が見つかるかもしれないと、アリシアの様子をつぶさに観察する。
アリシアは殻に閉じこもるかのように身を縮め、お腹など柔らかな部分を隠すような体勢だ。
過去、誰かに襲われたかのような身の守り方は見ていて痛々しく、その姿に泣きそうになる。
なんとかしてあげたいが、私自身が怖がられているので直接アリシアに何かをすれば悪影響になりかねない。
堂々巡りだ。
「なら、外に向かって合図をすれば誰か気づいてくれるかも」
そしたら、公爵夫妻やチェルシーが来てくれる確率も上がる。
幸い、光の玉の来訪を待っていたため窓は開けている。あとは、そこに向かって気づいてもらえる物を投げればいいだけだ。
ゆっくりと態勢を変え、机の上の物を取りにいこうと静かに一歩踏み出した時、どこからかふわりと光の玉が現れた。
「ははっ、今なの? それに遅いわよ」
ずっと待っていたのにやっとかと、文句が漏れた。
それでもこの状況で心強い味方が現れた安堵のほうが勝った。アリシアと面識のある自然の力が働く光の玉なら、もしかしたら解決策を見出してくれるかもしれない。
私の周囲をこれまで姿を見せなかったことなど気にも留めずふわふわと飛ぶ光の玉なら、アリシアを刺激せず近づくことができるかもしれない。
「アリシアの様子がおかしいの。怯えて回りが見えていないようなの。落ち着かすことはできないかしら?」
光の玉が私の目の前で一度止まり、それからアリシアのところへと飛んでいく。
話は聞いてくれるようだ。
柔らかな、だけどきらきらと輝く光がアリシアの周囲を照らす。
神秘的な光景とともに、これでもしかしたらとの期待を込めて見守っていたが予想外のことが起きる。
プレスレットが壊れたのだ。
ぱきっと音がやけに耳につき、スローモーションのように壊れたブレスレットがアリシアの腕から落ちていく。
「えっ!?」
なぜそこで魔法具が壊れるのか。
「ちょっと! 私は落ち着かせてっていったのよ。それが壊れたらアリシアの魔力が暴走しちゃう!?」
自由な存在を、思惑通りに動かせると考えた私がバカだったのか。
すさまじい魔力がアリシアから襲いかかるようにのしかかり、私は膝をついて呻いた。




