48.予兆
身体が怠い――、意識が浮上したと同時にそう思った。
目を開けると見慣れた天井があり、私はのろのろと身体を起こした。
あちこちが筋肉痛にでもなったかのように痛みが走り、うまく力が入れられない。
「あっ! クロエ様、目を覚まされたのですね」
「……プララ。私、どれくらい気を失っていたの?」
「二時間ほどです」
部屋は薄暗く時間が経過していることはわかったが、そこまで時間が経っていないようだ。
水が入ったコップを震える手で受け取り、一口含む。
乾いた喉がゆっくりと潤うと同時にここに至るまでの経緯を思い出し、そっと息を吐いた。
「あれからどうなったの? アリシアは無事?」
「アリシア様は意識を失い今も眠っておられます。外傷はないようですが、いつ目を覚ますかわからない状態だそうです」
「そう……」
コップを返し、両手でぎゅっと腕を掴んだ。
「その件で公爵様から伝言を預かっております。クロエ様が目を覚まし動けるようならすぐに話を聞きたいとのことです」
「……私が疑われているのね」
プララがわずかに視線を伏せたのでなんとなくわかってしまった。
アリシアと一緒にいたのが私だけとなれば真相が知りたいのは当然のことだとわかってはいるが、口にすると気が重くなってくる。
果たして、私の言葉は信じてもらえるだろうか。
「その場にいたクロエ様の話を聞きたいとのことでした。公爵様の考えは私にはわかりませんが、私はクロエ様を信じております」
「ありがとう。状況的に疑わしいのは仕方がないもの。私が起きたことを公爵様に伝えてくれる? それから指示に従うわ」
プララが退室を見送り、昼にアリシアが座っていたソファに目を向け大きく息をついた。
十数分後、私は護衛という名の監視役とともに公爵が待つ部屋へと向かった。
◇ ◇ ◇
時は少し遡る。
『――は名前をつけてあげたらお友達になれるわよ』
そう、記憶の中の母が言った。そして、白く細い指先で私の髪をそっと撫でてくれる。
私はその手に懐くように頭を上へ上へとこすりつけた。
吹けば落ちてしまいそうな弱い力を認めたくなくて、私が持ち上げることでそれらを隠す。
母はもともと病弱で、最後の一年はずっとベッドの上の人だった。でも、決して心まで弱かったわけではない。
母と話せるのは嬉しくて、でも寂しくて。常に悲しさがつきまとい、会いたいのに会いたくない気持ちでいつも胸がぞわぞわしていた。
多分、母がそう長くないことを感じていたのだろう。
母はたくさんの物語を話してくれた。
話を聞くたびにどきどきしたり笑ったりと楽しくて、母の手の温もりに触れるたびに心が温かくなった。
つらいことがあっても頑張れたのは、母の心が最後まで強く、その目が澄んでいたからだ。
母は身体が弱かったから心にそって動けなかっただけ。だから、健康な身体を持っている私が望むことを諦める選択はなかった。
『クロエはクロエの人生を歩みなさい』
その頃の父はまだまともだった。まともに見えていた。
でも、母は本質が見えていたのかわかっていたのか、息を引き取る時に私にそう言った。それが、今の私の指針である。
それからしばらくは落ち込んでいた父だが、半年ほどして義母を連れてきた。
受け入れるしかなかった私は父や義母たちに振り回されながら母の言葉を胸に、どうすべきかとともに自分がどうしたいかをよく考えるようになった。
「んっ」
眠りから覚め身体を起こし、濡れた目尻をふき取った。
母のことは受け止めているし、楽しい記憶や母の言葉を思い出すのはむしろ喜ばしいが、どうしても最後の別れの時を思い出すと感傷に浸ってしまう。
なんだか近頃母の夢ばかり見ている気がする――、と私は漏れ入る朝の光に目を眇め大きく息をついた。
原因はわかっていた。
お菓子泥棒を捕まえるどころか部屋にある物をここ最近少しずつ持って行ってしまい、そろそろ本腰を入れないとやばい状況になってきたからだ。
しかも、ノアが王都に出立してからすぐにそれらが起こった。
「よりにもよってノアがいなくなってから起こるなんて……」
ノアが王都に向かって一週間が経つ。
今のところ私が学生時代に使っていたペンだとか、私が購入した安物ばかりで害はない。むしろ、代わりとばかりに美しい石が置かれるようになったそのほうが問題だった。
どこから盗んできたのか、もしくは見つけたのかでも変わってくる。
相談できるノアがいない今は少しでも早く不安要素を解明しておくべきなのだが、それには捕まえなければいけない。
だが、それが難しくどうすればいいか頭を悩ませていたため、無意識に頼もしかった母の思い出を、なかでも精霊にまつわるおとぎ話を聞いていた時の夢を繰り返し見ているのだろう。
「名前ねぇ」
名前をつけたら、話を聞いてくれるのだろうか。
一考してもいいが、やはり捕まえないと始まらない。
「さて、何事もなければいいけど、物が物だけに大事になる前になんとかしないと」
周囲にぐるりと視線を巡らす。
昨日机の上に置いてあったペンがまた一つなくなり、その分綺麗な石が置かれてあった。光に当てると虹色に輝くそれは宝石だとは思うが、調べた範囲では名前はわからない。
「物々交換にしては物が違い過ぎるし、やっぱり出どころは無視できないから本当に困るわ」
相手は自然界と密接な存在である以上、人間の物差しが通用しないことも視野に入れて行動しなければならない。
私はベッドから降りると、新たに増えた石をアリシアに貰った花冠が仕舞ってある引き出しに入れ鍵をかけた。
「今日こそは捕まえるんだから」
できたらノアが帰ってくるまでにこの問題は解決したい。
ずっと世話になりっぱなしで恩返しができていないのに、少し留守をしている間にまた問題事を抱えた状態になるのはさすがにまずい。
窓から顔を出し上を見上げると、目に染みるほどの青い空が広がっていた。
目を閉じて思い浮かべるのは穏やかだった思い出の中の母の姿と、ノアのちょっと偉そうな笑顔。
この日、とんでもない窮地に立たされるとは知る由もなく、私は今日こそは捕まえるぞと意気込みいそいそと支度をした。




