45.見えない過去
「ということなのだけど」
予定していた用事を済ませた帰りの馬車で先ほどのアリシアの様子を話すと、ノアが考えるように顎に手をやった。
「そうか。これまで日によって波はあったがそこまで顕著なのは初めてだ。俺から見てもだいぶ気持ちを許していたように見えていたから、まさかここに来て後退するとは思わなかったな」
「そうね。あの日以来、個人的な接触はなかったから急にこうなった原因はわからないし、わからない以上私の動きで悪化する可能性もあるから相談したくて。当時のこともう少し詳しく聞けないかと思って」
感情を見せてくれるようになり、向こうから近づき意思表示もしてくれて、本当に嬉しかった。
その分、また元に戻ったかのような反応に寂しさは感じるけれど、どちらかというとアリシアの精神にかかっている負荷の原因のほうが気になる。
「当時のことか?」
「ええ。話せる範囲でいいの」
アリシアが三歳の時、魔力が暴走し周囲が怪我をしそうになったことに精神的なショックを受け話せなくなったと聞いている。
ただ、その時に誰が怪我をしそうになったのか、ノアはこれまでそういったことを語らなかった。
よくよく考えれば、精神的に追い詰められるほどのことなのだからその相手もかなり重要ではないか。
家族だったり使用人だったり人物を示唆していてもいいはずだがそれもない。それもあって、余計にアリシアにどれほどのショックを及ぼしたのかも想像しにくくはあった。
しばらく見つめ合っているとノアがくしゃくしゃと髪をかきあげ、深く息をついた。
「ああ~。それだけではないと気づいているんだな」
「アリシアを見ていたら気づくわよ。自責の念で人と接するのが怖いのだとしても、他人の視線にびくつく理由はまた違うわよね?」
自分の力がまたいつ人を襲うのかわからず、怖くて人との距離を取るというのも嘘ではないだろう。
でも、実際は距離を取るとともに人と視線を合わせることを、視界に入ることをとても怖がっている。
そこがよくわからない。人自体、特に男性が怖いのには別に理由がないと解せない反応だ。
これまでアリシアや彼女の取り巻く環境を見てきたからこそ、聞いていた話とまた別の理由がアリシアにはあるのだと推測している。
当時、三歳の幼子だ。まだ自分のしたことに対し、そこまではっきりと善悪を判断できるはずもない。
大事な人たちを傷つけそうになったショックがあるとしても、その後の大人たちの対応に問題があるとしか思えない反応だ。
魔力の暴走での出来事以外に、心にこびりつくほどの恐怖があったのではないかと邪推してしまう。だけど、ブレイク家の人たちがそのようなことをするとも、させるとも思えない。
だから、わからないのだ。
「それは……」
ノアはそこで沈思した。
瞳の色は当時のことを思い出したのか一瞬にして翳る。この件はかなり複雑な事情があるようだ。
ノアの手がわずかに震えるのを見て、私はその手に手を重ねた。
「無理してまで話さなくてもいいよ。気になったから知れることは知っておけたらと思っただけで、深く詮索するつもりはないから」
これまでノアなりに誠実でいてくれた。
その彼が話せないのなら、相応の理由があるのだろう。それがはっきりしただけでいい。
ブレイク家の嫁になったからといってすぐに秘密が共有されるなんて思っていなかったし、世界に名を轟かせる名門家だ。
秘密の一つや二つはざらで、私が知らないことはこれからもたくさん出てくるだろう。それらは必要であれば知らされるだろうし、知らなくていいのなら知らなくていい。
「すまない。俺ひとりの判断では話せない。協力を仰いでおいて中途半端な情報で悪い」
「いいよ。秘密を知りたいわけじゃなくて、私はアリシアがこれ以上傷つかないか気になっただけだから」
「今は事情を話せないが、ここの者たちがアリシアに何かをしたわけではない。推測はできても当時のことをはっきりと知る者はいない。だから、どうすればいいかは俺たちも手探りなのは噓ではない」
ヒントが隠されていた。ここの者たち以外の者が、アリシアに何かをした可能性があるのだ。
外の者に頼めないのもそういった理由もあったのだろう。
過去に囚われている、縛られているアリシアを見ていると胸の奥がざわつき熱くなる。
「そう。わかったわ。もしかして秘密を共有したことが負担になってしまったのかとも思ったから、ちょっと心配だったの」
「それはないだろう。信じてもらえた、頼ってもらえた、その仲間になれたことにアリシアは喜んでいた。今のアリシアは守られることの安心感と自立したい気持ちと両方あって、その中で仲間に入れてもらえたことはかなりプラスになったはずだ」
トラウマはかなり根深く複雑だと知れたけれど、私がやることは変わらない。
ノアに助けてもらいまだまだ自分の力で何もできない私が救うような大層なことをできるとは思わないが、アリシアの不安を軽減する手伝いくらいはできるのではないか。力になりたいと心から思う。
「だったら、これまで通りアリシアの様子を見ながら考えていくわ」
大きく頷くと、重ねていた手を引き寄せられノアに抱きしめられた。




