40.尾行と距離
「くしゅん」
用事を済ませ廊下を曲がったところで、鼻がむずむずして耐え切れずくしゃみが出た。
軽く鼻をこすり視線を上げると、奥の柱の向こうでこちらをうかがっているアリシアと目が合った。
慌てて柱にアリシアは隠れる。
だが、チェルシーは見えるところにいるし、先ほど互いに存在をしっかり認識したのでここで何もせず通り過ぎるのは難しい。
チェルシーと視線を合わせ、互いに苦笑した。
「今日はまだいるのね」
ここ最近、アリシアが私の後を一定の距離を保ち付いてくることが増えていた。
花畑で出会ってから明らかに変わったけれど、依然として距離はある。
あの日、花冠も貰いこれを機にもう少し意思疎通が可能になるのかと期待したのだが、あまり変化はない。
相変わらずノアと会うときは私がいないときと徹底しているようで、一家で食事をするときにしかまだ同じ空間で過ごせずにいた。
――こうして付いてきているし、嫌われているわけではないと思うのだけどなぁ。
しばらくするといなくなるので、話しかけるタイミングがなかなか掴めない。
近付くのは抵抗があるが、私という人間がどのような人物か気になってはいるようだ。
さすがにもう知らないふりをするのも無理がある。
これで怖がらせてしまい可愛らしい尾行が終わるのも残念だが、私に興味を持ってもらっているみたいだしとアリシアに声をかけた。
「くしゅん」
用事を済ませ廊下を曲がったところで、鼻がむずむずして耐え切れずくしゃみが出た。
軽く鼻をこすり視線を上げると、奥の柱の向こうでこちらをうかがっているアリシアと目が合った。
慌てて柱にアリシアは隠れる。
だが、チェルシーは見えるところにいるし、先ほど互いに存在をしっかり認識したのでここで何もせず通り過ぎるのは難しい。
チェルシーと視線を合わせ、互いに苦笑した。
「今日はまだいるのね」
ここ最近、アリシアが私の後を一定の距離を保ち付いてくることが増えていた。
花畑で出会ってから明らかに変わったけれど、依然として距離はある。
あの日、花冠も貰いこれを機にもう少し意思疎通が可能になるのかと期待したのだが、あまり変化はない。
相変わらずノアと会うときは私がいないときと徹底しているようで、一家で食事をするときにしかまだ同じ空間で過ごせずにいた。
――こうして付いてきているし、嫌われているわけではないと思うのだけどなぁ。
しばらくするといなくなるので、話しかけるタイミングがなかなか掴めない。
近付くのは抵抗があるが、私という人間がどのような人物か気になってはいるようだ。
さすがにもう知らないふりをするのも無理がある。
これで怖がらせてしまい可愛らしい尾行が終わるのも残念だが、私に興味を持ってもらっているみたいだしとアリシアに声をかけた。
「アリシア」
名を呼ぶと、アリシアがびくぅっと身体を揺らす。自分だけ隠れてもチェルシーが丸見えだと気づかれることに、全く気づいていない。
やり過ごせるかもと本気で思っていたところが初々しくて、つい笑ってしまう。
アリシアはそろそろとこちらに顔を向けながら、チェルシーの後ろに隠れた。
「こんなところでどうしたの?」
付いてきていたことを知っているのはとりあえず伏せ話しかけると、アリシアはふるふると首を振った。
話しかけたら反応は返ってくるようにはなっているが、チェルシーの服を掴む手に力は入っており緊張しているのが伝わってくる。
気になることと怖いことは違うのはわかっているしこの件は気長にと思っているが、距離がなかなか縮まないのはどうしても寂しく感じてしまう。
ゆっくりと瞼を伏せ、威圧感を少しでも減らすように屈みこみできるだけ優しく話しかける。
「私は騎士たちがいるところに顔を出してきたの。ちょっと前にね、魔法を付与したのだけど問題ないか気になって」
「……」
「魔法付与ですか?」
黙るアリシアの代わりにチェルシーが口を挟む。
「そう。最近はそういったこともさせてもらってるの。それで今からは厨房にお邪魔する予定なの。こっちはね、遠い国のお菓子を作れないか料理長に時間をもらって試す予定なの。美味しく出来たら、ぜひアリシアたちにも食べてほしいわ」
これから料理関係の魔法具の確認とともに、お菓子を作る予定だ。
アリシアのことを本人から聞けないなら、まずは私がどういった人物なのかを知ってもらうしかない。
そう思って話しかけてはみるが、今のところ成果はなしだ。
だが、いつものように思いついたことから話していたら、お菓子の言葉にアリシアが顔を上げた。
私と目が合いそうなると、ささっと下げる。
――目を合わせるのはまだ無理みたいね。
上から見られるのも怖いようだからなるべく視線を下げるようにして話しかけているが、それはそれで視線が合いやすいので困ってしまう。
アリシアはとにかく極端に人と目を合わせるのを怖がる。目を合わせられるのは、アリシアが心を許している人だけだ。
何か悪意ある視線に晒され続けたのだろうかと疑うほど、顕著に反応を示すときがある。特に男の人が苦手なようだった。
だけど、ここの人たちがアリシアを悪意に晒すようなことを許すはずもないし、皆がアリシアを気遣っている。
どうしてそうなったのかわからないため、何が地雷になるのか様子を見ながら接していた。
せっかく反応してくれているのだからと、私は直視しすぎないように話しかけた。
「お菓子に興味ある?」
訊ねると、アリシアはちらっとチェルシーを見て小さく頷く。怖さよりも、珍しいお菓子のほうが気になるようだ。
花畑のときも光の玉がいたから話せたのもあり、まだまだ私単体ではアリシアの気持ちを解すことはできず残念だが、この反応を逃したくない。
「もしよかったら、アリシアも一緒に作る?」
「……」
ぴたりと固まって私の足元を見ていたが、そわそわと視線を走らせ最後にチェルシーを見上げた。
だいぶ心が揺れているようだ。まずまずの反応に畳みかける。
「仕込みはすでに料理長がしてくれていて、難しいことも危ないこともないわ。あれこれ食べて意見を言い合うだけだから、アリシアとチェルシーの意見も聞けたら嬉しい」
チェルシーの名も出して一緒に誘うと、アリシアはくいくいっとチェルシーの服を引っ張った。
――お菓子の誘惑には勝てないようね。
このような反応をするときは、気持ちが前向きなときであることを観察していて知っている。
案の定、チェルシーが穏やかな表情で代弁した。
「私と一緒なら行ってみたいそうです。急に人数が増えて料理の邪魔にならなければ、ぜひよろしくお願いします」
「もちろん。人が多すぎてしんどくなれば途中で離れてくれてもいいし、まずは行ってみましょう」
「……」
チェルシーの返答にアリシアはほっと息をついた。
だいぶ、お菓子は魅力的らしい。
「無理しなくていいからね。少しでもしんどいと感じたら、私ではなくてもチェルシーに言ってくれたらいいし。チェルシーもよろしくね」
「はい。アリシア様のことは私にお任せください」
慈愛の眼差しでチェルシーはアリシアを見つめていたが、私が声をかけると晴れやかに笑った。
チェルシーはブレイク家に働くようになり六年、アリシアの専属メイドになって五年になる。長年仕えてきたメイドとしての矜持が見え、頼もしい。
「なら大丈夫ね。私もどうなるか今からとてもわくわくしているから、アリシアもチェルシーも楽しみにしてくれたらいいわ」
「はい。アリシア様、どのようなお菓子なのか楽しみですね」
馬車を改造した件から食材の保存について相談を受けるようになり、ここに来てすぐ厨房に出入りしている人たちとは親しくなった。
魔法具の相談の際にたまたま食材の買い付けがあり、文献で知っていた食材の名前を耳にして反応した私がその話をすると、一度作ってみようということになった。
食材が届く日を楽しみにしていたが、まさかこの件でアリシアも釣れるとは思わなかった。
二重の楽しみを得て、にこにことアリシアを見る。
すると、チェルシーの言葉に頷いたアリシアは、感触がないくらいの弱さであったがよろしくの合図をするかのように私のスカートを引っ張り、またチェルシーの後ろに戻っていった。
――なに、この可愛さ!
悶えたくなるのを堪えながら足取り軽く厨房へと向かい、この日を機に徐々に距離が近くなっていき、アリシア自ら私のもとを訪ねてくれるまでになった。
そしてこれらのことを単純に喜んでいた私は、まさか私と距離を縮めることでアリシアがあんなことになるとはこの時は考えもしなかった。




