35.家族として
からりと雲一つない青空が広がり、さわ、と風が通り抜ける。
しばらく指を絡めたままぼんやりと二人並んで湖を見つめていたが、枝から落ちた葉がひらひらと水の上に落ちるのを目で追い、ノアへと顔を向けた。
「そろそろ私にできることはないかな?」
「できること? したいことがあればすればいいが、クロエはすでに忙しいだろう。環境が整えば魔法関連の研究もしていくと言っていたし」
優しい顔をしたノアが身体を乗り出し、いつの間にか私の髪に乗った葉をつまむ。
葉柄を親指と人差し指でくるくると遊ばせ、援護は任せとけとノアは当然のように告げる。
私はそうじゃないのだと小さく首を振った。
「もちろんそっちも手を抜かず頑張っていきたいわ。そうではなくて、ブレイク家の嫁として、家族として何かできることがないかと思って」
「すでに状態魔法をかけた馬車は大活躍じゃないか。今も改良するために頑張ってくれているし、そこまで急がなくても十分に我々のためになっている」
やっていることを惜しみなく評価され、力強い肯定の言葉に笑みを浮かべる。
ここではノアもそして周囲も、私がすることに対して大袈裟なほど反応し褒めてくれる。きっと疎外感を与えないように、あえて口にしてくれているのだろう。
ブレイク家を怒らせれば死ぬよりも怖い目に遭うなど、それにまつわる噂は多く私自身も耳にしたことがある。確かに優しいだけの人たちではないが、皆信念があり芯が通っていて私にとっては居心地がいい。
そんな人たちにここにいてもいいのだと居場所を与えられているような言葉をもらうたびに、心がぽかぽかした。
「扱える食材の幅が増えて喜んでもらっているのは知ってるし、料理長からも直接感謝の言葉をいただいたわ」
「なら、十分に貢献しているだろう? 特にアリシアは外出できないから食べられる物も限られていたし、俺たちとしては妹に珍しい物を食べさせてやれるだけで嬉しい」
「そっか。アリシアにとってそういったことも新鮮なのね」
そう言われると、少しは役に立てているとは思う。
けれど、公爵たちは忙しくまだ互いに知れるほどの関係ではないし、アリシアとは依然距離は空いたままで、ノアには大きな借りもあるため居候しているような気分ではあった。
――それを正直に告げるわけにもいかないし。
ノアが持つ葉の先端に、光の玉がふいに現れふわふわと上下する。屋敷からここまでついてきたようだ。
「やっぱりついてきたか」
「植物園にいたし、自然が好きなようね」
ノアが光の玉に向かって手を伸ばすと、逃げるように私のほうへとやってきた。
その様子を眺めながら肯定すると、ノアは面白くなさそうに唇をわずかに尖らせた。
「やっぱりクロエがいいんだな。で、ブレイク家の一員としてとのことだが、ここに来てからかなり知識を詰め込んでいるだろう? そのスピードと記憶力に皆が感心していたぞ。それだけでも十分こちらとしてはありがいのだから、無理をしなくていい」
「無理はしていないわ。もともと記憶力はいいから知識を得ることは別に苦ではないし、自分のためでもあるから。最近こもってばかりだったしそろそろ交流? 実地もしていきたいの」
手を差し出すと、光の玉はぽんぽんと弾むように動いた。
すべてをあの国に置いてきたつもりだったけれど、ここまで懐いてついてきてくれたのだと思うと、淡々とこなすだけだった時間に慕ってくれる相手がいてくれたようで自然と顔が綻ぶ。
「好きなことができているならよかった。――そうだな。家族としてなら、アリシアのことを気にかけてくれると嬉しい」
手を左右に振ると、それに合わせて光の玉も動く。
少し考えたノアの言葉に光の玉からノアに視線を戻すと、優しい眼差しをしたノアがこちらを見ていた。
ノアが遊んでいた葉を湖のほうへと魔法で飛ばす。
私の周りをふわふわと飛んでいた光の玉が、その葉を追いかけていった。
「アリシアを?」
三歳の時に魔力が暴走し周囲が怪我をしそうになったことに精神的なショックを受け、声が出せなくなったと聞いている。
アリシアはブレスレットをしているが、それは魔法具で魔力を抑えるための物になるのだそうだ。
「無理はさせたくはないが、いつまでも他人と触れ合えないままというのは本人が最終的に困るしつらいだろう」
「そうね。大人になってもこのままというのは確かに大変ね」
内気で大人しい子ではあったがそこから人と触れ合うことを極端に怖がるようになり、少し緩和はされてきているようだがいまだに声が出せず、人がいるところに外出はできないままだ。
それ以外にも問題を抱えているようで、何がアリシアをそうさせているのかノアたちもわからないそうだ。
「そうだ。もともと人見知りするところに、その件があってから極端に知らない人物と距離を置くようになった。俺たちでは何も変化はないし、厳しくすれば拠り所をなくしてしまう」
「それはかわいそうよね。もっと引きこもってしまったら、下手をしたら家族にも反応がなくなってしまう」
人を傷つけそうになった自責の念が、声が出せなくなった要因であることは確かだろう。
刺激をしすぎず人と接することに自信をつけてもらえたらと、ノアが以前に話していた。
だが、声が出なくなったこととは別に人が怖いというのはもともとあるようで、何が彼女の恐怖対象となったのか、どうすれば安心するのか探り探りやってきたそうだ。
本人も現状にもどかしく感じているような仕草をすることもあり、かといって強引にリハビリとして他人に会わせるのも躊躇われる。
本人が負担になって悪化しては元も子もないし、協力してくれる相手に不快にさせることにもなる。
「ああ。だから、新たに家族となったクロエが刺激になってくれないかと思って。現時点で、警戒されているクロエにこんなことを頼むのは申し訳ないが」
「ううん。私も家族の一員になったのだもの。そういうことなら私が適任よね。私なら少しずつ試せるし、屋敷内だったら家族や使用人たちがいるから嫌ならすぐに逃げられるし」
アリシアの場合はぐいぐいいくのも悪手だ。
常に逃げられる環境、彼女の調子が良さそうなタイミングを見計らってできるのは、家族ならではで私は適任だろう。
「負担をかけることになるが」
「ううん。私もできることなら仲良くなりたいから。それにアリシアにとっていつまでも意識しすぎる家族の存在はこの先疲れさせちゃうと思うし、ここで試してみるのはいいと思う」
どうしても受け入れられなかったなら、その時はその時に家族としての距離感を考えればいい。
「ありがとう。助かる」
「家族としてできることはやってみる。でも、嫌わたり悪化させたりするのは困るし、劇的な変化は期待できないよ」
ノアと一緒にいるのならば避けられないし、本人が改善したい気持ちが少しでもあるのならば新しいものを自分の目で見て感じてほしい。
「いや。それくらいでいい。ありがとう」
「なら、次に顔を合わせたら、さっそく小さく動いてみるわ」
「小さく、な」
「そう小さく」
まずは下手な刺激はせず、慣れさせながら距離を縮めていくところからだ。
「アリシアのこともだが、クロエが俺のもとに来てくれてよかった」
「まだ何もしてないよ」
あまりにもまっすぐな眼差しで告げるとともに、地面についていた手に大きな手が重なる。
「俺のそばにいてくれるだけで十分だった。なのに、アリシアのことも当然のように受け入れ考えてくれて嬉しい」
「ノアの問題は私の問題よ。ましてや家族のことなら尚更一緒に考えましょう」
ノアは本当に私を生涯の伴侶として大事にし、関係性に気遣ってくれている。
私に関わる使用人たちには言及してくれているのか、皆優しいし私がしたいことを尊重するよう動いてくれている。
だから、彼のためにできることをしたくなる。
家にいた時のようにしなければならないのではなく、したい。それらの心の動きは私にとって新鮮だった。
――深く付き合うようになって、あまり時間が経っていないのに不思議よね。
爽やかな風が頬を撫で、心が軽くなっていく。
ノアがいれば、これからどんな困難も乗り越えられると根拠もなく思える。
知らない土地に来ても全く疎外感を感じないのは、そういったノアの気遣いがあるからだ。
さわ、と風がまた吹き抜ける。
覆われた手を見つめ、ややあってゆっくりと手をひっくり返しその手を握りしめた。




