34.約束
湖のほとりにノアと並んで腰を落とし、空を見上げる。
「気持ちいいところね」
「俺のお気に入りの場所だ」
木々や花々に囲まれ、空の青を映した湖は絵に描いたように美しく、日頃の喧騒を忘れさせてくれるような穏やかな時間がここでは流れていた。
「ノアが気に入るのもわかるわ。とっても空気が澄んでいて、なんていうか解放された気持ちになる」
「ああ。ここに来ると余計な雑念が消えて、考えを整理したいときに来るといい感じでまとまることが多い。家族も知らないから内緒な」
誰にも教えていない貴重な場所を教えてくれたようだ。
あと、何でも難なくこなすノアでも人並みに悩んだりするのだという事実に親近感を覚える。
――普段ができすぎなのと、圧倒的な上位者感が半端ないからかな。
もちろんそういった姿勢に腹が立つこともあるが、実力に裏打ちされたものを知っているため味方となればかなり心強い。
どんな強者相手でも決して弱みを見せないような人に、誰にも見せない柔らかい部分をそっと教えられむずむずした。
ふっと笑い、柔らかく細めた金の瞳はとろりとした甘さがある。
直視するのに耐えられず、わずかに視線を逸らしもごもごと返答した。
「ええ。内緒にするわ。秘密の場所って特別な気分になるわね」
裏表なくそのままの心を見せられること、態度に示されることは、これまでの人間関係とあまりに違いすぎてどうしても戸惑ってしまう。
胸を押さえる。
まだごそごそしているが、このような大事な場所に連れてきてくれたこと、信頼して心を見せてくれたことは素直に嬉しかった。
「クロエも来たくなったらいつでも来ればいい。そのときはできれば俺も誘ってくれると助かる」
「そうね。ノアも一緒だと嬉しいわ」
ここでの生活でストレスが溜まっていないか、ノアなりに心配してくれているようだ。
誘えというのは誓約にも書かれていた、お互いに正直で一番の理解者でいること、思いやり助け合っていこうとの文言からの行動だろう。
今日みたいに声をかけられることが続けば、ノアの誠意に気づく。
「それはよかった」
「逆にノアもひとりが寂しくて誰かといたいときは私を誘ってね」
「ああ。そうする」
ノアは興味外のことには淡泊で敵対する者には容赦なく、内側に入れた相手には防御が薄くなる傾向があった。
ブレイク家に嫁いで知った、家族や使用人に接する姿はアカデミーでは見たことがないものばかりで、特に妹のアリシアに接するノアはあまりにもお兄さんをしていて驚いた。
外面だけがよく自分勝手な父と過ごしてきた私にとっては、それぞれが信頼し大事に思い高め合っていく関係は羨ましいくらいだ。
そんなノアは血の繋がった家族同様私も同じように扱ってくれており、よき理解者でいようとしてくれる。
勉強のスケジュールを特に聞かれたことはなかったが、私のスケジュールを密かに把握してくれているのだとわかる。
無関心なようでいて、しっかり見てくれている。その誠意に気づくたびに胸の奥がじわりと温かくなった。
関心や好意があるとその場だけ取り繕う父とは正反対の行動を見せくれるノアを前にすると、誠実でありたいと誓約など関係なく心から思う。
「約束したからな」
「律儀に守らなくても」
真面目な顔で念押しされ、とんとその胸に頭を預けた。
大きな胸板は固く、とくとくと規則正しく心臓の音が鳴っている。私はゆっくりと目を閉じた。
「おいっ」
「こうしたい気分だったのだけど嫌だった?」
焦った様子に下からうかがうように訊ねると、じっと私を見下ろしたノアは諦めたように嘆息する。
「嫌ではない。だが、簡単に男にこんなことはするな」
「男って、ノアだけだよ。だって、私の旦那様でしょ?」
表情では何を考えているのかわからないが、注意しながらもそっと私の身体に手をやり体勢を整えてくれる。
ノアの伴侶になってから、いろんな彼の姿を見るのが新鮮で面白い。
それに触発されるように、私も気持ちの赴くままに行動することが楽しくなってきた。
まだ自ら相手に委ねるような行動はちょっと勇気がいるが、ノアはいつも受け止めてくれるからあまり考えずにできる。
「そうだな」
「ノアって、この手の話になると嬉しそうよね」
「クロエが自覚しているのが嬉しい」
身体の力を抜くと、ノアが軽やかにふっと息を吐き出す。
ちらりと表情を確かめると、わずかに口角が上がっていた。
――自分がしたことに嬉しそうにされると嬉しい。
ノアは常にどこか偉そうだけど優しい人だ。
少なくとも、私には心を配ろうとしてくれているのは伝わってくる。
「そっか。私もノアが嬉しそうだと嬉しい。一緒にいて楽しむってこういうことなんだなって、ノアが声をかけてくれて本当によかった」
何を考えているのかわかりにくいが、ノアの言葉は信じられる、信じたいと思わせるものがあった。
発した言葉は決して軽くはない。
実際にビビアンに言いがかりをつけられている時の態度は堂々とし、どんな権力者が出てきても引かない正義みたいなものを感じて心強かった。
発せられた言葉には常に責任が伴い、そうする覚悟があるように思えた。
「クロエにはここの生活を楽しんでほしい。だから、決して無理はしないでいいし、しんどければすぐに言ってくれ」
「一緒に楽しむと約束したものね」
「そうだ。俺たち夫婦の約束だ。だから、何かあっても一人で抱え込む必要はないし、クロエの好きなようにしていい。そうすればきっとうまくいく」
実際にブレイク家でノアと生活し見えてきたものや、彼が抱えるものを知ったためか、何度も伝えられる『好きなように』が、以前と少し感じ方が変わってくる。
その言葉に心地よい重みを感じるのは、ノアとの関係が書類上だけでなくなり心も添うようになったからなのかもしれない。
「わかった。改めて約束ね」
「ああ。俺とクロエの約束だ」
私たちのはじまりの大切な約束。
小指を差し出すと、すぐに気づいたノアが小指を絡めた。




