30.このたび嫁になった者です
ぴりぴりした空気を前に直視できず視線を動かすと、ノアと同じ黒髪の公爵夫人はにこにこと笑みを浮かべており、私と目が合うとさらに笑みを深めた。
公爵と夫人の落差に拍子抜けする。
よく見ると、人が怖いはずのアリシアも相変わらず私の視線から逃れるように隠れようとしているが、この空気自体に委縮しているわけではないようだ。
厳しい顔をしていた公爵が、そこで手を叩いた。
「よく言った。妻を蔑ろする者はブレイク家では認めないからな」
「ずっとそばで二人を見てきましたからね。俺が彼女を伴侶にと望んでここまで連れてきました。夫婦のやり方に文句があるならすべて俺に言ってください」
ぴしゃりと宣言するノアに、公爵が眉を跳ね上げる。
「夫婦の在り方には文句はないが、こちらが精査する間もなく知らない女性を妻として受け入れろと言われば、親としては苦言も呈したくなる」
「そうは言っても調べてはいるんでしょう? 俺も調書は渡しましたし。あれに嘘偽りは書いていませんので」
ノアがいったいどのような報告をしているのかは気になるが、結婚を認めさせるなら私のアカデミーの成績や身辺については最低限伝えているだろう。
当然、私が到着するまでブレイク家のほうでも私のことを調べるくらいのことはしているはずだ。むしろ、それらは当主として当然の行為ではある。
ただ、実際に聞くとひやっとして心臓に悪い。
どこまで彼らの通常なのかもわからないし、早く終わって態度を明らかにしてほしいなと嘆息すると、そこで公爵がわずかに目を細めた。
ぴりりとした空気がまた一段と薄れていく。
――既視感が……。
ノアが他者を完全に排除する時の空気から、私に見せていた少し緩んでいく空気に似ている。
冷たそうに見えたが、そこまで怖い人物ではないのかもしれない。
だが、双眸がまだ見定める者の冷静さがあり、完全にこの状況を是としているわけではないのは感じた。
だが、それは当然のことだ。お互いのことを知らない状態で簡単に受け入れるほうがどうかしているし、今後時間とともに関係を築いていくしかない。
やっと落ち着いて話ができる気配に今度こそ身体の力を抜くと、公爵がにやっと笑みを浮かべる。
「肝が据わっているな」
「でしょ。言っておきますが、クロエは俺のものですから。欲しくなってもそのことを忘れないでください」
私はぎょっと目を見開いた。
――ご両親にする発言じゃないよね?
視線で訴えるも、ノアは満足げににっこりと笑みを浮かべるだけでそれ以上何も言わなかった。
ここは私が何か言ったほうがいいのか、ノアの発言の意図を汲み黙っているほうがいいのか迷うところだ。
うーんと考えていると、公爵のほうがさほど気にした様子もなく話を進めた。
「なるほどな。息子をここまで夢中にさせた君は何者だ?」
「初めまして。クロエと申します。ラグーゼ国の伯爵家の娘でしたが事情があり縁を切っており、このたびノアの嫁になった者です」
やっと自己紹介ができると、所作を心がけ聞き取りやすい声で挨拶をする。
ハストンを名乗るか迷ったが捨てたものだし、調べて知っているようなのでその辺りも正直に告げた。
契約のタイミングも契約履行し伯爵家と縁を切った上で私がノアと契約したので、この婚姻に伯爵家は関係ない。
「ブレイク家の名を名乗るというのだな」
「はい。すでに契約も交わしており、私はノアと一緒に過ごすためにここまで来ました」
ここでブレてはならない。
認められなくても、すでにブレイク家の一員となっている。事実だけを私は告げた。
値踏みするような視線に毅然として見返すと、公爵が私を見てふっと笑った。
「そうか。クロエ。ここまでよく来てくれた。私がブレイク公爵家の当主、フェンドリックだ。こっちが妻のマルティーヌと妻に隠れているのが娘のアリシアだ」
一触即発かとひやりとしたが、そこまで怒られる流れではないようなのでひとまず安心する。
ほっと息を吐いていると、ようやく公爵夫人が口を開いた。
「ノアから一通り話は聞いているわ。ブレイク家へようこそ」
「ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」
公爵夫人は黒髪とエメラルドの瞳を持つ美しい女性。穏やかなご婦人で終始笑顔である。
ノアによると、家族の中で怒らせると一番怖いのがマルティーヌ夫人らしい。
「その辺りは仕方がないわ。どうせノアが無茶をしたのでしょう? 一度決めたら頑として折れないから大変なのよね。あなたに会えて嬉しいわ」
「こちらこそお会いできて光栄です」
それから全員でアリシアへと視線を向ける。
夫人は優しくアリシアの頭を撫で、彼女の代わりに挨拶をした。
「ごめんなさいね。アリシアは事情があって口が聞けないの。今日はずっと緊張してなのかこの調子なのだけど、仲良くしてくれると嬉しいわ」
ふわふわとした金の髪と先ほどちらりとノアと同じ金の瞳が見えただけで、アリシアはずっと夫人の後ろに隠れて顔を見せない。
「いえ。初めての相手がいると緊張しますから。少しずつ私の存在に慣れ仲良くしていけたらと思っております。アリシア。ノアからたくさんあなたの話を聞いて会えるのを楽しみにしていたの。だから、会えてとても嬉しいわ」
そう告げると、わずかにふわふわの金の髪が揺れた。頑なに私に顔を見せようとしないが、話は聞いてくれているのはわかる。
アリシアは事前に聞いていた通り他人が怖いようだが、話から想像していたものよりは少しだけ拒絶の壁は柔らかく感じた。
「一通り紹介は終わったな。まずは食事をしようではないか」
公爵の合図で食事が始まり食事は楽しむスタイルなのか、そこでは私個人のことや私たちの関係について深堀するような質問はなく、終始和やかなムードで時間が流れていく。
メインディッシュを終え、残りはデザートというところでノアが口を開いた。
「今日のデザートはクロエからの土産です」
「へえ。マルティーヌやアリシアは特に甘い物が好きだし、それは楽しみだな」
「驚くと思いますよ。クロエはアカデミーの教授たちに気に入られた稀有な人物です。教授たちは競って我が魔法をと伝授し、その知識は宮廷魔法士にも匹敵し、その技術があるからこそ遠く離れたこの地に個人でも持って帰ることができた希少品です」
ノアがハードルを上げていく。
言い方次第でかなり印象が変わり実際は便利に使われていただけだが、教授たちのもとで学んだことは多いので嘘というわけではない。
――プレゼンに協力してくれているのだから、文句は言わないけど。
ありがたいが自分の感じていたものと違うので、誤魔化すように微笑んだ。
道中作った魔法具には自信があるし、実際ここまで損なわず運べたためここで謙遜するのは悪手だ。
現地で食べてとても美味しかった物なので喜んでもらえたらいいなと、妙にドキドキしながらその瞬間を待った。




