29.一触即発
門をくぐってから馬車を数分走らせ、まるでお城のような屋敷に到着してから数時間後。
ドレスに着替えた私は、ノアとともに案内された部屋の前に立っていた。
「用意はいいか?」
「心臓がばくばくしてるけど大丈夫よ」
胸を押さえ、何度か深呼吸する。
「緊張するなと言ってもさすがに無理か」
「そうね。粗相がないように頑張るわ」
「衣装も似合っているし、クロエはクロエらしくいればそれでいい」
ここに来るまでに案内されたブレイク家であてがわれた私の部屋はノアの隣で、豪奢なものだった。
しかも、二つの部屋を行き来するドアまでついており、まさしく夫婦の部屋に少しびびりはしたが、それ以上に当然のように揃えてあった衣装の数々に度肝を抜かれた。
これまで母のおさがりを活用し、ぎりぎり、むしろ貴族社会ではアウトよりで着回していたので、衣装は本当にありがたい。サイズも一度作っているので知られていても不思議ではない。
問題は、その衣装の量と質だ。
伯爵家の使用人部屋くらいのクローゼットに詰め込まれた数と、きらきら輝く宝石に目がちかちかした。
「たくさん用意してくれてありがとう。何も持っていなかったから本当に助かったわ」
「最低限見繕ったが、足りなければ使用人に話して買い足すといい」
「あれで十分よ。妻として必要な物はお願いするけど、必要以上に贅沢するつもりはないわ」
公爵家でどれくらいのレベルの物が必要になるのかはあまり深く考えたくないが、体裁を保つためにも時には金額に目をつぶる必要はあるのだろう。
ノアは小さく笑みを浮かべるだけで、何も言わなかった。
私の葛藤を見透かしているようだが、ここはあえて見守ってくれるようだ。
再度ドレスにおかしなところはないか確認し、ノアのほうへと顔を向けた。
「ここにご家族がおられるのね?」
「ああ。俺は卒業パーティーの前に顔を出したが、ゆっくり話すのは半年ぶりくらいか」
「その節はお世話になりました」
まさかアカデミーの校長に話をつけるだけでなく大金を払ってゲートを使い、両親説得と神聖国まで行っているとは思わなかった。
「俺が勝手にしたことだ」
「それでもよ。ありがとう」
初っ端からとんでもない借りができてしまったが、ノアが動いてくれたから今がある。
まだ始まったばかりで何も見えていないが、これまでずっと重かった気持ちが楽になり、これから何をしようかと考えられる自由を得られたのはノアのおかげだ。
「俺は俺のしたいことをしただけだ」
笑顔でお礼を告げると、照れくさいのを隠すようにもにょっと唇を動かしノアが顔を背けた。
「ふふっ」
したいようにして強引な人だけど根は優しい。少なくとも、私には優しさを見せてくれる。
それで十分だ。
「ま、クロエが笑っているならいいか。それで、準備はいいか?」
「ええ」
屋敷に到着してから、まだ仕事の最中であるということで顔合わせは夕食の時になった。
ラスボスに会う気分だが、道中にあれこれノアと話したからか余計な肩の力はすでに抜けている。
笑顔で返し、私たちは室内へと入った。
「ただいま戻りました」
「ああ、随分とゆっくりとした帰宅だったな」
まず息子であるノアが第一声を発すると、奥に座っていた金髪の男性から嫌味が返ってきた。
ノアからは契約を結ぶにあたって公爵の承諾を得ていると聞いていたが、本当のところでは納得いっていないのかもしれない。
「事前に連絡を入れており、これくらいは許容範囲内だとは思うのですが」
「だが、一族の未来に関わることを決めた後だぞ。こっちは首を長くして待っていたんだが?」
その一声にどきっとし、これ以上ないくらいぴんと背筋が伸びた。
ちらっとノアを見ると、華麗な笑みを浮かべる。
「それは申し訳ありませんでした。やっと手に入れたところで、まずは自分たちの関係構築を優先させるほうがいいと判断したので」
「家族よりも他国の女をか?」
早々に私のことで問題になり、『他国の女』の言葉に心臓がひやりとする。
事実、私はこの国に縁もない外の女であり、そんな女がゆっくり帰りたいと言ったから怒られているのだとしたら申し訳ない。
――これ、追い出される流れ?
ほぼ無表情でこちらを見ている金髪の男性の切れ長の金の瞳はノアそっくりで、ノアが年を取ったらこうなるだろうと想像できる顔立ちだ。紹介されるまでもなく公爵だろう。
渋みと強面の公爵が話すと、どことなくぴりっとした空気になる。
公爵の横には、夫人と妹のアリシアと思われる人物がいる。
夫人のほうは笑みを浮かべこちらをじっと見ているし、アリシアのほうは夫人の後ろに隠れあからさまに私を見ないようにしていた。
まだ誰も互いの紹介が終わっていないのに、先行きが不安だ。
いきなり一触即発な空気にどうするのかとノアを見ると、ノアは私を見て微笑んだ。そこには一切の憂いは見えない。
私が出しゃばる場面でもないので、ノアに任せようと場を乱さないように表情管理に徹することにする。
笑顔を作りすぎてもいけないし、かといって不安を滲ませるわけにもいかない。気持ち口角を上げて、二人のやり取りを見守った。
「彼女も家族です。妻となったクロエとの時間を大事にしたいと思いまして。ほら、何事も最初が肝心と言うじゃないですか」
なぜかそこでふふんとノアが胸を張る。
――なんでそこで煽るの?
ひやひやしながら公爵の反応をうかがうと、公爵は机をとんと指で叩いた。
たったそれだけの動作なのに、叩いた机の音が耳に残り身体が動かなくなる。
「へえ? 親に会わせもせずに結婚を決めた親不孝者がえらそうに言うじゃないか」
ぞっとするほど冷ややかな声に息を止めていると、ノアが私の手を掴んだ。その温もりに詰まっていた息を吐き出し、ゆっくりと身体の魔力を意識的に循環させる。
自身の魔力を端々に感じると同時に威圧感も薄れ、正常に思考も動き出す。
横にいるノアを見る。
心配そうに私を見ていたが特に不安はなさそうなのを確認し、大丈夫だと小さく笑みを浮かべた。
――これ、試されているのよね?
噂の公爵が本気を出してこれだけで済むとは思えないので、これは私たちの反応を見るためだろう。私は口の両端を引いたまま公爵のほうを見た。
公爵は無表情のまま、ノアと同じ金の瞳で私たちを見据える。
「初対面の女性に威圧するなんて大人げないことをするんですね。何度も言いますが、クロエは私の大事な人です。たとえ、父上でも場合によっては相手しますよ?」
二人が睨み合う。
ぴりぴりした空気に当てられ、ノアの手を無意識に握りしめた。




