【幕間】帰ってこない娘 sideハストン伯爵
「ねえ。あなた。ドレスを新調したの。綺麗でしょ?」
「またか」
よほど嬉しいのか新しいドレスを着てくるりと回って見せた妻に、ハストン伯爵は眉を寄せた。
「またって、三か月も前よ。季節も違うし女の流行りは目まぐるしく変わるのだから、流行に乗り遅れたらみっともないでしょ」
「男から見たらそんなに変わらないが」
それに見栄を張るにもいい歳をしているし、じゃらじゃらとつけている宝石も美しいというよりはぎらついて見える。
妻が参加するパーティーは見栄の張り合いばかりで余計な出費も多く、あれが欲しい、これが欲しい、あの女がむかつくなどぐちぐちと言われ有益なことは一つもない。
前妻も娘のクロエもねだるよりは倹約しましょうとある物を工夫して着ていたため、ありがたいと共に自分が甲斐性なしだと突き付けられているような気分になった。
だから当初は、いの一番に自分に見てほしいと見せにくる姿を可愛いと思っていた。
だが、何度も続くといつまで同じことをと面倒になってくる。
毎回、誉め言葉を考えなければならないし、金の減りのほうが気になってくる。
「まあ! 男性も女性の流行に敏感でいないといけないと思うわ。それに妻が綺麗でいることはあなただって嬉しいでしょ? それが私の務めだもの」
「…………」
言い返そう口を開いたが、すぐに閉じた。
借金を返すために借金をし、この三年でさらに借金は膨れ上がり、財政が厳しいことはずっと話している。
これまではクロエが注意する役割を担ってくれていたが、娘はもういない。
心を鬼にして伝えてきたが妻は現状を顧みることなく豪遊し、跡取りとしての息子はやる気はなく、伯爵は焦っていた。
「ねえ、聞いているの? 私、綺麗でしょ?」
「ああ、そうだな。似合っているよ」
「そうよね! 次のパーティーが楽しみだわ」
デスクには決裁のための書類が詰まれているのに、なんて能天気なのかと気づかれないように溜め息をついた。
これ以上居座られるほうが時間の無駄だとそう答えると、妻は満面の笑顔を浮かべて出て行った。
椅子に背凭れに、ずるずると背中を預ける。
「ああ~、何もかも面倒だ。クロエがいた時は楽しかったなぁ」
やることが多くて、なぜ自分だけが頭を抱えなければならないのか。
長く勤めていた使用人たちもこの三年間で何人か辞めていき、支払う給与は減ったはずなのに金は増えず仕事が増えるばかり。
「クロエ、早く帰ってきてくれ」
クロエが家を出ることになった時、当然寂しさはあったが小言を言われることもなく、今の妻と娘がぴりついているのを見ないで済むと喜んだ。
跡取りの問題もなくこれで互いに幸せになれると、実の娘も望んだことだし最後に父親らしいことができたと心から安堵していた。
最初の半年はやる気を出し、領地のためにといろいろ案も出した。だが、だんだんと財政が回らなくなる。圧迫していく。何も面白いことはなかった。
クロエとあんな約束をしなければよかったと、後悔がばかり募っていった。
約束通り、クロエは一切金銭の援助を求めることなく近況報告もなかった。
漏れ聞く話では上位に成績を修め邁進しているようで、無事卒業すれば好きにしていいと契約書を作成しているし、こちらからは何もできなかった。
窓の外を見て、娘を思い馳せる。
「父さんは寂しいぞ」
あともう少しでクロエも卒業となり、このまま連絡もなく本当に縁が切れてしまうのかと孤独感に苛まれていた。
そんな時、イレイド侯爵家のご令嬢であるビビアン嬢に、クロエの活躍についてと今後の展望について話をもらった。
初めは娘と交わした契約書のことがあるため断ったが、理由を訊ねられ契約について話すと、契約書があった上での自分たちにとって好待遇の提案をされた。
ビビアン嬢に気に入られたクロエが、今後も令嬢のもとで活躍する機会をもらえたのなら安泰だ。
きっといい嫁ぎ先も紹介してもらえると好条件に承諾し、契約書についても任せてと言われたため預けることにした。
クロエがイレイド侯爵家との関わりがあるのは伯爵家のためにもなる。それらも含めて、優しい娘が喜んで帰ってくるのを待つだけだった。
だが、アカデミーを卒業したはずのクロエはいつまで経っても帰ってこない。近況をしたため、会いたい気持ちとともにつづった手紙は宛先不明で返ってきた。
ビビアン嬢に契約の件はどうなったのか訊ねたが、そちらも応答はなく時間だけが過ぎていく。
「伯爵様、イレイド侯爵様からの手紙が届きました」
「わかった。そこに置いておいてくれ」
先日、借金の返済の遅延を申し出たためその返事だろう。
一番上に置かれた封書をすぐさま開ける。
これまで何度か延長を願い出て許してきてもらっていたため、今回ももちろん承諾の返事だろうとハストン伯爵は疑ってもいなかった。
だが、開けた手紙には否の返事。
「やばいぞ」
先ほど購入したドレスについても、侯爵家の許しが前提であったため強く反対しなかった。だが、こうなってくると話は違う。
「侯爵に返す金を今すぐかき集める必要がある。さっき購入したドレスの返品手続きを! ここで返済を滞ると今後にも影響してくる。急いでくれ」
「わかりました」
こんなはずではなかったがどうしようもなく、まずできるところから金を集めるしかない。
妻は怒るだろうが、家がつぶれては元も子もないのでさすがにわかってくれるだろう。そう思っていたが数分後、バタバタと騒がしく妻が現れた。
「あなた、ドレスを返品なんてみっともないことをさせるなんて。次のパーティーに行けないじゃない」
「しばらくはあるドレスで行きなさい」
さすがに今回ばかりは我が儘を聞いていられない。
まったくドレスがないわけではないし、妻にはこれまで十分に与えている。
「そんなの恥ずかしいわ」
「なら、しばらくは行くのを控えればいい」
クロエはこんな我が儘を言わなかった。こんなにお金がかからなかった。
アカデミーも自分の力ですべてやり切り、この三年間、イレイド侯爵家の覚えもよく、金を借りることができ新しい事業を始めることもできた。
「あなた、冷たくなったわね。ドレスぐらいで狭量すぎない? ほかの皆さんはいつも新しい物を着飾っているのよ」
「よそはよそだ。とにかく新事業の回収の目途が立つまで大人しくしてくれ」
「大人しくってどういう意味? パーティーの参加は妻である私の務めよね?」
「それだけが義務ではないはずだ」
こちらは危機に瀕しているのに、自分のことばかり告げる妻に初めて声を荒げると、妻は泣きそうな顔をした。
「な、なによ」
「頼むから、言うことを聞いてくれ。伯爵家がどうなってもいいのか? そうなれば贅沢どころか今ある物を売る羽目になる」
婦人同士の繋がりを軽んじているわけではない。女性がうまく立ち回ってくれるおかげで、成り立つものもある。
だが、これまでに妻がいい縁を繋げてくれたことはなかった。なら、行かなかったところで何も変わらない。
「わかったわ。しばらくは我慢する。だけど、早くなんとかしてね」
声を抑えながらも真剣に告げると、現状を知ろうとも、一緒に何かしようともせず、拗ねた顔をして妻はしぶしぶ出て行った。
こんな時に前妻だったら、クロエがいたらと思わずにはいられない。
「クロエ。どこにいる? 頼むから早く助けてくれ」
クロエならこの気持ちを分かってくれる、ひとりで抱えることなく今度こそ二人で頑張れる。
ハストン伯爵はここから地獄の始まりだとも知らずに、娘が帰ってくるのを今か今かと待った。




