22.契約の行方
さすがビビアン。この状況でも自分が有利であることを疑わない。
それなら私も全力で反撃するだけだ。
「私はアカデミー卒業と同時にハストン伯爵家と縁を切ります。伯爵とはそう契約を交わしました」
「そんな勝手が許されると思うの? 伯爵家が困っているのに何もしないとは、親不孝者じゃないかしら?」
私が家を離れることを当主が許したのだから、他人には関係ない。侯爵家への恩は父たちが返していくべきだ。
「私は当主との約束を履行しましたので、誰にも咎められるようなことはしておりません。いくら恩義があるとはいえ、他家の事情に首を突っ込む資格はないのでは? 家の者は健在なのですから、彼らがすべきことを私に押し付けられても困ります」
「それよ! 私も契約は聞いているわ。だけど、親子間での契約でしょう? 伯爵はあなたに去ってほしくないって言っていたのよ」
契約は契約だ。
思うところがなにもないわけではないが、情に流されるつもりはない。
「それでもです。私の意思は変わりません。卒業証明書も発行いただきましたので、条件は整いました」
もちろん寂しい気持ちもあるのだろうが、父は一人で背負いきれないから誰かに肩代わりしてほしくて、楽をしたくて、私に戻ってきてほしいだけだ。
精一杯の努力もせずにすぐに人に頼り、相手のために自分を犠牲にするつもりはない。伯爵家の現状を招いたのも父なので、なおさら自分でどうにかすべきだ。
「卒業と同時にとはいっても、あなたはまだハストン家の者でしょう? ハストン伯爵家はイレイド侯爵家の支援があってこそよね? さすがにクロエの勝手をイレイド家の者として認めるわけにはいかないわ。契約に関しても任せると私が持っているの。だから、あなたたちで交わされた契約は無効になるわね」
「――!?」
契約書を渡してあるとのことに、開いた口が塞がらない。
どこまでも他人任せなのか。やはり父は父だった。
呆れて溜め息が出る。家を、父を捨てることに、罪悪感を覚えることさえもバカらしくなる。
言葉が出ずに黙っていると、ビビアンが続ける。
「伯爵様はあなたが輝ける場所は私のもとだとおっしゃっていたわ。だから、娘であるあなたは親の期待に応えるべきじゃない? これまでのことは厳しくしすぎたかもしれないけれど、そのおかげであなたの有能さはわかったもの。私のもとならきっとあなたも恩恵を受けることはできるわ」
働き口も失って、契約書も手元にあるから逃げられないだろうとビビアンが告げる。
ついでにこれまでの私への仕打ちも正当化しようとの言葉は、どこまでも強かだ。
――こういう人たちはどこまでいっても変わらないのよね。
常に優劣をつけ、下だと思った者の意思は関係ないのだ。
父との間でその契約書がどのように変化をしたのかわからないが、私が一度でも頷けばその契約に縛られてしまうだろう。
やはりこうくるかと、悪い予想通りの展開にノアを見た。
ノアは瞬きで私に合図を送ると、彫刻のような冷たい表情でビビアンを見据える。
「その契約はすでに無効だな。確かに契約書のレベルによっては書き換えられるだろうが、書き換えには両人の承諾が必要だ」
「そうよ。だから、クロエさえ承諾すれば丸く収まる話でしょ? 何も悪くないはずよ」
これがあるから、ビビアンはずっと強気だったのだ。
役に立つからとはいえそこまで私に執着する理由はわからないが、私が逆らえない状況を作り頷かせ、契約を強いものに変えさらに私を縛ることが目的だったのだろう。
ノアが動いてくれなかったら契約書を手に脅されていたのだと思うと、ぞっとする。本当に危なかった。
「本人の意思を無視して契約を書き換えようとは随分勝手だが、クロエは契約内容を履行した上で、すでに次の契約を結んでいるからそれは紙くずも同然だな」
「新たな契約?」
ビビアンが眉を跳ね上げた。
アカデミーで私にしてきたことが周囲にばれてから、感情のコントロールができていないようだ。
――本当に立場が逆転してる。
私とビビアンの間には、どうしても超えられない立場の差があった。
彼女の手から逃れるには何もかも捨てなければ無理だと思っていたけれど、大事な物を手にしたまま反撃できている現状に胸が熱くなる。
私は背筋を伸ばし、ビビアンを見据えた。
「私は父との約束を守り、学園長に卒業証明書発行してもらってすぐにノアと契約を交わしました」
「何を勝手なことを!」
自分の予定になかった展開に、ビビアンが焦っているのが伝わってくる。
「家の助けを借りずアカデミーを卒業するという契約を遵守したうえですので、契約違反はしておらず勝手ではないはずです。なので、ビビアン様の話には応じられませんし、応じる気もありません」
「神聖国の契約書だから覆すことはできない」
「なっ! 神聖国だなんてよくもそのような嘘をつけるわね。そこまでして家を裏切りたいの?」
自分の言葉ではっきり告げ、さらに補強する形でノアが言葉を乗せると、ビビアンがすぐさま否定しにかかる。
私を悪者にしようとするのはいつものことだがノアの言葉までも疑われてむっとしていると、周囲からも訝しむ声が届く。
「いい加減にしてください。都合が悪ければ全部嘘ですか? 学園長や教授も証言してくださっているのに、どれもこれも認めないと? 私の主張が本当であった場合、どう責任を取るつもりですか?」
ノアを見習って、できるだけ余裕があるように見せるために私はとびっきりの笑顔を浮かべた。
特に文句を言っていた者にどうなの? と視線を巡らせると、男性たちは息を呑み黙り込んだ。
――おっ、私にもできた!
こういう笑顔の使い方って便利な武器を使えたとほくほくしてノアを見ると、面白くなさそうに眉をしかめ周囲を睨みつけていた。
すると、「ひっ」と悲鳴を上げて、数名の生徒たちが後退っていく。
――なんだ、ノアが脅していたのね。
せっかく今後の生き抜く術のひとつを得ることができたと思い少し残念だが、静かになったのでよしとする。
私は逃げも隠れもしないと挑戦的にビビアンを見据えた。
難癖をつけられるのはもううんざりだし、この関係性を終わらせてしまいたい。
「クロエこそいい加減にしなさい。ノアまで巻き込んではしたないと思わないの? 門出となる大事なパーティーで騒ぎ立てて。私が声をかけた時に頷いていればこんなことにならなかったのに、ものすごくみっともないわよ」
「事を荒立てたのは私ではありません。そもそも絡んで言いがかりをつけてきたのはビビアン様でしょう? それを私のせいだとおっしゃるのは納得できません」
そうやってすぐに私を貶め悪者にしようとするが、今日ばかりは絶対屈するつもりはない。
ぴしゃりと言い捨てると、ビビアンが青筋を立てた。
「なっ! 生意気ね。あながの現状で私に逆らってこの国でやっていけるわけがないでしょう? 手を差し出されているのだから、素直にありがたがればいいのよ!」
「私は家にも帰りませんし、ビビアン様のもとにも行きません。私はノアと一緒にこの国を出ていきます!」
自分の口でこれからのことを告げると、ノアが私の肩を掴んだ。
「よく言った」
満足そうな顔で頷いたノアに、私もすっきりした気持ちで頷いた。




