16.ノアの正体
「刺すぞ」
「ええ」
それが最後の確認となった。
いつビビアンの邪魔が入るかわらかないので、納得したなら契約を済ませてしまおうという話になった。
ここがアカデミーの敷地内であることから、決して油断はできない。
正直、疑問はまだ尽きないし想定外のことが起こり過ぎて正常に判断できているわけではないが、ここで邪魔が入ることのほうが後悔する。
今の状況を脱するにはノアに頼るほかない。
入り口から見えない位置に移動し、それぞれの卒業証明書に血を垂らす。
そうすることで、偽装防止し各所で必要に応じて本人確認することができる。これも冒険者プレートと同じ仕組みだ。
それから神聖国の契約書にまず私から名前を書く。少し手が震えたが、迷いはない。
「書いたわ」
「俺の番だな」
思ったよりも綺麗な字を書くなと見ていたが、綴られた文字を見て私は大きな声を上げた。
「ノア・ナサニエル・ブレイク?」
「そうだ」
「ちょっと待って! テイラーではないの?」
「ああ。テイラーはアカデミーに入るにあたり借りた名前だな」
テイラーは親戚筋の名前で、ノアが隣国から来たことは学園長と王などこの国の一部の者しか知らないらしい。
理由は変に注目を浴びるのが面倒なのと、この国の学生の実力や人となりを知っておきたかったから。
ブレイク家と言えば、一つ思い浮かぶ家門がある。
――まさか、まさかよね?
これまでの出来事を思い返し考えれば考えるほどそうとしか思えないが、違ってくれと思いながら恐る恐るその名を口にする。
「ああ~、ブレイク家ってウェスタニア王国の?」
「そうだ。やはりクロエは博識だな」
「他国に興味があればすぐに知れる名前だから」
このラグーゼ王国の隣、聖剣国家であるウェスタニア王国には最強の盾と矛と言われる公爵家がある。
盾のブレイク家と矛のガルシアド家だ。有事の際は血の気の多いガルシアド家が外に出て、ブレイク家が敵の侵入を許さない。しかも、ブレイク家は王家の親戚筋にあたる。
歴史を学ぶ際に登場する二家は今も最大戦力を誇ると言われており、ウェスタニア王国と表立って敵対しようという国はない。
しかも、ウェスタニア王国の北方にある土地の中には独立国家として神聖国がある。
現聖下の神聖力は歴代最高と言われており、ウェスタニア王国を攻撃することは神聖国への挑発ととられかねずあらゆる意味で最強だ。
「なら話は早い。クロエは俺と一緒にブレイク家に来てほしい」
「後出し感……」
ブレイク家の長男は私と同じ歳だったはずで、ほかに男児はいないためノアは次期公爵になる。
卒業証明書をもぎ取ってきた時から只者ではない気がしてきたが、かなりの大物が出てきた。
「どこの国とは聞かれなかった」
「確かにそうだけど」
最初に提案された時はどこかに働きに出るとか、伝手があるくらいに思っていた。
「まあ。これで契約は完了した。今更嫌だとは言わないよな?」
「さすがにそれはないけど……。そうね、これからよろしく」
ここまで動いてもらって文句はない。ノアが言うように、先に私が聞いておけばよかった話だ。
それに大きな家門の名にびびってしまったが、精霊信仰のあるウェスタニア王国は興味があった。
そこで仕事ができるのは、よくよく考えればかなり私にとって好条件だ。ノアという後ろ盾があるのもまたいい。
「ああ。よろしく」
「それにしても、よくも一日でこれだけのことをできたよね? かなり無理させてしまったのではないか心配だわ」
どれだけノアが魔法に優れていたとしても、驚くような身分であったとしても、到底一日で成し遂げられるようなことではない。
「学園長のほうへは人を使ったが、神聖国には自分で行く必要があったから行って来た。なんとか間に合ってよかった」
「間に合ったとかいう問題じゃないよね?」
これからの生活に関わる誓約の内容ばかり気になり後回しになっていたが、実はこっちのほうも捨て置けないのではないか。
神聖国まで行くには普通の手段だと二十日ほどかかる。
しかも、契約書を出してもらうのには事前のアポイントは必要だ。どのようなやり取りがあったのか想像できなさすぎて聞くのが怖い。
「間に合わなければ、卒業パーティーに出られなかっただろう?」
「パーティーは重要ではないと思うけど」
「あの女の鼻を明かしもせず出ていくつもりか?」
証明書をもらえれば、最初の目的は果たせている。アカデミーでろくな思い出もないので、パーティー出席にはあまり興味はなかった。
「卒業証明書を手に入れることができただけで奇跡に近いわ。これで解放されるのなら私は十分だけど」
むしろ、顔を見てまた嫌味を言われるのが面倒くさい。
「確かに顔を合わせず終わらせるという選択もあるが、せっかくの機会だ。少しくらいやり返したいとは思わないか?」
「そう言われれば、そうかも?」
「だろ? この三年間の雪辱を果たしても罰は当たらない。大きな舞台なら効果はあるだろう」
卒業後の生活が確保され余裕ができたからだろうか。
これまで振り回された分、最後くらいは私がビビアンを取り乱す側に回るのもいいかもしれない。
私が堂々と卒業証明書を持っているとわかれば、ビビアンだけでなく、退学をちらつかせていた教授や副学園長はかなり衝撃を受けるだろう。
彼らのしたことが無駄であったことを示すだけでも、少し気が晴れる気がした。
「ええ。そうね。最後くらいは悔しがる姿を見てみたいわ」
「よし。なら時間はない。さっそく動かないとな」
全く考えていなかったがノアの提案に卒業パーティーに出る価値はあると頷くと、まるで自分のことのように嬉しそうに笑うノアにぽんと頭を撫でられた。
その大きな手と温もりに安堵を覚えながらも落ち着かなくて、私は知らないふりをして今後について話を振った。




