15.誓約
手に取ってみると、ノアが出してきた契約書はかなり上等なものだった。
紙質はこれまでに触ったことがない物で、読めない言語が書いてある。古代の言語で書かれたそれは独自の形態をしており全く読めないが、何であるかはわかる物だ。
「これは神聖国の契約書では?」
契約書には種類があり、双方のサインを合意とし契約とするのが一般的で、私と父が交わしたのはこちらだ。
私たちには手が出せなかったが、ほかには大貴族や権力者が大事な場面で利用する魔法契約書がある。
こちらは用紙を用意するのにもお金がかかるが、簡単に書き換えることが出来ないものになっており、重要な契約では重宝されている。
そしてその最高峰と言われているものが、神聖国の誓約つきの契約書だ。
神聖国は神の力を行使する。神官は癒やしに特化しており、神と精霊を崇め彼らに力を借りているというもの。救いを求めて世界中から人々が神聖国へと集まる。
まず発行されるには神聖国の神官の許可がいる。本来なら神官の前で契約を交わす必要があるのだが、サインした段階から効力を発揮される。
つまりここでサインし提出するまでは仮とはなるが、神なのか精霊なのかそういった加護が働く。
そのためどんな権力を持ってしても破棄しない限り介入できない、神聖なありがたい力が宿っている契約書だ。
「さすがクロエだな。それは神聖国の物だ。知っての通り、神聖国の契約書には誓約も含まれ魔法契約書よりも一段上となる。それらを破棄したければ、互いの了承を得て神官の前で再度破棄を申し出るしかない。他者の介入は許されないものだ」
「うわぁ」
ノアの家族への説明もそうだが、神聖国の契約書まで出てきてかなり大事になっている。
正直、規模が大きすぎてドン引きだ。
「これなら誰にも邪魔はできない」
「確かにそうだけど」
セキュリティーはこれ以上ないくらい万全だ。これさえあれば、この国の王でさえも手出しできない。
この契約に対して、最高の後ろ盾を得たことになる。
「これだと読めないのだけど」
「ああ、だからこちらに要約したものは書いてある」
渡された別紙に目を通す。
衣食住の保証と、金銭の最低額の支給保障と交渉可能であることや仕事に応じて臨時ボーナスも出ることも書いてある。
それに対して私は守るべきこととして、必要と感じた場合は力を惜しむことなく発揮すること、知り得た機密情報は他言することを禁ずるなど、仕事をするうえで当たり前のことが書かれていた。
あとはノアのもとを許可なく離れないこと、危険なことはしないことなど、安全面について書かれておりどちらかというと保護に近い内容だった。
いろいろ気になることはあるが、誓約の部分が一番首を傾げる内容だった。
――これ、ノアが作ったと思うとちょっとびっくりな内容よね。
こちらは文字通り誓約。互いに誓って努力していきたいねという内容なので、そこまで拘束力があるわけではない。
だが、その内容はこちらの想定外のものだった。
特に目を引いたのは、どんなときもお互いを信頼し、尊敬し、共に助け合い生きていくことという項目だ。
具体的には、
・常にお互いに正直で、お互いの一番の理解者でいること。
・相手を思いやり助け合う。
・喧嘩をしても必ずその日のうちに仲直りをする。
・できる限り食事は一緒にとり、祝い事は毎年一緒にお祝する。などなど。
仲良くなるためのルールというか、変わった誓約であった。
「食事を一緒にするとか、喧嘩しても早めに仲直りとかって盛り込む必要はある?」
「ああ。まだ互いに知らないことも多い。だからこそ意見が衝突することを厭うのではなく、喧嘩した後でも距離を空けずに向き合い、気持ちを尊重しながら仲良くしていきたい」
「なるほど」
これまで顔を合わせれば言い合いをしていた私たちだから、今後意見の衝突は大いにあり得る。
だけど、それはそれで悪いと捉えているわけでもなく、意見はぶつかり合ってもそれ以外のことまで険悪にならずに建設的に生活していくための提案らしい。
「本来なら慌ててするようなことではないが、どうなるかわからないからな。思いつく限りのことは盛り込んでおいた。契約は外敵から守るためのものだが、誓約はこれからの気持ちを記していると考えればいい。自由のためには身の安全の確保と心も健全であるべきだろう?」
「そうね。身心の状態はパフォーマンスに影響を与えるものね」
ノアのもとで働くだけなのに、神聖国や神官が出てきて自分のことなのに知らぬ間に規模が大きくなり、気持ちが追い付いていないというのが正直なところだ。
契約は私が不利になることは書いていないが、誓約の部分は盛り込む必要があるのか疑問に思う箇所が多すぎる。
「だからこそのこの契約と誓約だ。互いに協力すれば大概のことは成しえると思わないか? 俺と一緒ならどこに行くよりも自由にしたいことができるはずだ」
「すごい自信ね」
「クロエと一緒なら楽しめる自信があるからな」
だが、仲良くしていきたいと前向きなノアの気持ちの表明だとするならば反対するようなことではない。
身内と縁を切る私にとっては、他者との繋がりを明記されることで頼もしささえ覚える。本来なら、国を出ることで感じる不安や寂しさが薄れる。
なかば押し付けであるが、ひとりではないぞと言われているようでくすぐったくもあった。
「つまり元気で互いに仲良くしましょうということよね? ほかのことも含め、この条件は私に都合が良すぎるような気ももするけど、あなたとならいろいろ挑戦できそうだしやってみたいと思う」
「身ひとつで国を離れるんだ。これくらいすべきだろう。俺はクロエが欲しいと言っただろ? この条件でクロエが安心して俺のもとに来てくれるならそれでいい」
まるで家族のようにノアが一緒にいると錯覚するような文面の数々に、気負っていたところを気張り過ぎるなと撫でられているような気がした。
自由を得る代わりにすべてを背負わなければならなかった重責が、ひとりではないどころかさせてたまるかと誓約が訴えてくる。
「そこまで好意的なことに驚きなのだけど」
「ずっと評価は高かったぞ。だからこそ、あんな女に使われて腹が立っていた」
思い出したのか、ちっと舌を打つ姿はガラが悪いがどこか品が漂う。
それは顔がいいからもあるだろうけれど、ノアの持つ独特の空気感によるものだ。それらがどのようにして培われたのか、どうしても目を離せないものがノアにはあった。
じっと見ていると、ノアがふっと笑みを浮かべる。
その柔らかさは向けなれないもので、私は慌てて視線を逸らした。
――もう、心臓に悪い……。
とんでもない人に借りを作ってしまったのではと思う反面、ノアのそばならきっと毎日が新鮮で自分らしく生きていける気がした。
そっと視線を戻すとノアはまだ私を見ており、そのあまりにも優しい眼差しに気づけば頬を緩めていた。




