13.事前準備
卒業イベントを控えた前日の穏やかな陽気に恵まれた午後。
私は落ち着かない気持ちを鎮めるべく、アカデミー内にある植物園で水やりをした後、一角でシートを広げ自前のサンドウィッチを食べていた。
魔法で管理された植物園はいつ来ても珍しい花が咲き誇り、太陽の光とはまた違った意志をもった拳大くらいの柔らかな光がときおり私の周囲をふわふわと飛ぶ。
最初は驚いたが、その光は何をするわけでもなく楽しそうに私の周囲を舞っているだけだった。
結局最後まで正体はわからないままだが、光が寄ってくると今ではほっとするくらい存在に慣れた。
アカデミーであまりいい思い出のない私でも、この植物園の景色、そして懐かれているように感じる光ともお別れだと思うと少しだけ寂しく感じる。
感慨深い気持ちで光に向けて手を伸ばし目を細めていると、どすんと遠慮なくひとりの男が私の前に座った。
「最後までぼっちまっしぐらだな」
聞き慣れた声に私は眉を寄せると、ノアは艶のある黒髪をかき上げこちらを見てにやりと笑みを浮かべた。
「そっちこそいつもひとりだったじゃない」
「俺はひとりがいいんだ」
ノアは当然のように私の手元にあるサンドウィッチを奪った。
「あっ」
「腹が減った」
一口でサンドウィッチを放り込み、汚れた親指をぺろりと舐めたノアはまた手を伸ばしてくる。
条件反射でランチボックスをすかさず遠ざけかけたが、以前と関係が変わったのだったと元の位置に戻す。
「好きなだけ食べてもいいわよ」
よく見たら目の下にくまができ、少しやつれている。
何をしてきたのかはわからないが、睡眠を削って無理したようだ。
一昨日約束をしてから、ノアには一日待てと言われていた。
私はどっちに転んでもいいように荷物はまとめいつでも動けるように準備し、ノアからの連絡があるまではと不安を押し殺しながらじっと待った。
その間、ビビアンやステン副学園長、アルバーン教授が代わる代わる答えを急かしにきたが、そのたびにきっぱり断りを入れた。
これでもかと不安を煽ってきたが、私は一度も縦に首を振らなかった。
教授たちは蔑むような視線を隠さなかったし、ビビアンは当然怒り、「後悔しても知らないんだから」と捨て台詞を吐いていった。最後に見た顔は、忘れられないほど歪んでいた。
それを見て、ビビアンに関わることのほうが後悔すると私はさらに気持ちを強くした。
たとえノアが約束を履行できなかったとしても、最後まで戦って自分らしくあれたことに妙にすっきりした。
あとはノアがもたらす結果を待つのみだったが、正直昨日から今まで気が気ではなかった。
「うまくいったの?」
「ああ。ここに。学園長の印をもらってあるから有効だ」
懐から出したのは、アカデミー卒業認定書の文字が書かれた証明書だった。
「えっ、うそ。本当に?」
「ああ。これさえあればいつでも出ていける」
目の前に差し出され、まじまじと確認する。
はがきサイズの証明書は、与えられた者の血を一滴垂らすことで偽装することのできない唯一の証となる。
構造は冒険者が持つプレートと一緒だ。
それさえあれば他国でも魔法の実力を保証されるもので、希望する働き口に見せる物としてはかなり有効な身分証になる。
アカデミー卒業はそれだけの価値があった。だから、ここの卒業は自由を得るために私にとって大きな意味を持つ。
「すごい! でも、どうやって? 学園長は王城に出向いているはずなのに」
「そこはまあ、いろいろな」
何のこともないと淡々とノアが告げる。
子爵家の令息がどのような伝手を使ってもぎ取れたのか不思議ではあるが、一つ目の約束を守ってくれたことにまず礼を言う。
「ありがとう」
「どういたしまして」
期待しないようにはしていたけれど、選択肢が出た時点でどうしても期待してしまっていた。
駄目だったとしてもノアのせいにしないように、そちらの想定も考えて動く準備もしていた。
抑えつけていた期待が爆発する。
これさえあれば自由の幅は広がり、諦めなくてもいいことが増える。ものすごく嬉しい。嬉しすぎて頬が緩む。
身体を乗り出し触れようとしたら、ノアが証明書を再度懐に仕舞う。
「あっ」
「ちゃんと後で渡す。先に対価について話したい」
「ええ。確かにそうね。してもらってばかりは私も心苦しいもの」
短時間で不可能だと思えることを可能にしてくれた。
まずは誠意と可能性を見せてくれた。それから具体的な対価の話は、こちらもしやすいしありがたい。
「これで俺のこと少しは信用できたか?」
「可能かどうかとは別に、最善で動いてくれるとは信じていたよ」
「――そうか」
失敗しても仕方がないとは思っていたが、ノアが裏切るとかそういった心配はしていなかった。やると言ったのだからやってくれる。だから、大人しく待っていた。
そう告げると、ノアの表情は変わらなかったが耳が赤くなった。
――少し照れてるのね。
この前から少しずつノアの見方が変わってくる。
これまではぶっきらぼうだったし、常に言い合っていたからそういったことに気づかなかった。
気づくと、少しぶっきらぼうなのも微笑ましく思えるのだから不思議なものだ。
ふふっと笑っていると、小突かれた。
突っかかってきていけ好かない人だと思っていたが、照れた上でのこれなのねとわかると以前より親近感を覚える。
「んんっ。ここから具体的に話を詰めて契約を交わそう」
「わかった」
ノアは懐から違う紙を取り出した。




