12.提案
「えっ?」
唐突な申し出に目を丸くすると、ノアはビビアンに傷つけられた私の手を取った。
「国を捨ててもいいと考えるくらい伯爵家やあの女から離れたい気持ちがあるなら、そうしたいならすべてを俺に預ける気はないか?」
「預けるとは?」
大きな手に包み込まれ、視線を投じた。
これまで一切そういった接触はなく、触れ合うのは今日が初めてであったが妙にしっくりくる。
「俺はお前を高く評価している。正直、このまま卒業して別れるのは惜しいと思っていた」
「そうなの?」
そんなに評価してくれていたとは知らなかった。
「ああ。だからこのまま泣き寝入りなんて許されないし、卒業資格はなんとしてでも取っておくべきだ。あんな女の思い通りにはさせない」
傷に触れないよう、そっと労わるように撫でられる。
しばらくそのまま預けていたが、何度も撫でられそのあまりのしつこさに私は声を上げた。向けられる優しさにどのような態度を取ればいいのかわからず、視線が泳ぐ。
「……ねえ、何しているの?」
「今後、こんなにやすやすと傷つけられることを許すな」
ノアは傷をじっと見据えていたが、金の瞳を私へ向けると氷のような声で告げた。
労わりと怒りが混在した感情に当てられ、身体が一瞬竦む。
慣れないけれど、もしかしてという気持ちは確信に変わり、おずおずと訊ねる。
「私のこと、心配してくれているの?」
「当たり前だろ! いい加減、つらいなら人に頼ることも覚えろ。何度もその機会はあったのに全部無視しやがって」
私が頼ることを待っていて、頼らないことに怒っていたらしい。
「ふふっ。あの態度でわかるわけがないじゃない」
これまで絡んできた本当の意図を知り、笑いが漏れた。
――こんな人だったなんて。
さっきまで人の醜悪さに絶望していたけれど、わかりにくかったがずっと私を気にかけてくれた存在に温もりを教えられる。
自然に笑えていることに自分でも驚いた。
「これでわかっただろ? これからはそうしろ。実力があるのに受け身すぎて本当に腹が立っていたんだからな!」
「そっか」
「俺の手を取るか?」
彼らに一生使われるくらいなら、卒業資格を諦めるしかないと抗いたい気持ちとは反対に半ば覚悟は固めていた。
だから、まだやれることがあるだろとノアがそう言ってくれることに救われる。
「ええ。あなたの手を取るわ。ここまできて、卒業資格を諦めたくない」
「ああ。諦める必要はない。俺がなんとかしよう」
「どうやって?」
「いくつか考えがあるが、万が一ということもあるから成功したら話そう」
絶対ではないようだ。だけど、可能性があるのならそれに縋りたくなる。
卒業資格のために、自分がどれだけ頑張ってきたのかは自分が一番わかっている。自分の失態ならまだしも、こんな形で奪われて納得いくわけがなかった。
「お願いしてもいいの?」
「ああ。だが、動き出したら止められないから相当な覚悟は必要だ。やっぱりとなるのは避けたい。卒業資格を得ること、国を出ることはセットになるがその覚悟はあるか?」
「自分の意思で自分の結果を受け止められるのなら、一生この国に帰ってこられなくてもいいわ」
それで自由が得られ、我慢してきた日々が報われるのなら、喜んで国を出る。
「なら、約束を」
「約束?」
顔を凝視すると、唇に綺麗な弧を描きノアはそこで目を細めた。
「言い換えたら対価だな」
金の瞳がこちらを試すような光が揺らめく。
ここで私が引いたら、話はこれでお終いなのだろう。それだけの強い意思を感じた。
ゼロか百か。私に手を差し伸べることはノアにもそれだけの覚悟が必要なことで、このことは彼の人生にも関わってしまうのかもしれない。
私は大きく頷いた。
「約束するし、対価も払うわ」
「二言はないな」
現状、ほぼ退路を断たれた状態から切り拓けるなら、私にできることならなんでもしよう。
ノアが私の最後の希望だ。
「ええ。私が差し出せるものなら。そんな高価な物は今すぐには無理だけど、後で支払うなども可能にしてくれたらなんとかなる。あなたが今後困ることがあれば、私も助ける!」
これほどの状況をしかもあと二日で覆すというなら、どのような手段を持っているのかわからないが対価が必要なのはわかる。
むしろ、動いてもらう分の報酬を支払うことでウィンウィンな関係になれるのならありがたい。卒業したらお別れだと思っていたが、今後も関係が続くのならノアとは対等でいたかった。
「そんな難しいことではない。俺はお前が欲しい」
「私?」
まさかの提案だが、そこまで能力が認められているのだと思うと悪い気はしない。
「そう。働き口に関しては、どこで横やりが入ってくるかわからないからこの国では諦めたほうがいいだろう。アカデミーの卒業資格は他国でも通用するし、国を出るつもりなら俺のもとに来てほしい」
子爵家の田舎にということかな。そこから他国との仕事に繋げてくれるのだろうか。
「そんなことができるの?」
卒業資格を持つことが目標だった。
それが叶うのなら、この先、家やビビアンに関わらずに済む人生になるのなら国に拘らないし私はそれでいい。
「俺のそばでなら好きにしてくれていい」
ちゃんと成果を出しさえすれば、自由にしていいとノアは言う。
「働いた分の報酬はもらえるの?」
対価分は払うとしても、そこは大事だ。
恩があるからとなあなあにできないと訊ねると、くすりと笑われる。
「もちろん。相応の額は支給する」
できないことをできると言わない人だ。それなりの展望を持って、提案してきているはずだ。
「わかった。言う通りにする。この状況から脱せられるなら、私にできることならなんでもするわ」
きっとノアのもとなら有意義な時間になるはずだ。知っている人がいる。その安心感もあった。
もうこれ以上父の尻ぬぐいのために我慢するくらいなら、少しでも道があるなら、私のことを思い怒ったり笑ったりしてくれるこの人なら信じても大丈夫だと、私はノアの手を取った。




