11.救いの手
嫌な予感しかしない。
「結構です」
「ふ~ん。それは残念だな。ぜひとも俺の実力を知ってほしかったのに」
口でもお断りすると、口ほど残念に思っていなそうにノアは笑い、手を引っ込めた。
それから険しく目を細めると、ちっと舌打ちしていきなり抱き上げられた。
「ちょっと」
「大人しくしておけ。顔色がまだ悪い」
「でも……」
「さっきは要望通り大人しくしていただろう? 今度は俺の言うことを聞く番だと思わないか?」
そう言われると反論しにくい。
ノアは私の事情を察し、不利になることも厭わずずっと寄り添ってくれていた。目の前のことで手一杯だったけれど、彼がいてくれたことで気持ちを最後まで保てた。
「んっ。そうだね」
髪を耳にかけ頷くと、ぎろりとノアが私の手のある一点を見た。
「その手はどうした?」
「あっ、これはさっき彼女に爪を立てられて」
「あのくそ女。やることが陰湿だな」
ビビアンが出ていった扉を睨みつけ、ノアが悪態をつく。
「相手は侯爵家のご令嬢よ。誰が聞いているかわからないから言葉遣い気をつけないと」
「誰もいないから大丈夫だ」
さっきまでは絶望していた。
崖っぷちの状況は変わらず何か妙案があるわけではないが、私のことを自分のことのように怒ってくれるノアを見ていると、不思議と気持ちが落ち着いてきた。
図書館の近くにある談話室に移動し私をソファに下ろすと、ノアは一度部屋を出たが、水の入ったコップを手にまた戻ってきた。
「これを」
「ありがとう」
口をつけると止まらず、一気に飲み干した。
生き返る。渇きかけた心まで潤うようで、ゆっくりと目をつぶった。
飲み終えたコップを机に置くと、それらを奥へとやったノアはなぜか私の横に座った。
「事情を説明してくれるか?」
「面白い話ではないけれど」
「構わない」
力強く頷いたノアに一切茶化す雰囲気はない。
私は気持ちを落ち着かすように、窓の外に一度視線をやりノアを見た。
「私の家、ハストン伯爵家は多額の負債を抱えており、イレイド侯爵家に支援してもらいなんとか貴族の体を保てている。そのため彼女には頭が上がらないの」
そこでこれまでのビビアンとのやり取りを説明した。
ビビアンはなんでも自分の思い通りにしなければ気が済まない質だ。望みが叶わないと、たちまち機嫌が悪くなる。
自分が優位でいなければならず、自分の下につく者が少しでも目立つのが気に食わない。
だから、成績のよかった私をうまく使う方法を見出し、私が家のことで逆らえないことを知って次から次へと難題を押し付けてきた。
「それでイレイド嬢の言うことを聞いていたのか?」
「ええ。彼女の機嫌を損ねないこと。アカデミーに入る前に父とした約束なの」
だからどれだけ理不尽でも、三年間だけだと我慢し彼女に従っていた。
未来の約束を履行するために押し付けられたものを黙々とこなしていただけで、私自身がビビアンに屈したわけではない。
化粧やお洒落や髪型についても金銭的に余裕がなかったこともあったため、大人しく従っているほうが面倒はないと判断したまでだ。
だけど、いつしかそういった日常が精神まで浸食し、自分で自分を締め付けていたのかもしれない。
話を聞いていれば丸く収まる、三年間だけだからと、そうやってあらゆることを我慢し、ほかのことに気を配れていなかった。
日が経つにつれて、ここまで我慢したのだからと意地になっていた部分もあったかもしれない。
「ここまで頑張ってきたのに、卒業できないのかな?」
自分でもわかっていなかったことに気づかせてくれたのは、文句を言いながらもそばにいてくれたこの男だ。
こうしてなんでもないことのように髪紐を解いてくれたノアなら、と私はじっと彼を見つめた。
私の話を聞いていたノアは、組んでいた足を下ろすと私のほうへと身体を向けた。
足が触れたがそれを指摘することもどかすこともせず、ただ彼の言葉を待った。
「ほかの教授たちに説明すれば理解を得られるはずだ」
「でも、残り三日、実質二日で証明はできない。証人を集めるにしても、授業がない今の時期はそれぞれ自由に外出している。多分、それを彼女も狙って今日仕掛けてきたと思う」
学園長はこの二日学園の外に出ていていない。
卒業式のある日には帰ってくるが、助けてくれと懇願するにもそれでは間に合わない。今この学園で一番権限があるのはステン副学園長だ。
最後の最後でやってくれた。まんまとやられた。
「家には?」
「頼りにならないし頼りたくないの。むしろ、彼女の言う通りにしろと言うだけよ」
父にはとことん愛想が尽きた。どこまでいっても父は父であることを思い知り、情の欠片もなくなってしまった。
働き口のあてもなくなり、父に接触した瞬間、伯爵家とビビアンに自由を奪われてしまう。
このまま逃げるという手もあるけれど、そうすれば私の望む自由は手に入らない。
自由にはある程度お金は必要だ。そのためには稼がなければならず、その手段がなくなってしまったということが、それをあんな人たちに奪われたことに腹が立つ。
「そうなのか?」
「ええ。父とは、伯爵家とはアカデミー卒業を持って完全に縁を切るつもりだったの。だけど、先ほどの説明では簡単に覆されたみたいだけど」
「縁を切る?」
「そう」
ここまで来たら隠していても仕方がない。
情けないが、父親がどういった人物か、家がどのような状態か、アカデミーに出る前にした約束のことも赤裸々に語る。
「大変だったな」
「いっそのこと憎めたら楽だったのにと思うわ」
生まれた家には愛着があった。すべてが嫌いではなかった。
だから、伯爵家に少しでも役に立てるよう、出ていくと決めた身であったけれど、最後に少しでも伯爵家のためにできることをしてから出ていきたかった。
アカデミーで勉強して力をつけることが目的だったが、ハストンの家名を名乗っている以上、おかしなことはできないとも思っていた。
貧乏貴族だけれどその名で特別待遇を得ることができたから、せめて名乗っている間は、最後の親孝行をと考えていた。
それ以降は、何かあったとしても申し訳ないと思いたくなかったからもある。
「社会の上に立つ貴族である以上、恩恵だけではなくしがらみや義務はあるからな。力に屈しないためには力をつけるしかない」
「ええ。ノアも知っているでしょう? 権力者が右と言えば右に向かないと簡単に排除されちゃうのよ。さっきのはそれが如実に出たわよね」
ノアは子爵家で長子でもないため、少なからず権力がどういうものか否が応でも経験しているはずだ。私は伯爵家で借金持ち、ビビアンは侯爵家で政権に幅を利かせている家門の娘で、圧倒的にこちらのほうが立場は弱い。
話せば話すほど、挽回は無理なのかと思えてくる。
「愚痴みたいになっちゃった。話を聞いてくれてありがとう。最後まで足掻くけど、最悪身ひとつでこの国を出て一からやり直すわ」
ここまで頑張ってきたので悔しいが、話しているとそれもいいかもしれないと思えてきた。
私の言葉にぴくりとノアの腕が動いたかと思えば、少し身を屈めた彼が金色の瞳でじっと見つめ、これまでになく真面目な顔で口を開いた。
「それだけの覚悟があるなら、俺が手を貸そうか?」




