2:サンドボックスは松明から
// TODO: FireStarter implements SurvivalInterface
早朝の森は、湿った土の匂いと鳥の鳴き声に包まれていた。
周は昨夜の焚き火跡をぼんやりと見つめながら、深いため息を吐く。
「くそ……寝るどころの話じゃなかった。こういうのって、寝てから目が覚めて“やっぱ現実だった”って突きつけられるものじゃないのか?」
そう言いながらポケットからスマホを取り出すとストラップの小さな鈴がかすかに鳴った。
少しだけためらったあと、電源ボタンを押した。
スリープからの立ち上がりに数秒。やがてかすかに光った画面の奥から、やや眠たげな合成音声が応じた。
「おはようございます、マスター。現在地は……依然として不明です」
周は思わず笑った。
「お前も朝に弱いのか……。電池はどれくらい残ってる?」
「残量:97%。本体は安定動作中です」
「……そっか」
周は画面越しにぽつりと呟いた。
「お前、電源切れたりするのか? 俺、たぶんお前がいないと、ここで生きていける気がしないんだが……」
数秒の沈黙のあと、アイテルが優しく応じた。
「電力供給は正常です。マスターが望む限り、私はここにいます」
周はスマホを見つめたまま、小さく息を吐いた。
「分かったことがある。情報だけを糧にして、この訳の分からん森に居続けて生き延びるのは無理がある。火があったところで、煮炊きもできん。ないものだらけだ」
「そうですね。マスター、体力のまだあるうちに移動するのが賢明です」
「よし……動くなら準備しなきゃな。周辺マップの確認はサンドボックスの基本だ!なあ、アイテル。移動するなら最低限、準備しておくべきものってあるか?」
「はい。現代の災害対策マニュアルおよび、複数のサバイバルハンドブックから参照します。推奨される持ち物は以下です──
・簡易の杖(移動補助および防衛用)
・水の確保手段
・火起こし用の火打ち石または摩擦素材
・包帯代用となる布や繊維素材
「なるほどな……分かった。ちょっと探してくるか」
周は森の中を歩き回り、折れた枝の中から適度な長さのものを拾って杖にした。
昨夜、焚き火の近くで干していたシャツの切れ端は、腰布として巻きつけた。
周囲の石を色々と叩き合わせて火花が散ることを確認する。
昨日の川で水を汲み、水は唯一のインベントリであるポーチから、コンビニのレジ袋を利用した。レジ袋に入れた水はポーチの中でちゃぷちゃぷと音を立てている。
“我ながらショボい装備だ。持っているだけでなく、装備しても効果がなさそうな貧弱さだ”
「……まあ、何とかなる。たぶん、今のところは」
スマホ越しに、アイテルがそっと囁いた。
「マスター。私が居ますよ」
森を抜けようと歩き始めたのは日が高くなってからだった。木々の隙間から漏れる日差しが不思議と暖かく、生き物の鳴き声が時折、森から聞こえてくる。
「太陽の動きと地形から、北西方向に向かうのが最良であると推定されます」
「そのくらいしか頼れないってのは心細いな」
やがて、獣道のような細い道を見つけた。人の手が入った形跡はないが、明らかに何かが通った跡だった。それを避けて、周は慎重に進んだ。
すると──
「……!」
茂みが揺れた。目の前に現れたのは、狼に似た四足獣──だがその頭には三つの目が並んでいた。その眼は右目が二つ、左目が一つという気味の悪い左右非対称をしていた。牙は長く、むき出していて、自らが肉を食らうと主張しているようでもあった。
「アイテル、これ、なんだ……!?」
「データベースに該当生物は存在しません。未知種。最大限の警戒を推奨」
「そりゃ、狼ではない。どっちにしろ、絶体絶命だけど…」
目線は外さず、周は背後に少しずつ距離を取る。
「だいたいこういうのは序盤を乗り越えられる能力くらいは与えとくものだぞ、畜生!というよりこいつは動物なのか!?」
「回答は出来かねますが、動物であれば火が本能に干渉する可能性はあります。威嚇行為としては有効かもしれません」
「松明くらい用意しとくんだったな!」
「ゲーマー失格ですね。マスター」
「今、言う冗談か!!」
杖を構えて距離を取り、隙を見てそばの大きな木の陰に隠れる。少しの時間くらいは作れるだろうか。
「アイテル、アラームを鳴らしてくれ!大音量で!」
「了解しました」
アイテルの返事と共に大音量でアラームが鳴り始める。その自然界にはない音に、獣は怯み、警戒した様子を見せる。
周はポーチに入っていたティッシュを丸めてを火種にし、必死に火打ち石を擦る。石を打つたびに、獣が低く唸るのがアラーム越しに聞こえる、木を陰にしていてもじわじわと近寄ってきているのが分かった。今は、すぐに食らいついてこない幸運に感謝していた。
「頼む。頼むからついてくれ!!」
火花が舞い、火種に煙が立ち上った。悠長に風を送っている暇などはない。吹き消すような勢いで、空気を送り最低限の種火になった。
周は、震える手で、布に火を点けようとする。
周は心の中で思う。”こんなもん火が付くのか?今のうちにどっか行ってくれ、頼む。”
神に通じたのかは知らないが、ほんの少しだけ、布に火が灯った。周はそれを近くの枯草に向けて放り投げて、残ったいくつかの布にも火を点けて放り投げた。
この辺りは昨日居たところよりも乾燥しているのか、周りの下草に燃え移る。
炎が立ち上がると、三つ目の獣は一歩、また一歩と後退し、唸り声を上げながら森の奥へと姿を消した。
燃えていた下草は、それほどの勢いにはならなかった。
周は力が抜けたようにその場に座り込んだ。呼吸を整えながら空を見上げる。
体は一面の汗で、心臓は爆発でもしそうなほどに早鐘を打つ。
「一昨日の夜から、悲観的にもなりはしたが。…やっぱり俺は、死ぬのは怖くて仕方ないみたいだな。ははは」
周は、自嘲気味にそれでもどこかすっきりとした様子で笑い声をあげる。
「……もう異世界だなー。あんな変なの見たら、さすがに疑いようもない。そのパターンね、そのパターン。……にしては、最初の待遇が悪くないかね? “能力”とか、なにかこう……ありがちなやつ」
「そうですね、マスター。異世界ものにありがちな“能力”は、今のところ確認されていません」
アイテルが淡々と返す。
「でも、マスターには私がいます。そして、何より──生きている。それだけでも、まずは喜ぶべきです」
「……そうだな。ありがとう、アイテル」
少し不貞腐れながらも、周はそう言って、スマホの画面に目を落とした。
落ち着いた後に、また歩き始める。
木々の間から少し開けた丘が見えた。
丘を登ると背の高い木がある。アイテルに確認すると、素登りというのを解説されたが、周には無理だった。
「人は道具を使う動物だけど。道具を使えないとなると動物以下だな」
代わりに、丘の斜面から少しでも開けた方向を探し、慎重に視線を巡らせる。
遠く、木々の隙間越しに、かすかな煙の筋が数本、空へ伸びていた。
それは確かな、生活の痕跡に思えた。
周は思わず、泣き笑いのような顔でつぶやいた。
「……何とかなるかもしれない」
「目標確認。痕跡の発生源との接触を推奨します。ただし、言語・文化・道徳観念の違いにご注意ください」
「了解だ、アイテル。頼りにしてるぞ」
大体のサバイバル系は生まれたてが一番厳しい。現実のサバイバルでそれ以上に苦労するのは当然だ。
緊張の少しだけ緩んだ心の中で、周はそんなことを考えていた。




