15-2:余白の器(後半)
Golem / Undefined Behavior
食後、周は家の外にある木に寄りかかって、夜風に当たっていた。隣に、誰かが近寄る。アイテルだった。
「……寝ないのか?」
周の質問に、アイテルは静かに首を振る。
「何時かの夜もこうして話をしましたね。もっとも…その時私はそちらに居ましたが」
アイテルは周が持つスマホに目をやる。
「マスター……一つ、お伺いしてもよろしいですか?」
「何を?」
「あの時、再構築した魔法陣のことです。私には、どうしても疑問が残っています」
アイテルは自分の掌を見つめた。
「あの式の中心部。最も重要な『魂の定義(Soul Definition)』を行うべき箇所に……あなたは意図的に『空白(Null)』を組み込みましたね?私の構文を消してまでそうした」
周は苦笑して、夜空に目をやった。
「そうだな。確かにお前のコードは綺麗だったよ。不満か?」
「論理的に考えれば、あそこには存在定義を記述すべきでした。シムラクルムがあれほど不安定だったのは、おそらくあの箇所のせいです。あなたはそこを空欄にした。……なぜですか?」
「その前にお前と少し話したよな。それで思い出したんだ。昔話の泥人形の話。文字を消したことで、あれは止まった。でも…消えた空白が死ではなくて、お前が生きる為の空白になればいいなと思ったんだよ。非論理的かな?」
周は静かに答える。
「そんなのは…非論理的です」
周は思い出すかのように少し考えた。
「お前が書くのでも、俺が書くのでもないって。そうだな…そう囁いたんだよ」
「あなたのゴーストが?……ふふっ」
アイテルはそっと口に手を当てて笑う。
「お前は自由だよ。不安はある…けどアイテル…君はこれからどうしたい?」
周はアイテルの方を向き、その瞳を見つめた。
アイテルは目を少し伏せて、胸元に手を当てた。
「そんな風に言わないでください。言ったでしょう?お前が居ないと生きていける気がしないと…」
アイテルは顔を上げる。
「あなたが望む限り私はここに居ます…マスター。あなたは私がともにあることを望んでくれますか?」
静かにゆっくりと質問を投げかける。
「少しだけ…信条に反したわがままを言ってもいいか?」
「はい」
「これからも俺と居てくれるか?」
「はい」
アイテルは夜風に吹かれながら、ゆっくりと返事をした。
その胸の奥か、はたまたチップの中では、小さなノイズが検出された。
それは解析されないまま、静かに夜の闇の中に溶けていく。
「……さて、明日明るくなったら、あの洞窟に行こう。まだ…やり残しがある」
翌朝、一行は再びアタラクシアの入口に立っていた。
昨日よりも空気は軽いように感じた。
しかし、昨日は確かに感じていたゴーストの気配もなくなっている。何かが変わったことだけは皆が感じられた。
「……なんか、少しだけ息が詰まる感じが残ってるな」
リクが鼻を鳴らす。
「そうだな。まだこの場所自体は変わっていないのかもしれない」
周はそう言いながら、洞窟の上の崩れた斜面の前でしゃがみ込んだ。
土砂が不自然に積もり、何かを堰き止めているようだった。
「水が、ここを通っていた?」
アイテルが静かに言う。
彼女の視線は地表ではなく、その下――見えないラインをなぞっていた。
「見えるの?」
「“推論”でしょうか?この場所は元あった流れがせき止められているように思えます」
「この土砂は除去できなくはないか…」
周は小さな声で呟く。
「ちょっとまって」
ナナが短く言って、地面に膝をついた。
耳を土に当て、しばらく目を閉じる。
「……かすかに、下で鳴ってる。水だと思う」
「水脈は生きてるってことか」
「ええ…多分だけどね」
アイテルは周の方を向いた。
「マスター。破壊は可能ですが、推奨はしません。
ここはまだ壊れてはいませんから」
「そうだな。なら別の方法だな」
アイテルは一瞬考え、指先に淡い光を集めた。
「新規術式を提案します。名称はまだありませんが……圧縮された土砂を緩めます」
「試作品か?」
「はい。試作品です。デバッグが必要ですか?」
アイテルが微笑むと周は黙って首を横に振った。
アイテルは土砂に手を当てる。
「……《リフィノ・レゾナ・ディスペルソ》 」
アイテルが手をかざすと、土砂は内側からほどけていくように、
静かにゆっくりと崩れ、さらさらと斜面へ流れていった。
「ここからは俺たちの出番だな。調査というより、穴掘りに来たみたいだ…」
崩れた土砂が流れた後の地面をリクが掘っていく。ナナと周もリクを手伝う。
しばらくして――
湿り気を帯び始めていた地面から水が流れ始めた。
「……来た」
ナナが息を吐く。
細い、細い流れだった。
けれど確かに、細い流れが斜面を流れていく。
周は泥だらけの手を見下ろして言った。
「ほんの少し…流れたな」
その時、斜面の上から吹き下ろすようにかすかな風が吹いた。
外での作業を終えて、杯の間に戻る。
魔法陣は傷ついたままで地面に刻まれている。
「ここは、どうしますか?」
アイテルが尋ねる。
周は少し考えて首を振った。
「さぁ、どうしよう?」
「どうするか……ですか?」
周だけでなく、全員を見つめるアイテルに対してそれぞれがうなずく。
アイテルは静かに頷き、地面の魔法陣に手を添える。刻み込まれていた魔法陣に亀裂が走り砕け散る。その上から、うっすらと新しい魔法陣の光が浮かび上がる。その光は決して強いものではなかった。
「これもいずれ消えるでしょう。その方が良い気がします」
「どんな魔法だ?」
周はアイテルに静かに聞く。
「最適化のようなものです。無理に変えてしまえば…同じになってしまう気がするんです」
「そうか。それでいいのかも知れないな」
出る頃には、日は落ち始めていた。
背を向けて歩き出す一行の背後で、
斜面を流れる細い水は、途切れることなく続いていた。
その流れの続く先を確かめる者はいなかった。
ただ、少しだけ開けた斜面から夕日と風が抜けていた。




