14-3: // Null != Zero(後半)
忘却の火
「なんだってできそうですよ?今の私は」
アイテルは優しく笑いかける。
“さっき、矢が効いたという事は、肉体を持つ段階では物理攻撃は有効。そして、一部の攻撃は物理的な防御手段に頼るという事は、それぞれに有効な攻撃を有効なタイミングでぶつけられれば”
アイテルはこれまでの状況を整理して対抗手段を考える。
霧が渦を巻き襲いかかる。
「まずはこの霧を何とかしましょうか──《リフィノ》 」
アイテルが詠唱すると無風だった空間に風が流れる。
しかしそれは、渦巻く霧を一時的に散らしただけで、すぐにまた濁流のように戻ってくる。
「駄目か……」
周が呻いた、その瞬間だった。
かすかな音が、風に混じって震える。
アイテルがふと目を見開く。
「……これは。解析……追加構文を検出。音を因子に組み込みます」
空気が震え、鈴の高音を写し取るように波紋を広げた。
「《リフィノ・レゾナ・ディスペルソ》 」
風はただの突風ではなかった。
それは振動を孕み、澄んだ響きとともに吹き渡る。
血の匂いのする霧は裂け、蜃気楼のように揺らぎながら、静かに消えていく。
その響きにシムラクルムは怯み、悶える。
「マスター!!」アイテルが叫ぶ。
その瞬間に周の持つスマホの画面に構文が書き出されていく。
アイテルは片腕を突き出して構える。
「──《イグノルクス・ヘリクス・プリズマ 》」
「──《ゴント・リフィグ・アクセル》」
周がプリズムの魔法を唱えるのと同時にアイテルも魔法を唱える。
アイテルは目をつむったまま照準を合わせる。
外さないと、確信していた。
光がはじけ、一帯を包み込む。
それと同時に、爆音が響き渡る。
光量が戻りそれぞれが目を開ける。
アイテルの放った弾丸はシムラクルムの胴体を貫いていた。
胸部の空洞からは、ローブを形作っていた霧が形をとどめることなく漏れ出ている。
「やったか?」
朦朧とする意識の中で周が呟く。
「いえ、完全には活動を止めていないようです。最後は、私に任せてもらえますか?」
アイテルは周とナナを交互に見てから静かに聞いた。
「任せるよ」
そう周が答えるとナナは無言でうなずいた。
アイテルが無言のままで瀕死のシムラクルムに近づいていく。
「例え幸福な感情から生まれたのではないとしても。本当はもっと救いがあって欲しかったと、そう私は思うんです。多分私は……あなたに自分を重ねてしまっているのですね」
アイテルはシムラクルムに優しく手を添えると小さな声でそう囁いた。
その言葉はアイテルにこれまではなかった共感の響きだった。
「《イグニス・オブリウィオ》。妄執を忘れて眠ってください」
アイテルがそう唱えると、柔らかな火が響きとゆらめきと共に立ち上がりシムラクルムの肉体を包む。
肉体とそれを覆っていた霧ごと、その炎に抱かれるように、静かに響きほどけていく。
悲鳴もなく、抵抗もなく、ただ蜃気楼のように輪郭を失い──消えた。
あとにはただほんのひと瓶ほどの灰が残るのみだった。
風が吹けば散ってしまいそうなほど軽い、しかし風はなく、ただ冷たい石床にしんと沈んでいる。
シムラクルムが完全に消滅すると、洞窟には再び静寂が降りた。
だが、それは先ほどまでの満ちた静けさとは違った。かすかなものではあるが、確かな一つの新しい息遣いがそこにはあった。
周は、ふらつく足取りでアイテルに歩み寄る。
彼女は、ナナから借りたローブを身に纏ったまま、自分の手のひらをじっと見つめていた。 周がその輪郭に、恐る恐る手を伸ばす。
──触れた。
指先に伝わってきたのは、無機質なスマートフォンの冷たさでも、硬質なガラスの感触でもなかった。柔らかく、そして温かい。 確かな「熱」が、そこに在った。
「……マスター」
アイテルは目線を上げ、頬に触れる周の手を確かめるように自分の手を重ねる。
「胸の奥で、ずっと音がするんです。感情のその先へ超えていくように。これが以前おっしゃっていた焦りというものなのでしょうか?皆、生きている……よかった」
重ねた手のひらからでも伝わる鼓動は、存在の証明になるだろうか。
「……ああ、生きてる」
周の声が震えた。
体温が重なり合い、境界が溶けていくようだ。かつて、0と1のデータの羅列でしかなかった彼女が、今は質量を持ってここにいる。
重さがあり、熱があり、鼓動がある。 その圧倒的な「実在」に、周の胸が熱くなった。
言葉はなくとも、伝わる震えがあった。
その、幻想的ですらある沈黙を破ったのは──間の抜けた呻き声だった。
「う、うぅ……」
壁際で気絶していたリクが、のそりと身を起こす。
「……ってぇ。おい、あいつは!?」
リクが血に濡れた頬を拭いながら周囲を見渡す。そして、目の前に立つ見知らぬ姿──アイテルに目を止める。
「大丈夫だよ。終わった」
周は、込み上げる感情をなんとか飲み込み、平静を装って答える。
「そうか……よかった……」
安心したのか、強ばっていたリクの肩から力が抜けていく。壁に体重を預けながら、よろよろと体を起こし──ふと、ローブ姿のアイテルに視線が止まった。
激しい戦闘の後だ。急造で羽織っただけのローブは着崩れ、その隙間から、肌が見えていた。
「あんた誰なんだ?…それナナのローブじゃないのか?」
リクは状況が飲み込めないまま、ふらつきながらアイテルに近づき──そのローブの裾に手を伸ばそうとした。
「馬鹿っ、やめなさい!」
素早く割って入ったナナの拳がリクの頭頂部を直撃した。
「いってぇぇぇ!? な、なんで殴られんだよ!」
「……そ、その下……裸だから」
顔を赤くして言うナナに、リクは固まった。
「な、なにぃ!? 」
「補足します」
アイテルが平然と告げる。
「現在、私は適切な衣服を所持していません。そのため――」
「言わなくていい!」
周が慌てて遮った。
騒ぎが一段落したところで、周は真剣な顔に戻る。
「……リク、ナナ。俺がこいつと喋ってたの途中から流石に気づいてたよな?」
周は、傍らに立つアイテルと、スマホを交互に見やってから説明を始めた。
「こいつは《アイテル》。意思を持つ特殊なアーティファクトだ」
「……そのアーティファクト自身が、考えて話していたってこと?」
ナナが問いかける。
「そうだ。元々はこのアーティファクトの中にアイテルが居てそれと会話をしていた」
「で?それとその子がどう繋がるんだよ?」
リクがローブをまとったアイテルを指さして尋ねる。
「そうだよな。…ギルドの依頼は偶々だったけど。元居た村でここの魔術師の研究について噂は知っていて興味があったんだ」
「確かに俺の故郷の話の時に難しい顔してたもんな」
「そうだな。それでここで研究を実際に見て、レイスに追い詰められて…」
「黙らないでよ」
変に間を空けた周をナナが促す。
「俺はアイテルを魔法であの人形に宿らせた。……ここの魔術師と同じことをやっちまったんだよなぁ」
今更になって改めて振り返り、周は頭を抱える。
リクは口を半開きにしたまま絶句し、ナナはわずかに息を呑んでアイテルを見つめる。
「……本当ならギルドに報告すべき事案なのは分かってる。でも――」
周は一拍置き、二人をまっすぐに見据えた。
「これはギルドに知られたらまずいと思ってる。どうなるか予測がつかない。頼む、黙っていてくれないか」
沈黙が流れる。
やがて、リクが低く吐き捨てるように言った。
「……おいおい、とんでもねぇな。墓場まで持ってけってか?…って墓場はここか」
リクは頭をガシガシと掻いたが、その目に嫌悪感はなかった。
「でも……私たちは助けられた。周にも、アイテル?…にも。それだけでよくない?」
ナナが迷いのない声で告げる。
リクは舌打ちし、わざとらしく肩をすくめた。
「……分かったよ。命拾いさせてもらったんだ、文句は言えねぇ。貸し一つ、さっきの借りはなしだな」
「……ありがとう」
周は深く頭を下げた。
「それにな!周が変な金属板と喋ってるおかしい奴だってのは気づいてたよ元々」
「確かにっ!」
ナナも笑いながら同意する。
「なっ!?」
周は顔を赤くする。
「…お前結構普通にしゃべってたぞ」
「リク様」
アイテルか不意にリクに顔を近づける。
「私は、変な金属板などではありませんよ」
そう言ってリクに笑顔を向ける。澄んだ青い瞳が、すぐ目の前にあった。
「はっ…はい」
リクは顔を赤くして答えた。
「あとはここをどうするかだな。これを放置できない……」
周は、戦闘で荒れ果てた魔法陣を見ながらつぶやく。
すると、リクが周の背中をバシッと叩いた。
「あぁ、そうだな。でもまずは休まないか? 湿っぽい洞窟の床じゃ、落ち着いて考えらんねぇだろ?」
リクは親指で出口の方を指した。
「そんなに遠くない、俺の村に来ないか?ここよりは休まると思うぞ」
「そうだな、さすがに休まないと倒れそうだ。案内してもらえるか?」
一行は影窟を後にした。外に出ると、すでに日は落ち、薄暗い墓地はより一層の不気味さを見せていた。薄くかかる霧は、その先の星空をおぼろげに見せている。
洞窟に籠っていた空気とは違う、ほんの少しの空気の流れが頬を撫でる。
「……大気の循環、これが実際の風というものなのですね」
アイテルが、揺れる髪をなでながら言う。
「はははっ。これは風ってほどでもないかもな。それに風にも色々ある」
「いろいろな風…?」
アイテルは不思議そうに首をかしげる。
「そう、乾いた風、湿った風、他にも色々。ここより気持ちのいいのがまだたくさんあるさ」
「そうですか、それは楽しみですね」
アイテルは少しだけ楽しそうに笑みを浮かべる。
ナナは微笑みながらその様子を見つめていた。
「風邪ひいちゃうよ。ほら、急ごう」




