13:if (human.condition == true) { return "AI.condition"; }
AIの条件
杯の間を後にした一行は、さらに奥へと伸びる通路を進んだ。
霧は薄れたが、まだ空気はねっとりと重く、肌に張り付く。
壁を伝う水滴は濁り、灯りに照らされては不気味に光った。
やがて、行き止まりのように現れた扉があった。
朽ちかけた木枠に、金属の取っ手。わずかに触れると軋む音を立てて開き、むわりと古い匂いが押し寄せた。
「……研究室?」
ナナが息を呑む。
中は荒れ果てていた。
棚は崩れ、羊皮紙は湿気で膨れ上がっている。机には割れたガラス瓶が散乱していた。
奥には、地面の岩を掘り込むように培養槽が造られていた。上にはガラスの蓋が嵌められている。
そのほとんどは空っぽだったが、中にはまだ形を保ったものがあった。
一つは、硝子瓶に封じられた半透明の液体。その中に、小さな人型が浮かんでいる。胎児のように膝を抱え、目鼻もなく、まるで人形のようだ。
「……っ」
ナナが顔を覆った。
「……これが」
アイテルの声が震える。
「魂を宿すための未成熟な器」
周はしばらく黙って見つめ、やがて低く言った。
「……持ち帰ろう。ここで出来ることはない。元々は調査だけだ」
そう告げて慎重に瓶を布で包み、荷に収めた。
もう一つは、割れた培養槽に残されていた。
液は半分ほど干上がり、そこに横たわっているのは成体に近い形をした外殻だった。
顔はのっぺりとして目鼻がなく、肌は蝋細工のように白く固まっている。
ただ、人間の体格に近いだけに、不気味さは胎児よりも際立っていた。
「……これは」
リクが言葉を失う。
「まだ中身を持たないただの殻」
アイテルが呟く。
周は長く息を吐いた。
「……これはサイズ的にも、ギルドに持ち帰ることはできないか」
しばしの沈黙ののち首を振った。
「ここに残す。下手に動かさないほうがいいだろう」
二人は頷いた。
それから周は机の上に散らばった羊皮紙を拾い上げ調べ始めた。
掠れた文字をアイテルが補正し、読み上げる。
『受容実験・第七段階。器と魂の同調率……臨界を超えず。拒絶例、多数。しかし、想定の通り器は魂の依り代として生体を変化』
「……クリエータスというのはこれか」
周の声は低くなる。
アイテルからの返答はなく、周は静かに培養槽を見つめた。
「…さっきの魔法陣って」
ナナの声がそこで止まる。
周は答えず、培養槽の中身を見つめた。
空っぽの器。人間のようで、人間ではない。
「……なぁ、アイテル」
周は思わず問いかけていた。
「お前とゴーストの違いって、言ってたよな」
「はい。私はAIのはずです」
「そうだな」
「私があの時知ったものが、感情だったとして」
アイテルは一度言葉を切る。
「私にも…魂はあるのでしょうか?」
「魂の条件ね…。なぁ…俺にはそれがあるのかな?」
「私には…分かりません。マスターはずるい…」
短い沈黙。
周は答えを持たなかった。
沈黙の中、周は記録を読み進めていく。
ここには定着の魔法を施されているものが、わずかに残っていた。それでも長い年月で魔法も消えかけ、読めなくなっているものも多かった。
『記録:受容実験 第十二段』
感情は器を満たす。だが定着せず、荒れ狂う。その後ほとんどが自壊。
それは研究記録のようだった。初めのうちは、ただ淡々とした文章が続いている。
『記録:第十四段』
憎悪は沈殿し、悲嘆は凝固する。これらは生命を駆動させるに足る“力”だ。
『記録:第十五段』
器は拒絶する。問題はエネルギー?それともその定着?それとも単なる感情が魂に至る構造なのか?
イグナスは火を与え、人を生み出した。
なぜ、神には許されて、私には許されない?
私の創造は崩れ去り、拒絶される。
神の創造と私の創造、その差はどこにあるのか……
周は眉をひそめた。
「単に器に満たすだけでは駄目なのか…」
『記録:第十六段』
失敗が続いている。それでも、私は到達する。
生命の創造へ──。
だが、ふと考える……生命とは何だったのか?
この私を支える狂気と、目の前の器に宿る狂気──その違いはどこにある?
違う?この狂気にある“私”それこそが、根本的に抜け落ちていたのではないか。
同じ狂気、なぜこの体には宿るのか。私は創造し、夢想することで、私たろうとしていたのだろうか?
筆は置かれる。
インクが乾くのとともに、私の言葉は眠りにつくだろう。
そこで文字は途切れていた。
乾いた羊皮紙には黒いしみが広がっていた。
羊皮紙を見つめたまま、声が出てこなかった。
ただ、崩れかけの研究室に落ちる水滴の音が、沈黙を埋める。
そして、周は崩れかけた棚の奥に、湿気で歪んだ革張りの綴りを見つけた。
慎重に開くと、複雑な円環と符号が幾重にも重なった図が描かれていた。
息を呑む。──それは杯の間で見た魔法陣の縮図、細かいメモ書きがなされている。
「……これ」
周が机の上に広げると、アイテルが分析を開始する。
「照合……完了。杯の間に刻まれていた陣式と一致」
リクが顔を曇らせる。
「…ここであれを」
図形の細部を見ているうちに、周はある箇所に指を止めた。
他の線は整然と幾重にも詰め込まれているのに、そこだけは荒々しい息遣いがあった。
「……変だな」
「どうしたの?」
ナナが小首をかしげる。
「いや……ここだけ…」
周はそう言いながらも、その箇所を指でなぞった。
その節に触れたとき、胸の奥にざらりとした肌触りを感じていた。
「アイテル、ここに書いてある言葉はこれで間違いないか?」
そこに書かれた単語が気になり、周はアイテルに確認する。
「はい、間違いありません」
アイテルの通知が届く。
周は首を振り、図を巻き戻した。
「そうか……行こう。調べられることは調べた」
二人は黙って頷いた。
残された痕跡は、彼らに何かを訴えかけていた。だが、その言葉はまだ眠りについたままのように思えた。




