12-1:杯の幽鬼
// Vessel.Wraith()
重たい霧が、視界と感覚の両方を濁らせていた。周は足元を確かめながら、湿った地面を一歩ずつ踏みしめていく。その背後にリクとナナが続いていた。
アタラクシアの影窟──ギルドから危険視される領域。古戦場の慰霊墓地とその奥にたたずむ洞窟では、かつて生命に関する何らかの研究が行われていたとされる。
洞窟へ続く慰霊墓地に、三人は足を踏み入れていた。
空気は重く、音は鈍く、時間までもがねばつくような錯覚を抱かせる。
「音まで吸われていくみたいだな…」
リクがぼそりと漏らした。
「警戒しろよ。不気味なだけじゃない…」
墓地は長らく人の手が入った様子もなく、長い年月の中で崩れかけた墓石は苔むしていた。その古戦場の由来を知るものは少ない。そこに並ぶ墓石に祈りがささげられなくなったのはいつからだろうか。
「どんな戦だったんだろうな?」
ぽつりと周が呟く。
「さぁな、俺の村でもそんな話聞いたこともない」
リクが村での記憶を語る。
アタラクシアの地形は窪地のようになっており、丘上は木々が生い茂り、ただでさえ日が入りにくくなっているところに、霧が一面を覆ってとても昼とは思えない暗さだった。
ランタンの明かりを頼りにしながら、ゆっくりと三人は歩を進めていく。
ギルドの資料では墓地の区画は、緩やかなくだりを経て、洞窟まで登るという一本道が曲がりくねりながら続く。
墓石が立ち並ぶ中を気配を殺しながら歩き、やがて下りの区間が終わり、登りに差し掛かる。
その時、不意に霧の奥から、青白く揺らめくものが現れた。明確な輪郭を持たず霧の中に影を落としていた。
うすぼんやりとした顔を三人に向け、近づいてくる。
”これがゴースト…”
周はこれまでに人生で経験したことのない、いわゆる霊体との遭遇に、一瞬体が固まる。
「ナナ、リク!」
周はその一瞬の硬直をかき消すように声を上げる。
「了解!」
ナナは短剣を抜く。
「任せろ!」
リクが剣を構える。
「ー灯を武器へと注げ《イグナルマ・インフューズ》」
周は付与術を唱える。
淡い赤橙の火が二人の刀身に注がれる。それは魔力に呼応してか脈打つように輝く。
「5分持つか怪しいからな!注意してくれよ」
二人は頷き、敵と対峙する。
ゴーストはゆらりとリクのほうに向かって距離を詰める。
淡く燃える火が揺らめき、リクの剣が霧を裂く。
その風圧に乗って揺らめくように攻撃がかわされる。
しかし、続けざまにナナの短剣が閃き、ゴーストはその刃に散らされるかのように淡い輪郭を失い、やがて霧が崩れるように消えた。
「…消えた?」
ナナがかき消えた先を見つめる。
「倒せた…のか?」
リクも半信半疑の言葉を漏らす。
「多分な…少なくとも付与は効果ありか…」
三人はしばらく周辺に気を配るが気配はなかった。
「ふぅ…怖かったぁ」
ナナがそういって屈みこむ。
「…この戦術なら俺達でもやれる…」
リクは剣を握る拳を力強く握りこんだ。
「ぷぷっ、リク…お前の攻撃は外れてたけどな。ナナに感謝しろよ」
「うるせぇなっ!余計なこと言うなよ。緊張が途切れるだろうが」
リクは少し恥ずかしそうに顔を赤くして答える。
「はははっ…駄目っ。緊張してたのに、一気に抜けちゃった。それにあのキメ顔っ!」
ナナが変なツボに入ったので落ち着くまで休むことになった。それは意図しない戦闘後のインターバルになった。
ゴーストと対峙した後、一行は確かな手ごたえのあった戦闘にほんの少しの余裕を感じていたはずだった。
しかし、その実感をよそに、進むほど空気はさらに重くなっていく。鈍感になりようもない圧迫感だった。言葉では表せない雰囲気が、霧とともに濃さを増していく。まるで霧が視線のように意志を持ちこちらに向けられているようだった。それがべったりと張り付くように3人の体、それのみならず心までも重くしていた。
「……どうなってるのここ?」
ナナは無意識にか、自分の体を抱いてぼんやりとしか見通せない斜面の奥を見つめる。
「それを知るための調査だろ…気休めを言ってやれないくらいには俺もビビってるんだ」
周は冗談っぽく言いながら、ナナに向かって少し無理をして微笑んだ。
周が2人の背を守る位置につき、さらに奥へと歩を進めた。
生い茂る樹木の間に、黒く口を開けた洞窟があった。
その口は三人のランタンの光を飲み込んでいた。




