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9-2:旅の途中

// PORTAL/NEXT_HORIZON

同行している行商人セルジとともに、丘を越え、森に入る。鳥の声と、地を這うような風の音が交錯する。

 ふと、遠くの茂みからかすかな違和感。音の断片。葉擦れに混じる、何かの気配。

「……何かいるな。足音は軽いか?この森にはカロスみたいな魔物もいる。…油断するなよ」

セルジは村で見たのとは少し違う真剣な様子で警告してくる。

周はカロスと対峙した時の経験を思い出す。アドレナリンに満たされていたあの時とは違い恐怖のほうが先に立つ。

「近距離に動体ありと推測できます。風属性探知構文リフィノ・レゾナ。通称シグナル・ソナーを提案」

「…いいね」

アイテルと周はこの道中になるべく基礎的で実戦的な魔法を試す為に色々な準備をしていた。

「探知魔法…試してみるか」

《-風よ巡りて、響き帰れーリフィノ・レゾナ》

 周が静かに詠唱すると、周囲へ広がった風は木々を撫で、やがて反響するように周のもとへ戻ってくる。

「危険な獣ではなさそうか……」

「中型の獣。シカに近い形状をしています」

アイテルが画面にぼやけたシルエットを映す。

「これは多分ムスカルだな。草食で危険はないが…。保存食もそんなにはない。皮も取れれば商品になる。狩ってみるか?」

セルジが提案してくる。この人はラナ婆さんからは頼りないと言われていたが、行商人ではなく狩人の才のほうがあるんではないだろうか?

「試したいことも色々あるからな。やってみるか」

「俺は経験こそあるが、魔法はからっきしだ。いつもは弓か罠だが、森だと簡単に当てられるものじゃない。周、お前はカロスを仕留めたんだろう?頼めるか?」

「期待はしないでくれよ。でもできる限りのことはするさ」

そう言いながら周は茂みの奥を見つめる。

「追い込みの案内は俺がする」

セルジはハンドサインを出しながら周を誘導していく。

ムスカルを二人で静かに追跡する中、本当にかすかにムスカルの姿を木々の陰から見つける。

その姿に完全に集中しきっていたその時。

足元の落ち葉が音を立てて跳ねる。

探知にかからない小型の蛇のようなものが死角から飛びかかってきた。

周はとっさで反応すらできない。

瞬間、小さな破裂音とともに蛇の体が弾き飛ばされる。

「防衛魔法ーディフェンシブデーモン発動しました。マクロ待機型構文《リフィノ・レゾナ・ヴィジル・イグノ・リアクト》 」

「あれか、森に入る前の。…これは使えそうだ。ちなみに失敗したらどうなったんだろう?」

「噛まれていた可能性が高いですね。反応条件の定義などに不安がありましたが使えそうです。反応速度などに改善の余地はありますが」

アイテルが淡々と説明する。

「……お前、今唱えてないよな?…まぁ、今はいいか。 でも助かったな。そいつは猛毒だ。噛まれたら命はなかった」

セルジは少しいぶかしそうにするもスルーしてくれた。細かいことは気にしないタイプのようだ。

「…アイテル。噛まれたら死んでたってさ」

「成功してよかったですね。マスター。噛まれていたらマスターはここにはいなかったです」

茶目っ気を感じるような声色でアイテルが返す。

「おいおい!頼むよ。次からはデバック後に実装だからな!!」

「分かってます。マスター、私もマスターに死なれては困ります」


セルジは念のため蛇を確認する。

「よし、死んでるな」

「アイテル。なぜこいつは探知できなかったんだ?」

周が質問する。

「小型生物への感度不足と推測します。特にこの個体のような変温生物は識別が困難でした 」

「振動だけじゃなく熱情報も使ってたのか?」

「はい。空気の振動だけでは判断材料が不足していたためです」

「改善はすぐに可能か?」

「可能です」

「死にかけた後に反省会とはな。その改善で逃げたムスカルは追えるのか?」

セルジは少しあきれたように言った。

「じゃあアイテル。やるぞ」

「更新中ー完了」

周は再び探知魔法を放つ。

先ほどよりはるかに多くの反応が返ってくる。

「逆にノイズが多すぎるな」

「感度向上の副作用ですね。私が、危険性などを加味してフィルタリングしましょうか?」

「頼む。ムスカルをマークして、危険を避けるルートで追跡しよう。一定の間隔で再探知するから通知してくれ」

「了解です」


それからアイテルの作成したルートをセルジの経験で修正しながらムスカルに近づいていく。

再度、気づかれずに視認した。

「いけるか?周」

セルジが静かに耳打ちをしてくる。

「ああ。どこを狙えばいい?」

周はカロスの時と同じ四点照準で構える。

「魔法の精度と威力は?」

セルジは少し考えてから質問する。

「アイテル」

「過去ログ、実験データから推定します」

「新規構文、インパクトキャストの場合、着弾時の損傷は直径三~五センチ程度。貫通深度はおよそ八~十二センチ」

「エクスプロージョンは?」

「局所半径四十センチから六十センチの損傷と数十秒の燃焼が予測されます」

セルジの顔が引きつる。

「それは駄目だ」

「やっぱりか」

「肉も皮も駄目になる」

「命中精度は?」

「静止目標に対し現在距離で誤差七センチ前後。風向きによる変動あり」

「十分だな」

セルジはモスディアを見つめる。

「首の血管はやめとけ……当たらん」

「だろうな」

「なら肩か前脚の付け根だ」

「肩?」

「肺だ」

「当たれば長くは走れん」

「前脚の付け根ならもっといいが、狙いは難しい」

「腹だけはやめろ。腸を破る」

「分かった」

周は一度深く深呼吸をしてから、採集していた小石を指で挟み狙いを定める。それを見てセルジは静かに後ろに下がる。

「《ゴント・リフィグ・アクセル》 」ーインパクトキャスト

周の手の中で形成された小石は、衝撃波とともに高速で撃ちだされる。

肩口を狙ったが、大きな音で一瞬、モスディアが怯み体勢が少し変わる。

石片は意図しなかった前足付け根側に運よく着弾した。

ここで周は初めてセルジの言った意味を理解した。

”心臓か”

モスディアは大量の血を流し、逃げるまでもなくその場に倒れこむ。

「よし、運がよかったな。行くぞ血抜きだ」


セルジはロープを取り出し、モスディアの後ろ脚を縛る。

近くの枝へ投げると、周に細かく指示を出し二人がかりで引き上げた。

獣の体がゆっくりと宙に浮く。

小鹿程のサイズだが、つい先ほどまで森を駆けていた体だった。

セルジは、その後すぐにモスディアの首元に慣れた手つきでナイフを入れる。

「うわぁ…」

周は思わず吐きそうになった。周からすれば尋常ではない量の血液の量だった。

「他の獣が寄ってきてもかなわんな。火を焚いてからこれをくべておいてもらえるか?」

セルジが解体の準備を始めながら、周に乾燥した草と木片を差し出す。

周は喋るような気分でもなかったので、黙ってその指示に従った。

「《イグニア》」

周は火種を取り出し、弱々しく唱える。

もう火つけ程度なら慣れたもので、すぐに焚火が燃え始める。

火にくべた草と木片からは変わったにおいが立ち込めていた。

「こんなことくらいで弱るなんてな。お前は祭りの後の解体は見なかったのか」

「ああ、無意識に避けてたんだろうな」

周は腰を下ろして木にもたれかかりながらわずかに見える空を見上げる。

「なさけないな。まぁ、慣れろ。今はそこで見てな。旅をするなら最低限の知識だ」

セルジは腹を開くと、内臓を傷つけないよう慎重に刃先を滑らせる。

まだ残る体温により湯気が立つ。

生々しい匂いが立ち込めて、内臓が取り出されていく。長い腸が垂れ下がっていく。

「ほら、だから腹はやめろといった」セルジはナイフで腸を示しながら言う。

「ちょ、ちょっと待って」

周は急に我慢の限界点を超えて、とっさに木の裏の茂みで吐く。

「はははっ、本当にお前はどこのお坊ちゃんなんだ?」

聞いておきながら大した興味もないようでセルジは今度は皮を丁寧に剥いでいく。

セルジは本当に器用に解体していった。

時折ここが美味いだの、これは何に使えるだの解説をしながら。

本音では逃げ出したかったが、周は我慢してその一部始終を見ていた。


セルジはある程度の解体が終わるとそそくさと片づけをはじめる。

「いいのか、後処理しなくて?」

「ああ、流石にここは血の匂いが濃すぎる。獣除けは焚いていたがこの血の量だからな」

「あれはどうする?」

周は地面に散乱している内臓を指す。

「内臓は痛む。運ぶ価値がない。食いたいのか?」

周は黙って首を振る。

「誰も食わなきゃ土に還るさ。誰かが食うなら、足止めになる」

セルジは淡々と説明して歩き出した。血のついた袋は分担して抱える。

周はその重みと疲労で、ふらふらと後をついていくのだった。


セルジについて、先ほどの場所から野営地に戻る。

「ふうぅ……」

周が腰を下ろして一息つくと、改めて荷運びの過程で所々に血がついているのに気づく。

見ていた周ですらこれだ、セルジは血だらけだった。

「水場は少し距離があった気がするな。まだ、歩けるか?」

「すまない。無理だ」

周はもう動ける状態ではなかった。

「しかしなぁ。そのままで夜を越すわけにもいかんぞ」

「ああ、アイテル頼む」

「水魔法ですね。発動可能です」

「あの水桶でいいか?」

周は少し離れたところにおいてあった水桶を指す。

「ああ」セルジはうなずく。

「《エリシュ》」

周が詠唱すると、桶の中に水が溜まっていく。

「これでいいかな?俺は後でいいから、セルジから使ってくれ」

黙ってうなずくとセルジは桶に向かい体を洗い始めた。

「マスター。大丈夫ですか?先ほどから強いストレス反応がみられます」

「ああ、大丈夫。大丈夫だよ。…駄目だよな。こんなに神経が細いなんて自分でも思っていなかったんだ」

「いいえ。当たり前の反応なのだと思います。ここでは当たり前でも、マスターには初めてですから」

「そうだな。ふぅ…心配かけたな。今だけだから。このちょっとの間だけ落ち込んでてもいいかな?」

「はい、いいですよ。今だけ、特別です」

スマホから流れるアイテルの声はこの時はどこか優しく聞こえた。


しばらくの間、周は放心したまま座り込んでいた。アイテルも何も言わず静かな時間が流れていた。

「すまないが、桶の水は全部使っちまった」

周は顔を上げる。

いつの間にかセルジが目の前に立っていた。

頭に何かが、ぽすりと落ちてくる。

「うわっ」

濡れた布だった。

「自分の分、もう一回出せるか?」

「……ああ」

周は布を頭に乗せたまま答える。

わざわざ湯を沸かしてくれたのだろう。それはほんの少し暖かかった。


周が体を洗って戻るとセルジは狩りでとったものを広げて作業をしていた。

「なにしてるんだ?」

周は体も綺麗になったこともあり、少しは気持ちも持ち直していた。

「塩だよ。この量を普通に運べば腐る」

「塩だけで大丈夫なのか?」

「しないよりはましだ。ここでできるのは気休め程度だが、余分はこの後燻す」

こういう細かな知識がこれから必要になるのだろう、そう周は感じていた。

「さっきは見てるだけだったからな。手伝うよ」

「ああ、使いすぎるなよ。塩も貴重だ」

そう言いながらセルジは塩袋を指さす。


適度に細かくした後に、塩を塗り込まれた肉は別で焚かれた焚火に吊るされていた。不思議な香りのする香木の匂いが立ち込めていた。

セルジは今度は剥いだ皮に塩を塗り込んでいた。

「皮も食うのか?」

「馬鹿。町まで腐らせないためだ」

「ああ」

「鞣しは革屋の仕事だ。それまでに腐っちゃ困る」

そう言いながらもセルジは塩を塗り込んでいく。

「手伝うよ」

そう言って周は横に置いてあった皮に手を伸ばす。

「それは駄目だ」

セルジは少しだけ語気を強める。

周が取ろうとした皮には薄い緑色の苔のようなものが張り付いていた。

「これには塗らないのか?」

「ああ、それは肉をちゃんと剥げば腐りにくい。逆に乾くと価値がない」

「へぇ。なんで腐らないんだ?」

「知らん。知らんが薬の材料として高く売れる」

「適当かよ…」

「知らんが高く売れる。十分だろ」

アイテルが小さく反応する。

「記録しました」

「何をだ?」

「興味深い事例です」

「また始まったな」

周は苦笑する。

「…笑いましたね。よかったです」

アイテルが小さく反応する。

周は思わず苦笑した。

「ごめん。心配かけた」


完全に日が落ちた後、セルジは燻製用とは別に切り分けておいた肉を焼いていた。

火に向かって落ちた脂が音を立てていた。

もう一方の焚火では肉が燻され、火から離した所で皮も広げられて煙を浴びせられていた。

周はその様子をぼんやりと見ていた。

「その顔じゃ食欲もないか?」

「腹は減ってる」

”そうだ、なにがなくとも腹は減る。こっちで最初に気づいたことだった”

ぼんやりとした思考でそんなことを考える。

「なら食え」

そう言ってセルジは、骨のついた肉を差し出してくる。

漫画肉のような見た目に周は沈んでいた気持ちが少しだけ踊る。

周はあえて勢いよくそれにかぶりつく。上品に恐る恐る口に運ぶようなものでもないと思ったからだった。

「旨い…けど。獣臭いな」

「当たり前だろ」

セルジが即答する。

周は不思議そうにセルジを見返す。

「家畜じゃない。獣なんだ」

「マスター…当たり前のことです」

周は思わず笑った。

「そうだな。当たり前だ」

そう言って周は続きを食べ始める。

異なる焚火から出る煙はあたりを複雑な香りで満たしていた。

夜の森は、焚火の明かりを遮り、木々の向こうの闇は吸い込まれれば戻れないように感じた。

「町までもう少しか」

「ああ、長くても後二日程だろう」

「楽しみだ」

「そうか」


翌々日の夕方。

荷車が丘を越える。

セルジが前を指差した。

「見えたぞ」

周は顔を上げる。

夕日に照らされた城壁が遠くに見えた。

「あれがエアレンだ」

周は思わず息を呑む。

「行こうか、アイテル」

「はい。新しい情報源が待っています」

「新しいポータルだな。瞬間移動はできないけどさ」

「そうですね。その表現はデジタルだけど、同時にマジカルですね」

「中二で恥ずかしいか?」

「はい、恥ずかしいです」

「…マスター」

「ん?」

「心拍数が上昇しています」

「お前はどうだ?」

「私に心拍はありません」

「そういう話じゃないよ。お前の心拍が分かればなぁ。お前のワクワクをからかってやれるのに」

そう言って周はどこに向かってか笑いかけた。


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