最後の情報収集
フジリナです。
忘れてはいけないものですが、日記の詳細な記述には、ショッキングな表現がありますので、もし気持ちが揺らぐようでしたら、閲覧を控えてください。
僕は、学校の事務員として潜入する前に、最後の情報収集を行った。選んだのは、サンフランシスコのとあるバーだ。怪しげなネオンの光が、チープで往年のハリウッド映画みたいな雰囲気を醸し出して、いかにもな、アメリカの西海岸の無法地帯で、退廃的な雰囲気が漂っていた。
そんな中で、僕はお酒が飲めないのだが、バーのオーナーに聞いた。
「おたくは…あのマイケル上院議員のお孫さんだねえ?そんなボンボンが来ていいところかねえ?」と父親が保安官だった頃からのお付き合いのバーの店長だ。キャップ姿が似合う、ナイスガイだ。
「あ、いや。あのさ、おやっさん。とある噂と言うか、小学校にまつわる変な噂についての、聞き込みをしているんだよ。」と僕ははぐらかす。
「へえ、そうなんだ。ふふ、ボビーはいつになったら、あのシリコンバレーでパソコンとにらめっこしていた、生意気なオタクなガキから、もの好きになったんだい?」
「いや、もの好きなのは、昔からだよ、おやっさん。」
「へん、生意気な口を叩くのは変わらねえな。」とバーの店長。「ところでさ、いい思い出話があるんだ。お前の父ちゃんのヘンリィだっけ?(ヘンリーと読むが、バーの店長はヘンリィと呼ぶクセがある)あいつはさ、保安官だった頃に、こんな事を言ってたんだ。サンフランシスコは、ロサンゼルスと同じように、ヘンリィが若くて保安官だった、80年代から00年代にかけては、めちゃくちゃ治安が悪すぎてな。今もさ、ごろつきが増え始めて、もうさ、ボビーがいた頃より、ひどくなっている。まあ、パンデミックでさ、めちゃくちゃ依存していた産業のツケがまわってきたんだがな。――それはさてより、ヘンリィが、こんな事を話してたんだ。『リッキー(バーの店長の名前)、お前はあのオレの母校の小学校の噂を聞いたことあるか?あの、ロバート・オッペンハイマーが幽体となって、未だに冷戦期、第二次世界大戦の戦時中だと思いこんでいるという噂だ。』と。」
ロバート・オッペンハイマー。あの核◯器という、日本に災禍をもたらした兵器を開発した開発者だ。彼の功績と、その日本に災禍をもたらしたことについては、
「私達は正しいことをやった」と頑なに主張するアメリカ市民が一定数いる。しかし、僕はそうは思わない。あの過ちは、決して許されることじゃないから。
「…ありがとう、リッキー。またね」と僕はすぐにバーを去った。
あいつはどうしてあんなところで…。と僕は許せなかったが、日本人の祖母である、中村八重子の部屋にある古いノートが置いてあった。
それは、特高警官だった、中村八重子の父でもあり、僕の母方の曾祖父が書き遺した、中村伝次郎の日記だ。
彼は中学時代の同級生の飯塚昌明という、フランスで活躍していた、前衛芸術家を保護して、スイスへ亡命した後、なんとかビザを発行してもらい、帰国することができたという。
彼が帰国したのは終戦間際の1945年6月のこと。で、日記によると、島根から舞鶴で潜伏した後に、8月に東京に帰ろうとした。
その矢先のこと。1945年8月6日。
日記に詳細な記述がある。
「朝起きようとしたら、西の方から地鳴りが聞こえてきた。8時15分のこと。関東大震災を経験した身でもあるが、あんなにひどい地鳴りとその揺れは尋常ではない。家からドンドンと人が出てきて、『なんじゃあ、これは…。』『舞鶴でも揺れたのは、これは尋常じゃないわ』『おい、見ろ。きのこみたいな不気味な雲や』『死の雲や。』『これはぎょうさん死人が出てるで。』と。そう、まぎれもなく広島の方角だ。広島に親戚がいる舞鶴の市民は『お父ちゃん、お父ちゃん!!』とか、息子や娘の名前を叫んでいる親もいたり、あとは嫁に出した親もいて、子どもたちの無事を祈る人たちまでいた。…なんてことだ。アメリカはこんなに人殺しを平気でやる国なのか。」と。
また、翌日だと…。
「家族のご遺体が、親族に引き取られ、そのまま荼毘に付された。ご遺体を見ると、非常に焼けただれていて、あれは触れた瞬間即死という、非常に危険な代物だと。衣服までも、いや骨ごと焼かれていたのだ。華族の嘆きを見ると、私は心から涙を流した…。」
なんて凄惨な光景だ。僕が見たら、すぐにご家族に寄り添いたい気持ちだ…。
難しい問題だ。
たとえ、正義としての抑止力とはいえ、こんなことは倫理的には許されない。
僕はただ、悲しい歴史を繰り返したくないと思えた…。
また、お会いしましょう。




