11 もうひとつの婚約破棄
ルシファー様の脚は、生まれたての子鹿のように震えていた。
歩けるようになった、とはいえかなり無理してここまで来たのだろう。
わたしのクビを、止めるために……!
しかしその感動に水を差すように、ブラッドジャックさんが口を挟む。
「理由はともかく、ルシファーくんが歩けるほどに回復したということは……。ダンテ様がずっと先延ばしにされていた事をせねばなりませんな」
ギリッ、と歯噛みをする音が聞こえた。
「そう、ですね……」
「では、手筈はこちらのほうで整えておきます。ルシファーくんも、そろそろ部屋に戻りなさい」
ブラッドジャックさんはルシファー様をひょいと抱っこして、書斎から出ていく。
「お願い兄さん! セリージャさんをクビにしないで! お願いだよっ!」
すがるような声がじょじょに遠ざかっていき、書斎は沈黙に包まれる。
わたしはもうお役御免の立場だったけど、どうしても気になったので尋ねてみた。
「あの……ダンテ様。ルシファー様が歩けるようになったのに、なぜお喜びにならないのですか?」
すると、ダンテ様は複雑な笑みをわたしに向ける。
「……『神族の儀式』を受けなければならなくなったからですよ」
『神族の儀式』なら知っている。
神族が12歳になった頃に、その力を示すためにモンスターと戦わなくちゃいけないんだ。
その儀式を乗り越えて初めて、神族の子供は神族として認められる。
まだ中学生に満たない子供が、ひとりでモンスターに勝つのは相当難しい。
しかしこれには裏があって、神族が必ず勝つような仕掛けがされている。
わたしの婚約者だったミカエル様も、12歳の頃に『神族の儀式』に挑戦、プロの冒険者でも手こずるとされるゴーレムと戦って圧倒的勝利をおさめた。
でもこれはミカエル様が特別に強かったからではなく、ゴーレムにはあらかじめ遠隔操作の発火装置が仕込まれており、頃合いを見て派手に燃え上がって倒れてくれたからだ。
このことからもわかるように、『神族の儀式』というのは、大衆に対して力を見せつけるためのパフォーマンスの意味合いが強かったりする。
わたしはそのことをダンテ様にぶつけてみた。
「儀式でモンスターと戦うのを心配しているのですか? でもあれは形式上のものですよね? 勝つようにお膳立てされているはずですが……」
「……さすが、ミカエル様の元婚約者だけあって詳しいですね。しかし儀式での『忖度』は、ディヴァイン派だけなんですよ。なぜならば儀式を取り仕切っているのが、ディヴァイン派の神族であるハンドラー様ですからね」
ダンテ様は、悲しそうに目を伏せる。
「ハンドラー様は、ルシファーさんを殺そうとするでしょう。それもディアブロ派の汚点となるほどの、残酷なやり方で……」
「えっ……!?」
それは、意外な事実だった。
そして、わたしは今更ながらにダンテ様の想いを知る。
ルシファー様は神族として生まれ、幼い頃は他の神族と変わりないほどの身体能力があったそうだ。
しかし病気を患ったことがきっかけで、身体が極端に弱くなってしまい、自分ひとりの力では歩くこともできなくなってしまったという。
ルシファー様が病弱で歩けないことを理由に、ダンテ様は『神族の儀式』を先延ばしにするようハンドラー様に嘆願。
儀式を行なわなければ神族とは認められないが、生きながらえることはできるからだ。
「回復の見込みがない以上、ルシファーさんは病弱なままずっと暮らすほうが幸せだった。でもセリージャさんが与えてしまったのです、自らの足で立てるだけの力を。……わかりますか、この意味が」
ダンテ様の言葉が、千の針のようにわたしに突き刺さる。
「ルシファーさんに、希望を与えてしまったのです。でもその希望を抱いたとたん、ルシファー様は死ななくてはならない……。それがどれだけ残酷なことか、あなたにはわかりますか」
「き……希望を与えるのが残酷だなんて、そんなのおかしいです! 『神族の儀式』なんて、やめちゃえばいいだけじゃないですか!」
「神族に生まれた以上、儀式の辞退は許されません。病気による延期というだけでも、ディアブロ派にとっては痛手なのですから」
そんなの……くだらない……!
男の子ひとりの命と、派閥のプライドを天秤にかけるなんて……!
「それに、ルシファーさんが婚約破棄されたことはいまだに神族の間でも笑いぐさになっています。儀式の辞退なんかしたら、我がフリントロック家は存続できなくなってしまうでしょう」
ダンテ様の口から、さらなる気になるワードが飛び出してきた。
「婚約破棄……? ルシファー様は、婚約破棄されたのですか……? 男の子なのに……?」
この世界における婚約破棄というのは、男性だけの特権だ。
だから「婚約破棄した」というのならわかるけど、「婚約破棄された」というのはありえないはずだけど……。
「……ご存じないのですか? ルシファーさんはブリケ様と婚約していたんですよ。しかしミカエル様がブリケ様をめとったことで、事実上の婚約破棄となってしまったのです。そのせいで、使用人にもみんな逃げられてしまって……」
ダンテ様の言葉の途中、わたしの脳裏には、ある独白がフラッシュバックしていた。
ブリケちゃんの婚約者がディアブロ派だってのは、テメェも知ってるだろ……!
だけどソイツはクソ虫みてぇなヤツだったからさぁ、ちょちょいと細工して、立てなくしてやったんだよ……!』




