10 恋愛偏差値ゼロ女
危機的状況に対し、わたしの身体は反射的に動いていた。
近くの棚に飾ってあった胸像を火事場のバカ力で持ち上げ、扉の前の床に移動させる。
部屋の扉を物理的に塞いで時間稼ぎをしたあと、隠れられそうな場所を探す。
クローゼットを開けたり、トカゲみたいにしゃがんでベッドの下を覗き込む。
わたしの突然の奇行を、ルシファー様は口をぽかんと開けて眺めていた。
その顔は、ダンテさんが驚いたときとソックリ。
しかしすぐに我に返ったようで、ベッドの掛け布団をめくりあげていた。
「セリージャさん、ここに隠れて!」
「えっ、でもそんな所に隠れたら、迷惑になるんじゃ……!?」
他の場所に隠れて見つかってしまった場合、わたしがこっそり不法侵入したと言えばルシファー様には迷惑がかからない。
しかし布団の中にいるのが見つかったら、ルシファー様は完全に共犯になってしまうだろう。
わたしは迷ったが、ルシファー様には迷いがなかった。
「いいから! 僕がなんとか誤魔化してみせる! セリージャさんのスープに助けられたから、今度は僕がセリージャさんを助けたいんだ!」
その一言に、わたしの胸が弾むほどに高鳴る。
見えない手に引かれるように、ルシファー様のベッドに潜り込んだ。
「離れてると不自然に布団が盛り上がるから、もっとぴったりくっついて!」
言われるがままに、ルシファー様にギュッとしがみつく。
部屋の外では、ブラッドジャックさんが扉を力ずくで押し開けているところだった。
「うぬぬ……! やっと開いた。なんで像がこんなところに……?」
不思議そうなブラッドジャックさんに、すかさず言い添えるルシファー様。
「さ……さっき地震があって、落っこちちゃったんだ」
「地震なんてあったかな? まあそれよりも、ケガがなくてなによりだ。この像はあとで使用人に片付けさせよう。それよりも、具合はどうかね?」
ルシファー様の名演技と、とっさの機転のおかげで、像が扉を塞いでいた不自然さについてはごまかせたようだ。
しかしわたしが正常に思考できたのはそこまでで、そこからは一瞬にしてのぼせあがってしまう。
なぜならば、男の人のベッドに入るのは、前世も含めて生まれて初めてのことだったから。
しかも、わたしから抱きしめるなんてことをしているものだから……。
ルシファー様の、力を入れると折れそうな身体を全身で感じる。
ルシファー様の、あどけなさと男らしさの中間にある肌の匂いで、否が応にもドキドキさせられる。
それが引き金となって、わたしは数分前に体験した、心ときめく瞬間をふたたび味わっていた。
『いいから! 僕がなんとか誤魔化してみせる! セリージャさんのスープに助けられたから、今度は僕がセリージャさんを助けたいんだ!』
あの時のルシファー様の顔は、心臓をわし掴みにされるくらいりりしかった。
ずっと子鹿ちゃんだと思っていた男の子が、実はオオカミの子だったなんて……。
って、わたしってばなに考えてるの!? 相手はまだ子供なのに!
しかし、身体のほうは燃え上がるほどに熱くなっていた。
ぼんやりした頭のなかで、いまさらながらに思い出す。
そういえば……わたしの前世でのアダ名は……。
『恋愛偏差値ゼロ女』だった……。
ルシファー様を異性として意識しただけで、わたしの頭はすっかりオーバーヒート。
「ふっ……フォォォォォォォーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
とうとう奇声とともにベッドから転がり落ちてしまい、天井がグルグル回転するほどに、目が回って……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
神族専属の医師であるブラッドジャックさんは、ライオンのたてがみのような髪型をしていて、長い前髪で片目を隠している。
隠していないほうの目のそばには大きな傷があって、まるでフランケンシュタインのよう。
わたしの前世の世界だったら闇医者扱いされそうな風貌をしているけど、神族専属だけあって腕は確かなのかもしれない。
そんなことはさておき、わたしがベッドから飛び出してしまったせいでブラッドジャックさんに見つかってしまう。
意識が朦朧としていたので逃げることもできず、ドロボウ猫のように首根っこを掴まれ、ダンテ様の書斎に引っ立てられるわたし。
ダンテ様は、やっぱり怒っていた。
「弟の部屋に忍び込んで、なにをしていたのですか……?」
なんとなくそんな気はしてたけど、やっぱりルシファー様はダンテ様の弟君だったのか。
わたしは観念し、素直に答えた。
「ルシファー様に、ポトフを差し入れしていました」
「ポトフ?」
「スープの一種です。それで、ルシファー様に元気になっていただきたかったんです」
「セリージャさん、あなたは医者なのですか? そうではないのでしょう? もし病状が悪化した場合、あなたに責任が取れるのですか!? マッチ売り風情が、余計なことをしないでください!」
忌々しそうに声を荒げるダンテ様。
「言いつけを守れないような人間は、この屋敷には必要ありません! いますぐ出ていってください!」
「あの……お願いです、ダンテ様! わたしの話を聞いてください! この世界の食事は……!」
しかしダンテ様は、これで話は終わりだとばかりにわたしに背を向ける。
「マッチの配達も、もう結構です。金輪際、この屋敷には近づかないでください」
「そ、そんな……!?」
お……終わった……!
冷たい絶望感がわたしを包み、目の前が真っ暗になっていく。
もう、なにを言っても聞き入れてはもらえないと思い、わたしはうなだれた。
トボトボと書斎から、そして屋敷からも出ていこうとしたんだけど……。
開けっぱなしになった扉の向こうには、プラダを着た悪魔ならぬ、パジャマを着た天使がいた。
「ま……待って!」
その声は、頑なだったダンテ様の背中を振り向かせるほどの威力があった。
「ルシファーさん……? いつの間に立てるように……?」
信じられないものを見るかのように、真っ赤な目を剥くダンテ様。
同じ色をした瞳を潤ませ、ルシファー様は訴えていた。
「セリージャさんのポトフのおかげだよ! いつも出されているマズいスープじゃなくて、セリージャさんが差し入れしてくれたおいしいスープのおかげで、僕はこんなに元気になったんだ! お願い、兄さん! セリージャさんをクビにしないで!」




