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「映写」(『晩歌 -BANKA-』)⑥


          *   *   *


 結局私は、優芽先輩には改めて連絡を取る事なく、学校まで辿り着きました。途中でハンカチを取り出し、出血する手首を縛っていましたが、到着するまでの間に出血は止まり、傷は擦り剝いた箇所が時間経過でそうなるような赤黒い線に変じていました。

 そのうちまた、この間もそうだったようなケロイド状の瘡蓋(かさぶた)となるのだろう、と思うと気分は暗澹としました。

 先輩が来ていなかったらどうしよう、と心配になっていた私でしたが、その点については杞憂でした。

 西校舎の「部室」に行き、鍵が既に開いている事を確認してドアを開けると、果たして彼女はそこに座っていました。私はその顔を見た途端、堪えきれなくなって涙を流してしまいました。

「夜宵……」

「先輩……! 酷いですよ、私、あんなに何度も連絡したのに!」

「ごめん、ほんとにごめんね、夜宵」

 優芽先輩は、私の頭を優しく撫でてくれました。

「ちゃんとお話しする。何で私が夜宵からのLINE、見れなかったのか、ちゃんと説明するから……あの写真、持って来てくれた?」

 私は、出来ればもう例の写真を見たくはありませんでした。叶う事なら、直ちに処分してしまいたいとすら思っていました。しかし、このままでは済ます事が出来ないという予感もはっきりとありました。

 先輩と一緒であれば、大丈夫だ──来る途中で考えていた事を、心の中でもう一度自分に言い聞かせ、私は写真を取り出しました。


 ……………

 そこに、いよいよはっきりとした言葉で表白し得るものが写っていました。

 口角が裂けんばかりに口を開き、絶叫する”顔”の下半分が。


「………」

 私と先輩は十数秒間、それを見つめ続けていました。

 自分の顔がどのような表情を浮かべているのか、判断がつきませんでした。我に返り、先輩の方を向くと、彼女は口を引き結び、やっぱりか、というような険しい眼差しで写真を見ていました。

「……先輩?」

 私は、恐る恐る手を伸ばして彼女の二の腕に触れました。

 夏服の半袖に包まれた彼女の肌は粟立ち、クーラーではない理由でひんやりとしているようでした。

「先輩、もしかして……?」

「夜宵──」

 彼女は険しい表情のまま、私の方を見てきました。

「あなたにも、見えたのね?」

 私は、口腔内で凝固した唾液をごくりと呑み込みます。

「私、本当はね……最初に見た時から、そうじゃないかって思ってはいたんだ」

「それじゃあ、何で──」

 私は尋ねました。

「何で、私には教えてくれなかったんですか?」

「こんなにはっきり、見えていた訳じゃなかったから」

 先輩は言うと、写真を手に取り、くしゃくしゃと丸めて壁際のゴミ箱に放り込みました。

「何となく、口みたいだな、とは感じていたの。だけど見れば見る程、そうとしか思えなくなっていって……途中で分かった。これは、これ以上見えてはいけないものなんだって」

「そして──」

 私は、いつしか早鐘のように拍動していた心臓の上に手を置きました。

 その鼓動に合わせて、縛りつけた左手首の脈が、ハンカチの下でずきり、ずきりと疼くようでした。

「そして、先輩と同じものが、私にも見えるようになった」

 ──そう、なかったはずの実体が、もう少しで完成してしまう。

 そのように思った時、今し方写真に写っているものを見た時よりもずっと、私はぞっとしました。

「写真に写っていたのは、()()の顔。それで、確定だと思う」

 先輩は、結論が出た、というようにそう言いました。

「………」

 私はぐっと押し黙り、ふと思いました。

 ──それじゃあ、美嘉は?

(私たちよりもずっと長い間、写真を見ていた美嘉はどうなるの?)

 もしかしたら、と私は思いました。

 もしかしたら──彼女は最初からずっと、私たちには()()見えていなかったものに苦しめられていたのではないでしょうか。

 それでいながら平気な振りをして、精一杯のSOSを私たちに送り続けていたのではないでしょうか。しかし、それなら、彼女は自らに起こっている事と同じ事が、私たちに起こるとは考えなかったのか──と、そこまで考えてから、脳裏にふと思い浮かんだ事がありました。

 まさか、写真を見るだけでいけなかった訳ではないでしょう。

 あの「禁域」に行った事で、私たちの中で何かしらの”ボタン”のようなものが押されてしまったのでは?

 そもそもお父さんは、何故あの裏山を「禁域」にしたのか。

 お父さんは、何かを知っていたのでしょうか? その「何か」とは、あの裏山全体を「禁域」にしなければならない程、良くないものだったのでしょうか?

 昔から「禁域」に悪戯(いたずら)目的で入る人たちは居ましたが、その皆が私たちと同じような体験をした訳ではないでしょう。私とて、小さい頃に一度入り、お父さんから雷を落とされています。

 私たちは、美嘉が写真を撮った時の行動を、なるべく忠実に再現する形で検証を行いました。何々をしてからどうこうするとなんちゃらかんちゃらが出る、というのは定番中の定番の為、なるべく条件は同じにした方がいいのではないか、と考えた為です。

 何処でどのような条件を──たとえ偶然であっても──満たしてしまい、()()が始まるのか分からない。もしも本当に悪いものであれば、この程度の事では済まないのかもしれません。

 これ程の速さで事態が進展した事から考えて、私たちよりも早く()()に遭遇していた美嘉は──ややもすると、写真の変化を、最後の段階に至るまで見てしまっていたのかもしれません。

 最後まで見えるようになってしまったら、どうなるのでしょう?


          *   *   *


 私と優芽先輩は、一旦お互いの連絡先を削除し、改めて交換し合う事でトーク履歴の写真を完全に削除しました。美嘉に送ったものの方は、送信取り消しの有効期限はとうに切れてしまっていたので、少なくともこれ以上私が誤って見てしまう事がないよう、「削除」だけを行いました。それは、美嘉の方で履歴を開けば依然見る事が可能という事です。

 写真は、今でも何処かに残っている──けれど、それを処分するだけで事が済むのなら、これ程簡単な事はありません。正直なところ、私はまだ、心から気を抜く事が出来ていないのです。

 一応、あれからまた酷い発熱に襲われるような事は起こっていません。

 手首の傷は、瘡蓋(かさぶた)を剝がさないように掻くのを我慢しているうちに、また少しずつ小さくなりました。が、まだ時々、起こってしまった事は変えられないのだという事を突きつけるかのように疼く事があります。

 その度に私は、私たちが遭遇した()()がまだ終わっていないのだ、と自らを戒めています。


          *   *   *


 夏休みは、始まったばかりでした。

 七月中旬──暦の上では、まだ仲夏。先輩と会う為に学校に向かう道中、山に響く谷渡りの(うぐいす)の声が、これから危険な夏の本番が近づきつつあるという事を私たちに警告しているようにも感じられます。

 こんなにも「早く終わって欲しい」と思う夏休みは、十年間学生をやってきて、初めての事でした。


          *   *   *


 危ないと思った時には、手遅れになっている事が多い。

 どんなリスクについても、これは徹底して言える事です。

 私自身も半分は馬鹿にしていたこの忠告を、本気で受け止めざるを得なくなったのは、七月下旬、梅雨の明けて間もない、蒸し暑い日に始まった一連の出来事がきっかけでした。

 そう、始まったけれど、まだ決して終わってはいません。

 今、私は美嘉に、連絡を取ろうとすれば繋ぐ事が出来る状態です。

 依然メッセージに既読はつかないけれど、とりあえず夏休みが終わるまでの間は毎日連絡してみようと思います。



(映写・終)

 ご精読感謝です。「映写」はこれにて終了です。第一弾のテーマは心霊写真で、まあ定番といえば定番ですが、「最初に決定的なものが写ってしまい、それを境に不幸な事が起こり始める」というのがよくあるパターンだとすれば、これは「存在しなかった実体が出来上がっていく恐怖」を表現した話です。これから決定的な事が起こるという事が何となく分かる、という。

 これには、辻村深月さんの「手紙の主」(『きのうの影踏み』(角川文庫)収録)という小説がモチーフにあります。本作はビジュアルノベルゲームだったのでより視覚的な「写真」になった訳ですが、その為やむを得ないながらクライマックスにジャンプスケアを持ってきた為失敗作になりました。その際、夜宵が「きゃあああっ!」と絶叫するのですが、それもややチープな気がした為、ノベライズに当たってはあくまで静かにその場面を描く事にしました。

 これも『きのうの影踏み』に収められた「スイッチ」という話がよく表している事なのですが、怪談の怖いところというのは、そのようなパラノーマルな体験をした時、それまで培われてきた”常識”の範疇で「こういう事は起こる」「こういう事は起こらない」と考えていた線引きが意味を失うという事なのだと思います。一度そういう事があったのだから、これからはどのような事が起こってもおかしくはない、という。それは今までの”常識”では計り知れず、いつ何時、もっと致命的な非日常が自らに襲い掛かるのか分かりません。そしてこの手の怪奇現象は、いつ終わったのか、そもそも終わってはいないのかも分からないので、下手をすると一生再発を恐れながら生きねばならないかもしれません。

 私が洒落怖で「リアル」を読んだのは『きのうの影踏み』より後でしたが(それまで「くねくね」などは概要だけ知っていましたが、よりによって洒落怖で初めて全文を読んだのがこの最恐と名高い作品でした)、あの話は全く私の理想とする「怖い話」そのもので、その理由にはやはりこういった「一度起こってしまったらもう日常には戻れない」という事が全面的に描かれている為だと思います。あと、ネットの匿名性と「情報は複製されて伝わる」という基本原則も。友人にSNSで送った心霊写真が取り消し不可能という事はその例ですが、もしこれがインターネットに出回ってなどいたらもう取り返しがつかなくなっていたでしょう。今回は「禁域」に足を運ばないと条件が満たされないという事でしたが、もしも条件を満たしている彼女ら本人が何かの弾みでネット上で写真を見るなどの事がもしかしたらあったかもしれないのです。


 と、煽りはこの辺りで切り上げて次回予告を。不定期投稿になるとは言ったものの、本作の投稿中に第二弾「化」のノベライズも完了しました。明日以降も、『リ・バース』と並行してそちらを投稿したいと思います。本作を読んで「微妙だな……」と思われた方も、次回はまたテイストの違う作品ですので宜しければ引き続きお付き合い願いたいところです。

 それから蛇足ですが、本作の投稿中、「なろう」の文字コード(UTF-8)が絵文字に対応していない事、半角カタカナを使用すると勝手に全角に戻される事が分かりました。「知ってるわ」という方は結構ですが、知らなかった方はご参考までに。

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