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「映写」(『晩歌 -BANKA-』)⑤


          *   *   *


 熱は、思いの(ほか)早く下がりました。

 お父さんが親身になって看病してくれた事が功を奏したのか、それとも元々そこまで酷いものではなかったのか。ともあれ、苦しかったのはそれから翌日一日の間だけで、それからは嘘のように倦怠感も立ち消え、左手首を見ると例の傷も小さくなったようでした。

 私はひとまずほっとしましたが、その時にはもう、前日までの発熱と手首の傷、そしてあの写真の事を関連づけて考える事がごく自然になっていました。その事に気付いたのが実際に体調の回復した後で、はっとすると同時に、すぐに「まだ油断は出来ない」と気を引き締めました。

 起きられるようになると、私はすぐに美嘉や優芽先輩の事が心配になり、連絡を取る事にしました。

 美嘉に対しては、同時に事の顛末をまとめてLINEで報告したのですが、それから一日経っても既読はつきませんでした。同じように先輩に対して行った報告にはすぐにレスポンスがありましたが、そこで分かったのは、彼女もまた、私と同様左手首に傷が生じていたという事でした。

 私は、何で言ってくれなかったのか、と、自然に責めるような調子になってしまいましたが、先輩からの返事は「心配させたくなかった」という、よくある言い訳のようなものでした。

 先輩から、写真に何が写っているか、という事を尋ねられたので、私はもう一度それを確認しました。

 やはり、そこにはドーナツ状の靄が写っていました。が、また少し変化があり、その「○」の円周に当たる部分に、その内側の(ふち)に沿うような形で細かなぎざぎざが生じていました。

 それは何だか、生き物の歯のようにも見えました。

 その写真を接写して送ると、唐突に既読無視になりました。この間の美嘉がそうだったように、出来るだけアプリを開かず、写真を見ないようにしているかのようだと私には感じられました。

 それからは、夏休みが始まってから最初に部活動に顔を出す日になるまで、先輩とは音信不通の状態が続きました。


          *   *   *


 運動部や吹奏楽部、合唱部などは大会やコンクールに向けて夏休みも毎日のように練習に励んでいるようでしたが、私と優芽先輩の心霊研究会は二人だけの趣味的な活動なので、部活動とはいえ実際には「遊ぶ為に会う」くらいのノリでスケジュールが組まれていました。

 実際のところ、猛暑の中、特に何かをする訳でもないのにわざわざ学校に行く意味が分からない、と先輩は言っており、私もそのように思ってはいました。が、例の写真の一件で事情が変わりました。

 最後に連絡を取った日から、私は先輩の様子が気になり続けていました。

 さすがに登校の当日になったら、休むにしても「報連相」がないのは問題だろうと思い、前日にもう一度連絡を入れました。


 夜宵>> 部活は予定通りするんですよね?


 その際、直前に送った状態でトーク履歴に残っている写真が、殊更(ことさら)に意識するでもなく目に入りました。

 実物の写真は見れば見る程はっきりしていくようでしたが、それは先輩に最後に送ったJPEGの写真も同じようでした。先日初めて見えた、私が「生き物の歯のようだ」と感じたぎざぎざも、今では「ようだ」どころか「生き物の歯」そのものにしか見えません。

 途方に暮れながらも、私は写真を持って行く事にしました。

 もし先輩が無断欠席したら、その時は文句を言おう。そんな事を考えていられるうちは、まだ呑気なものだったようです。


          *   *   *


 学校の最寄り駅で電車を降り、歩き出した時、それは起こりました。

「痛っ……!?」

 私は思わず叫び、左手首をぎゅっと押さえました。本当に唐突で、堪える間もなく小さな悲鳴が上がってしまいましたが、幸か不幸か周囲には私以外の人の姿はありませんでした。

「また……なの?」

 無意識に独りごちながら手首に回した右手に、べたつくような(つゆ)の感触が生じました。見たくない──そう思いながらも、見ずにはいられません。見ると、これまで以上の出血が起こっており、ぎゅっと抑えた右手の指の隙間から血がだらだらと滴り落ちていました。

 本当に、リストカットを行ったかの如き有様でした。

 痛みが刻一刻と激しくなり、左手首が取れるのではないかと思う程の激痛に、私は声を押し殺すのが精一杯でした。

 私は半泣きになりながら、駆け出していました。

 早く着かねばならない、という一心に支配されていました。

 病院にではなく、学校にです。前日の連絡に対して先輩からの返信はやはりありませんでしたが、彼女はきっと学校に居て、私を待っているに違いない、という思いがありました。

 先輩に会えば、何とかなるような気がしていました。勿論、今起こっている事を彼女が解決してくれると思った訳ではありません。それでも、少なくとも私に起こった事は分かってくれるように思いました。

 しかし、もしも彼女が来ていなかったら?

(……連絡しなきゃ)

 そう思い、膿が混ざっているのかやや黄色味の掛かった血に塗れた手でスマホを取り出しかけましたが、そこではっとしました。

 今トーク履歴を開いたら、私は今まで自分自身の送り続けてきたあの写真を開いてしまう事になるのではないか。見る度に鮮明になっていく写真──そして、それを送ろうとする度、美嘉や先輩の様子はおかしくなりました。

 あの写真が全て見えるようになっては、いけないのではないか、という考えが脳裏に萌しました。

 あのまま写っているものが鮮明になり続け、全てがはっきりと見えるようになってしまった時、どうなるのだろう、と。

 私はこれまで、一体何枚の写真を二人に送ったのだったか──。

(もし、見るとしても)

 私は今日、そのつもりでした。先程も思った通り、先輩と一緒であれば、どのような結果になるとしても大丈夫だという気がしたのです。何が起こるとしても、独りでそれに対峙するのは嫌だ──そう、()()と思ったのでした。

 けれど、もし先輩が来ていなかったとしたら?

 私は、どうすればいいのでしょう──。

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