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「闇深淵」(『晩歌 -BANKA-』)②


          *   *   *


 その一件の為に中止になり、その後取り壊しが決まった為に結局再開される事なく終わったのだが、当時団地では、AからFまで六つある棟の全てで大規模改修工事が行われていた。

 団地は東日本大震災以前からあり、建物は全て築三十年以上だというが、やはり震災の時に外壁に亀裂が入るなどの損傷はあり、柱も随所で老朽化が起こっていた。目に見える損傷が発生した場合、その都度修繕は行われていたが、それでは長期的に見て費用が掛かりすぎるという事になり、その工事は実施が決定した。

 しかし、集合住宅でそのような事を行うと、どうしても住民たちの生活には影響が出る。その後住民たちが退去した時と同様、管理人さんは一人一人と綿密に話し合いを行い、それぞれへの対応を決定した。

 最終的に、工事期間中、住民たちの中で一時的に団地から別の仮住居に移された者は居らず、やむを得ない場合は数週間だけ間取りの同じ別の空き部屋に移って貰うなどの小規模な移動で済まされた。私たちも全員、少なくとも一度──未来のみはどうしても他の住民との都合がつかず二度──は移動があった。

 それでも、各棟に足場が組まれた事でベランダで洗濯物が干せなくなったり、廊下が迷路のようになったり、外に出る為に臨時通路を使用せねばならなくなったりという事で、住民たちから不満の声が上がるのは如何(いかん)ともし難かった。特に、隣接したA棟とB棟の間に足場が組まれ、それぞれの棟の一階のうち、団地自体の出入口よりも奥側の部屋に住んでいた者たちは、出掛ける為に棟の間を抜ける事が出来ずわざわざ遠回りをせねばならなくなったとぼやいていた。

 そのような中、私たちはというと、見慣れた住まいがアスレチックかダンジョンのようになったので、大人たちの文句を他所(よそ)に「面白い」とはしゃいでいた。男子二人を筆頭に、窓から足場の上に出たり、登ってはいけないと言われていた場所に登ったりしたので見つかり次第大人からは叱られたが、一向に懲りなかった。

 私と未来、将、隆矢はA棟に住んでいたが、環のみはB棟に居た。彼女と隆矢は棟の間を挟んで隣同士の部屋だったので、紙コップで作った糸電話や紙飛行機、一時期皆で嵌まっていたモールス信号でやり取りをするなど二人だけで楽しんでいるようだったが、棟間に足場が組まれた事で、その上を通れば私たちが彼女の居るB棟と行き来する事は容易になった。

 連日そのように冒険をする中、団地に地下空間があるらしい、という話を持って来たのは将だった。

「見たんだよ、俺。あの『開かずの扉』が開いてるとこ」

 ビオトープの脇で並んでメダカの観察日記をつけている時、彼は高揚した調子で私たちにそう言ってきた。

「資材置き場になってるA棟の裏、カラーコーンで四角く区切られて立ち入り禁止になってたんだ。で、あの小さい『祠』の扉が取り外されてた。工事の人たちも出入りしてないみたいだったし、今なら多分入れるぞ」

「マジで? あの『祠』が?」

 私たちが「祠」と呼んでいたのは、勿論本物の祠ではなく、神社にある稲荷社くらいの大きさの小さな建造物だった。学校の屋上にある階段室のようなものをイメージすると分かりやすいが、そのように四角いコンクリートの塊に扉を取り付けたような代物で、扉にはいつも鍵が掛かっていた。プレートは掛かっていたが、当時の私たちでは読めない漢字が書かれており、何の為の部屋なのかは分からなかった。今では恐らく、「循環室」や「非常用設備」などというような事が書かれていたのではないかと思っている。

 冒険に飢えていた当時の私たちにとって、身近にありながら入る事の出来ない場所というものには、子供ながらにゲームに於ける隠しエリアのようなロマンを感じさせられた。その場所の存在に気付いたのは小学一年の頃だったが、そこに入る事はいつしか私たちの中で、最近では開放されている事が少なくなってしまった学校の屋上に出る事と同様の目標になっていた。

「将、中見たのか?」

 隆矢に尋ねられ、将は興奮した調子で語った。

「バーの外からちらっと、くらいだけどな。中は部屋じゃなくて、直で地下に繋がる階段になってた。向き的に考えて、そのまま真っ直ぐだったらA棟の真下に当たるんじゃないかな」

「真下……そういえば」

 部屋が一階にあり、一階の廊下を歩く事の日常的な私には、彼の話を聞いて思い当たる事があった。

 棟の二階以上はリノリウムになっていたが、一階の廊下の床はコンクリートが剝き出しで、ひびや汚れが目立っていた。その床に、何箇所かマンホールの蓋のようになり、地下に繋がっている事を示唆するような部分があったのだ。マンホール自体は何処にでもあるので、それも殊更(ことさら)に探索意欲の向く対象ではなかったのだが、

「俺、それでちょっと思った事があってさ」

 将は言った。

「ずっと前、管理人さんがA棟に動物が居る臭いって言ってたじゃん? 実際に狸みたいなのを見たって人も居るし。だけど、階ごとの天井裏を調べてもそれっぽいものの巣は見つからなかった。

 もしかしたら、動物は地下に棲んでいたのかもしれないよ。で、そいつらが何処から出入りしてるのかが分かれば、俺たちがこれから先、こっそり地下に入れる場所が見つかるかもしれない。そしたら、去年駄目になった秘密基地計画も再開出来るかもしれない」

 彼の言葉に、私たちは「おおっ」と小さくどよめいた。

 秘密基地というのは、低学年の頃から私たちが度々作ろうとしては失敗してきたものだった。学校の校庭の隅に廃材を運び込んで叱られたり、「団地組」以外の児童に見つかって話が膨らみすぎた為に頓挫したりなどと様々な理由があったが、結局この時を除くと第五次までやったので、およそ一年に一度のペースで企画しては挫折してきた事になる。

 この時もやはり、今までと同じ根拠のない自信に過ぎなかったのだが、将の提案に私たちは、今度こそ上手く行きそうだ、やろう、と色めき立った。

「けど、大丈夫かな?」

 一応未来は、リーダーとしてリスクを検討した。

「扉が外されてたって事は、工事の人たち、これから近いうちに中で何かするって事なんでしょ?」

「俺もそう思って、あくまで雑談って感じに管理人さんに聞いてみた。『祠』が立ち入り禁止のバーで囲まれてたけど、これから何かする予定なのか、って。そしたら管理人さん、名前は忘れたけど何かの機械を取り換える工事をするんだ、って言ったんだ。肝腎の取り換え用の機械がまだ届いていないみたいだから、工事は来週以降になるって」

「だとしたら、やっぱり早いうちに調べといた方がいいのか」

 環が言い、未来は「よし」と手を打った。

「決まりだね。皆、それぞれの準備が整い次第またここに集合って事で」

 思えばこの時から、彼女は中学受験の為の勉強が始まっていた事になる。彼女はその大変さについて、合格が決まるまで私たちに詳しく話す事はなかった。また私たちも、受験というものの大変さをその時はまだ理解していなかった。

 未来は毎日のように私たちと会い、「作戦」に繰り出していたが、勉強はいつしていたのだろうか、という事は未だに疑問だ。とはいえ、幾ら私たちでも四六時中行動を共にしていた訳ではないし、私や将たちにしたところで、夏休みの宿題はお約束のように溜め込みがちだったが結局最終日までには終わるものだったので、そこまで深く考える事ではないのかもしれない。

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