「闇深淵」(『晩歌 -BANKA-』)①
私たちが小学生時代を過ごした団地のあった場所は、更地になっていた。
道路工事が行われるらしい。既に用地買収は済み、建物の取り壊しが終わるやすぐに整備に取り掛かるようで、広大な空き地となったその場所には規制線が張られ、ダンプカーやロードローラーが多く停められていた。
私たちは最初、団地に隣接する形で造られていた小さな公園に集合する事にしていたが、滑り台とリングチェーンにベンチが二つあるだけだったその公園も、既に跡形もなかった。小学校入学以前からの幼馴染だった事でよく一緒に居り、学校では「団地組」と呼ばれていた私たち五人は、放課後や休日、そこに集まっては「作戦」と称して近所のあちこちを飛び回ったので、その思い出の場所がなくなっていた事にはショックを受けた。
「三年っていったら、田舎町が変わるには十分すぎるのかな」
未来が、そう呟いた。男女混合の「団地組」の中で、殊更に何処かのタイミングで決めた訳ではないながらも自然に私たちのリーダー的な立場になっていた彼女は、仲間の一人でお調子者の将が冗談交じりに言い出した事をきっかけに「組長」という渾名で呼ばれていた。
「中学校、あっという間だった気がするね」
環が、小学時代と変わらないおっとりとした口調で言った。
「もっと、皆で集まれたら良かったのに」
「仕方ないよ。私たち皆、小学校卒業の時点でスマホは持たせて貰えていなかったんだもの。引っ越し先の固定電話は一応皆に教えたけど、それで一時間、二時間駄弁るってのも難しいし」
未来の言葉に、私と環は肯いた。
公道を作る為に団地のあったこの土地を買収するという話が市から出たのは後々の事だったが、団地の取り壊しが決まったのは私たちが小学校を卒業するまさにそのタイミングだった。
管理人による住民たちの説得と交渉に時間が掛かった事で、私たちは卒業式を終えるまでの間、五人で団地に居る事が出来ていた。最終的には皆、立ち退き料を貰って退去する事になったが、その後私たちはばらばらになった。
私と環はその時期に丁度、それぞれの親の転勤が重なった。その為、将と隆矢が学区分けで自動的に進学した中学校には通えず、また未来も私立の中学校に入学したのでその後将たちと会う機会は殆どなくなったそうだ。皆新しい住所や電話番号は共有していたが、やはりだからといって頻繁に音信があるものでもない。
高校進学から間もなく、また五人で集まろう、という事を提案したのは、男子二人だった。彼らは高校では分かれる事になったものの、進学と同時にスマートフォンを購入していたので真っ先に連絡先を交換し合い、それをきっかけに私たち女子三人に電話を掛けてきた。
私は、自分が「これが百沢依里という人間だ」と言えるような”個性”を持つようになったのは中学生になってからだと思っている。無論、それ以前からも「面倒臭がり」や「読書が好き」などの特徴は有していたものの、自分がどのような人間なのかという事について自覚を持ち、変化しない本質的な部分を持ったのがそれくらいだと思うのだ。小学生時代はやはりそれらしく、それなりにいい子で、それなりに無邪気でありながらやはり悪戯っ子だった。
だから、「団地組」の皆と会わなくなってから、彼らからすれば自分はまだ小学生の頃の人物像で変わっていないのだろうな、と思うと、将たちから会わないかという提案をされた時、やや躊躇いを覚える気持ちがないでもなかった。大部分の人がそうだと思うが、小学生の頃の思い出など、ある程度年齢を重ねてから振り返ってみれば大半が黒歴史のようなものだ。
ホームセンター前で合流してからこちらへ向かう、と連絡してきた男子二人を待ちながら、私たち女子組は、かつてそこにあった公園のすぐ脇に、こちらは現在でも残っているバス停の屋根付きベンチに腰掛けて話をしていた。集合場所はここで、環とは駅で一緒になったが、私たちが着く頃には既に未来は来て待っていた。小学生の頃はショートヘアでボーイッシュな外見だった彼女は、髪を伸ばしてハーフアップにしており──それから話をする中で、中学二年の頃から伸ばし始めたらしいという事が明らかになった──、何処か”お嬢様”という感じのする白いレース付きのブラウスに吊りスカートを身に着けていた為、最初は私も環も、彼女が「組長」である事に咄嗟に気付けなかった。
「彼氏でも出来たの?」
やや揶い気味にそう尋ねた私たちだったが、
「元から、ほんとはこういう格好の方が好きだったんだけど……」
彼女はそう言い、やや恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「模試の時、将には一回会ったんだよね。あいつも、私が髪伸ばしてる事知って驚いてたっけ」
そうしていると、道路の向こうから「おーい」と声を掛けられた。私たちは同時にそちらを向く。
二人の少年が、こちらに向かって手を振っていた。一人は背が高く──といっても恐らく同年代の男子たちの中では平均身長前後なのだろうが、痩せているのでその分縦に長く見える──、もう一人は小柄だった。
将と隆矢。二人の顔は、小学校を卒業した時とそこまで変わっているようには感じられない。ただ、隆矢の方は卒業間際まで少年野球団のような坊主頭だったが、現在では将よりやや短い程度に伸ばしていた。
私たちが手を振り返すと、彼らは横断歩道のない道路を、左右から車が来ないのを確認してからこちらに渡って来た。
「久しぶり。……ああ、やっぱり依里たちだな」
「早くない? 多分、来る途中でもう私と環の事見えてたでしょ?」
私が言うと、将が「いやあ」と後頭部を掻いた。
「そうなんだけど、遠くからだったから自信がなかったんだよな。だから、待ち合わせ場所が同じだって分かるまで黙っていようって」
「そういうもんかな?」
「組長を見ればよく分かるだろ」
将に言われ、未来はやや居心地悪そうにする。
「その『組長』っていうの、そろそろやめない?」
「グルラ、作るか?」
隆矢の一言で、まだお互いにSNSのアドレスを交換していなかった者同士は連絡先を交換し合った(携帯電話番号のみは、将が連絡して来た時に口頭で伝え合っていた)。
開設したグループに適当にスタンプを送り合ったり、私が環や未来と再会した時のようにひとしきり久闊を叙し合った後で、「で」と将が言った。
「皆、今までどうしてたよ?」
「どうって……普通に、中学生してたよ。だけど、具体的にって言われるとなあ。本当に、何してたんだろうね? 次のテストまで何日、部活の大会まで何日、って考えてるうちに、三年間終わってた」
環が言った。
「皆、部活何やってたの?」
「俺と隆矢は陸上。ま、中総体じゃ最後まで優勝出来なかったけどな」
「私は一年の時に軽音入ったけど、すぐに辞めちゃった」
と未来。「その後は、ずっと無所属」
「私も帰宅部だった」
私は言い、今更ながら「勿体ない事をしたな」と思う。
「塾通ってたから、そっちの方が忙しくって」
「部活入ると、最初の方は友達出来やすくていいだろ。中学校って大体、小学校からの奴が大抵居るからそこまで気張らなくてもやっているけどさ。組長は確か、他にも何人かN**中に行った奴居たんだっけ」
隆矢が言い、未来は「まあね」と答えた。「でも、依里と環は大変だったんじゃない?」
「ところがあんまり大変じゃなかったんだよね、これが。こっち、人数多かったから小学校違う子たちが一杯居て、他の子たちもクラスの半分くらいは初対面、みたいな感じだったの」
環は言ってから、そうだ、と手を叩いた。
「高校は? 皆何処に行ったの?」
「俺はI**高。スポーツ推薦だったから、面接だけで行けた」
「将はずるいよなあ。俺、入賞すら出来なかったから普通に公立受験だよ。S**高受けて、ぎりぎりで合格」
「私も公立に移ろうとしたけど、模試やってちょっと危ないって分かったからそのまま安全策を採る事にした。N**のまま持ち上がり」
「組長はそれで十分だと思うよ。私なんて、公立落ちてT**だもん」
環はやれやれというように言ってから、「まあ」と付け加えた。
「滑り止めだったし、模試の結果よりずっと偏差値低い所行ったからね。授業、大分楽してます。依里は?」
「私は面接で、最初から私立。A**高」
私は言ってから、微かにセンチメンタルな気分の漂うのを覚える。入学して間もないが、両親から「まだ確定ではないが」と念を押された上で、ややもすると一、二年のうちにまた転勤になるかもしれないと告げられたのだ。そうなった場合、今度は首都圏の方で、当然転校する事になる。
転校の際は、制度上A**高が系列校にこちらの事を紹介してくれるらしいので編入試験などの心配は特にない。だが、やっと出来た友達とまた離れる事になるのだろうか、と考えるとやはり寂しさは拭えない。
私の両親は大学時代からの付き合いで、社会人になって二年目に結婚して私を産んだ。だから私は、生まれてから小学校を卒業するまでの間は団地に留まり続け、両親がある程度会社に留まった後は転勤が多くなるという事をその時はまだ理解していなかった。これが、実際に転勤が多くなった後に就学年齢に達していたら、当然ながらこの五人で過ごした期間は短くなっていただろうし、学校で友達が出来た矢先に転校という事が繰り返され、心を閉ざしがちになっていたかもしれない。
私は、今まで友達になってきた人たちの中で、「団地組」との付き合いが最も長かった事を良かったと思っている。小学校の六年間という、各学生時代のうち最も長い期間を彼らと共に過ごせたからこそ、自分にも友達が出来る、という事を早いうちに覚えてここまで来られたのだ、と。
小学校からの同級生が多い中学校を卒業すると、大人になって同窓会などで顔を合わせるまで当時の友人たちと会わない、というケースも珍しくはない──らしい(私はまだ高校生なので、あくまで知識として知っているだけだが)。だが、私たちはこうして現在、会っている。
お互いに進路を報告し合った為、私だけでなく未来たちもそのような事を自然に考えたのだろう。皆、何処か感慨深げな表情を湛え、私の報告を最後に暫し無言でそこに佇んだ。
やがて再び開口したのは、隆矢だった。
「……やっぱり、何かさ」
彼は、更地になった団地の跡を見ながら言った。
「小学校の頃の事なんて大抵恥ずかしくて、話題に出されるのも嫌なくらいのものだけどさ。こうして綺麗さっぱりなくなってみるとやっぱり懐かしいよ、団地。楽しかったんだな、あの頃」
「隆矢、あんまり暗くなるなよ」将が言う。
「だけど、考えちまうものは仕方がないだろ? もしまだ団地があって、まだ俺たち皆、ここで暮らしてたらさ……そしたら、こういう気分になる事もなかったんじゃないかって」
「隆矢、もしかして」
環が顔を上げ、無意識にだろう、未来の服の裾を指先で摘まんだ。
「やっぱり、同じ事考えていたの? 団地がなくなったのって、あの事があったからじゃないかって」
「まあな。……いや、分かってはいるんだ。俺たちのせいじゃない、俺たちが見つけなかったとしても、あれは遅かれ早かれ工事の人たちに見つかっていた。それだけでも十分、管理人さんとしては放置する訳にも行かなかっただろ」
隆矢は言ってから、やや申し訳なさそうに肩を竦めた。
「悪い。皆、嫌な事思い出させちゃったかな」
「いや──」
未来が、自らの二の腕を押さえながら頭を振る。
「皆、忘れられる訳がないもの。私も、ずっとその事を考えていた。だけど、やっぱり言ったらマズいかなって……依里も環も、多分そうだったでしょ?」
彼女の言葉に、私と環は揃って微かに顎を引いた。
私の脳裏に、六年生の夏に遭遇した出来事が去来していた。きっと、他の四人も同じ光景を思い浮かべているに違いない。
その夏、私たちは懐中電灯を手に、暗く狭い地下のトンネルの中を進んでいた。閉鎖された空間の中ではあらゆる物音が反響し、私たちは途方もなく大きなものに取り巻かれているような気分になっていた。
トンネルに蟠る闇自体が、実体を持ったかのようだった。私たちはその中に、行き場を求めて流れる風の音ではない、渦巻く水の音を聞いていた。
そして恐らく、それだけではなかった。
第七弾「闇深淵」を投稿します。題名は「やみしんえん」ではなく「やみわだ」と読みます。これは昔の文語で書かれた聖書などに登場する言葉で、深く、底知れない闇を孕んだ水面という意味です。「黒暗淵」とも書き、明治時代の文学作品を読むと時々出てきます。
見るからにどす黒い題名ですが、内容はノスタルジックです。小学校時代の事など、思い出したくもないような事柄が満載ですが、いざ思い浮かべようとすると懐かしい情景が幾つも浮かび、その殆どが夏の事です。夏も好きか嫌いかでいえば嫌いだったのですが(暑いし雷が怖かったしプールはあったし)、夏の情景といって頭に浮かぶのはいつも日盛りの校庭や涼しい夕暮れの散歩道、向日葵というような光景ばかりです。『サマータイムレンダ』の第一クールED「回夏」(cadode)のMVを視聴した時の情緒が、本作を執筆した時の気分に近しいものでした。
とはいえ、ちゃんと今回も怪奇幻想です。「喪失」というテーマも健在なので、是非最後までお楽しみ下さい。




