「マヨイガ」(『晩歌 -BANKA-』)⑥
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『遠野物語』もそうだが、地域に根差した民間伝承やかつての風習についてまとめた本には、確かにマヨイガのような夢のある話や、座敷童のような微笑ましい話は多く記載されている。しかし時折、嘘だ、と否定したくなるような救いのない話に出会う事もある。
蓮台野という土地の事を始めて知った時、私はまさにそのような暗澹たる気分になった事を覚えている。『遠野物語』によれば、山口、飯豊、附馬牛、土淵などの地域には「ダンノハナ」という共通した地名があり──「壇の塙」の意味であり、丘の上に築かれた塚を指すという──、それらと対を成すように存在するのが蓮台野だという。
それは姥捨て山のようなものであり、昔──『遠野物語』が成立した明治四十三年の時点でそう書かれているので、本当に昔の事なのだろう──は六十歳を超えた老人を皆そこへ追いやる風習があったという。別の資料ではデンデラ野と表記されている事もあり、そこへ追いやられた老人たちは昼間には里に戻って来て皆と共に働いていたという話や、そのまま飢えと寒さに苦しみながら最期を迎えるしかなかったという話、或いはどうしても親を捨てる事の出来なかった者が村人たちには黙って家へと連れ帰り、後にその老人の知恵によって家や村が危難を逃れたという寓話のような話も伝わっている。
人の力ではどうする事も出来ない天候次第で、容易く食糧を得られなくなった時代の話だ。生命が今よりもずっと危うく、隠れ里のイメージが知足安分の理想郷とされていた時代。その頃人々は、無論身を引き裂かれるような思いはしただろうが、肉親を”捨てる”という事が選択肢の中に存在していた。
それを、言い訳と切り捨てる事は許されない。現代では既にそのような風習はなくなったものの、介護施設に高齢の家族を預けるという選択肢は制度の一環として存在している。私は祖父が最期の時まで自宅で介護されていた姿を見、また祖母が実際に施設に入居して実感したが、母子家庭で、収入を得る為に働かざるを得ない母と、未だに学齢に在る私や兄だけで、祖母を自宅で介護し続ける事が出来ただろうか。それをしていたら、却って精神面だけでは済まない肉体の限界が皆に襲い掛かっていた事だろう。
──こういった事情を、当事者でない者たちに「言い訳だ」などとは絶対に言わせない。
そもそもそれが、家族でない人間への”丸投げ”であるのなら──それで済むのなら──、私たちはこれ程祖母の言葉に連日悩む事もなかっただろう。
この言葉を聞いて、私の目の前がこれ程暗くなる事も。
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「村社会に交じり合う事の出来なくなった老人が、そこを離れてひっそりと暮らす場所、といったら、何となく隠れ里にも通じるような気がするだろう? まあ、姥捨て山と理想郷では真反対のようなものだけれど」
敏郎おじさんはそう言った。
「お祖母さんはそうは言わなかったが、うちのお父さんは言ってたっけ。そこまで深刻な調子ではなかったけれど、私たちを始め、沢山の人たちに迷惑を掛けて死ぬのは嫌だ、って」
「………」
「いつかその時が来たら、自分も蓮台野に行くんだ、って。けど、お父さんが言っていた時の事を思うと、ちょっと不安になる。その調子が、何というか……死んだら天国に行くんだ、というような感じと似ていたような気がしてね。むしろ、それを楽しみにしているかのようですらあった」
──マヨイガに隠れ里、蓮台野。
いずれも、「ここではない何処か」という点では同じだ。そして、その「ここではない何処か」という言葉が使われる時、それがたとえ生ある者の世界ではなかったとしても、私たちは否応なく理想郷を連想する。
──祖母は、本当に心の中の原風景に帰りたがっていたのだろうか?
私はそう考えた。
むしろ祖母は、行かなければ、という義務に突き動かされるようにして、何処かへ行こうとしていたのではないだろうか。この土地の人々が抱く文化依存的な死生観を共有する、最後の世代として。混濁する記憶の中、祖母の目指した場所が、かつてこの土地に生きていた多くの老人たちが目指した場所と同じだったのだとしたら、それは。
「……蓮台野に」
自然に、その問いが口を突いていた。
「追いやられた老人たちは、その時何を思っていたんでしょう?」
敏郎おじさんは暫し熟考するように、やや俯き、目を閉じていたが、やがて再び口を開いた。
「もしも全ての老人が追いやられたのだとしたら、きっとその人たちも若い頃、肉親を蓮台野に捨てた過去を背負っていたのかもしれない。それが風習だったのなら、今度は自分の番か、という気持ちにはなっただろうね。
姥捨て山の昔話に、こんなものがある。村の男が老いた母親を背負い、姥捨て山に捨てに行く時、母親が道々、木の枝を折って来た道の印を付けていた。男はもう村には戻れないのに何故そのような事をするのか、と尋ねた。するとその母親は、自分の為ではなく、息子が帰り道に迷う事がないようにそうしているのだ、と言った。彼はそれを聞いて涙を流し、やはり自分には母を捨てる事は出来ないと思い、母親を背負ったまま村へと引き返す。
きっとこの時、この母親は全てを受け入れ、諦めていたのだと思う。もう、家族に迷惑を掛ける訳には行かない、という風に」
敏郎おじさんは言ってから、でも、と付け加えた。
「それでもやっぱり、惨い事だと直感的に思ってしまう気持ちばかりは、どうしようもないものだね」
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彼らにお礼を言い、私は暇を乞うた。
家を出、駅に向かって歩き出しながら、離れた事で全体が見えるようになった山の方を振り返る。
地域的に考えて、この場所に蓮台野があったとは思えなかった。しかし、ここに着いた時よりもやや曇った空の下、黒々と佇む山は、これまではそうは感じなかった不気味さを湛えていた。
敏郎おじさんの言っていた事が、頭の中で渦を巻き続けていた。
──全てを受け入れ、諦めていたのだと思う。もう、家族に迷惑を掛ける訳には行かない、という風に。
それはまさに、元気だった頃の祖母が考えそうな事だった。
幼少期に精神が遡って尚、私たち家族の事を認識し続けていた祖母。恐らく、それが祖母自身も気付かないうちに、辛うじて残された記憶に小骨の如く刺激を与え、知らず知らず苦痛となっていたのではないか。
そうだとしたら、祖母を突き動かしたのは、行き着くべき終の棲家が理想郷である事を願う気持ちだったのかもしれない。自分がそこに行く事は、祖母の中では、選択の余地もなく、至極当たり前のように決まっていた事で。
(……ごめんね)
何故か、そのような言葉が浮かんだ。
迷惑だなどと、思うはずがない。私たちとて、祖父母が穏やかな老後を過ごす事が出来なくなった要因だった。そもそも「生活する」という事それ自体が、誰かに迷惑を掛ける事なのだろう。
──あの山の中に、マヨイガは本当にあったのだろうか。
あったかもしれないし、なかったのかもしれない。後者だったら、と考えた時、私は俄かに、気管支が絞られるような感覚を覚えた。
もしかするとあるかもしれない、と思えるような、ささやかな理想郷。それが存在せず、悲しい蓮台野の風習だけが確かに存在したのだというのでは、あまりにも祖母が救われないような気がした。またそう思う事に、私自身も既にその実在性を胸中に抱き始めているのだろうか、と考え、呆然とせざるを得なかった。
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祖母が施設で息を引き取ったのは、秋の初めの頃だった。
(マヨイガ・終)
第六弾「マヨイガ」はこれにておしまいです。当初はここまで重い話にするつもりではなかったのですが、何故こうなった。しかし、今回は地域に根づいた伝承に基づく不思議な話という点で、私の初奇譚集である『化物怪奇譚』への原点回帰ともいえるでしょう。
今回のお話は『遠野物語』を参考にした部分が随所にありますが、蓮台野の話については『化物怪奇譚』収録の「龍王」でもちらりと語られます。「龍王」の執筆期間は私がまさに『遠野物語』を呼んでいた時期と重なるのですが、このような生々しい話もマヨイガなど他の面白い話と同じ調子で静かに語られるので、却ってぐっとくるものがありました。
明日からは第七弾に入ります。引き続き宜しくお願いすると共に、ここまでお読み下さった皆様に改めて感謝を。




