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「マヨイガ」(『晩歌 -BANKA-』)④


          *   *   *


 私たちの学校のバレー部は、八月の頭に京都で開催されるインターハイには出場する事が出来なかったので、代わりに可能な限り合宿が詰め込まれた。二度目は盛岡市で、地元のチームとの合同という形だった。

 例によって、日程には自由行動も含まれていた。そして距離的に、合宿所から祖母の生家まではそう離れていない。

 それはあたかも、誰かが私に「遠野へ行け」と囁いているかのようだった。本当は例年盛岡での他校との合同合宿は行われており、思いがけない奇跡的な偶然という程の事でもなかったのだが、私はこの事を、自らに与えられた”機会”であるのだと解釈した。

「マヨイガ?」

 自由行動を許された日、私や、よく私とつるんでいる舞(マイ)や澪(ミオ)は、昨年の同じ合宿の時に知り合った地元の女子高生たちから「遊びに行かないか」と誘われた。

 昨年は彼女らに案内され、度々「私たちも付け焼き刃なんだけどね」と繰り返されながらも岩手銀行赤レンガ館──博物館──など観光スポットに連れて行って貰ったり、ショッピングや食事を楽しんだりした。その際連絡先も交換し、今年もこちらが夏期休暇に入る前、グループで連絡を取り合い、今年も何処かに行けたらいいね、という風(ふう)に、あくまで雑談程度でそこまで綿密に予定を立てた訳ではないが話し合ってはいた。

 私はいざ合宿が始まるまで、本当に岩手に居る間に祖母の生家を訪れるか否かという事については、正直なところは迷い続けていた。祖母がマヨイガの幻想を持つに至った経緯を詳らかにする事に、そこまで意味があるのだろうか、という気持ちは依然大きかった為だ。

 しかし、気掛かりを放置して後悔するよりは、やはり与えられた”機会”を最大限に有効活用すべきだろう、という考えが最終的に勝(まさ)り、私は舞たちやこちらで仲良くなった彼女らに事情を説明して詫びた。

 祖母の現在の状態については、身近な友人たちには話していた。その為、彼女たちへの説明も舞たちが一緒にしてくれたのでスムーズに済んだ。彼女たちは決して強制する事なく理解を示してくれ、

「歩美も大変なんだね」

 と言ってすらくれもした。

 私は、彼女たちであればこちらの話も真面目に受け合ってくれるだろう、と思ったので、念の為マヨイガについて地域伝承か何かで耳にした事がないか、と尋ねてみる事にした。ネット上で検索すれば、件(くだん)の『遠野物語』を始めとする資料やその記述を探る事は出来るが、やはり地元の者から直接聞く事の出来る情報というものは価値がある。

 ネット上で検索した限りでは、マヨイガからやって来たという妄想を抱く人が居るというケースは見つからなかった。半ば予想していた事ではあるが、もしもこれが地域文化に依存する類(たぐい)の症例だったりしたら、という可能性はあるので、同じような事を言い出した者が居ないかを確認しようと思ったのだ。

「そもそもその『マヨイガ』って言葉自体、今日初めて聞いたな、私たち。地元民なのにね」

 絢音(アヤネ)はそう言い、やや極(き)まり悪そうに頭を掻いた。

「そこって、人が住んでる場所なの? それとも、宝物の入った箱、みたいなものがたまたま家の形をしているだけ?」

「分からないの。私も、マヨイガって言葉が『遠野物語』に書いてあった事に気付いたのがついこの間なんだもん」

 教科書で習う事についても同じ事がいえるが、最初に殊更(ことさら)に意識していない事柄については記憶から零れがちだ。無論、『遠野物語』は最初に読んだ時から面白いとは思ったが、如何(いかん)せん不思議な話が他にも沢山載っているので全てを覚えられる訳ではない。

 絢音と一緒に私たちを誘ってくれた乃由(ノユ)が、考え込むように顎に人差し指を当てながら「それってさ」と言った。

「隠れ里……っていうの? それと似ているんじゃないかな?」

「隠れ里?」

「ほら、よくあるじゃん。深い山の中を進んで行くと、誰も知らない、地図にも書かれていないような集落に出る、って話。俗世を離れた人たちが、っていうのかな。だけど、行ける時と行けない時がある」

「……どうなんだろう?」

 似ているといえば似ているようにも、そうでないようにも思えた。乃由は、自ら語っているうちに得心が行ったのか、やっぱりそうだ、というように肯きながら言葉を続けた。

「歩美がさっき言ってた、川からお椀が流れて来る話。それ、隠れ里に辿り着く話のレパートリーには結構あるみたいだよ。お椀じゃなくて、箸だったりする事もあるみたいだけど」

「ゆったりした場所なんだろうね、きっと。そういう所は」

 隠れ里という言葉自体は、私も知らなかった訳ではなかった。山奥や、水の流れ出す洞穴を潜った先にある小さな村。村人たちは争う事なく平和に、悠々自適の共同体を営んでおり、外からやって来た人々に対しても親切に、温かく迎え入れてもてなしをする。

 現代程忙しくない時代を生きた人々にとって、それは心を寄せるべき理想郷のような場所だったのだろう。きっと祖母にとってのマヨイガも、本当は隠れ里を意味していたのかもしれない。

 隠れ里では、しばしば時間の流れがゆっくりとしている、という話がある。

 その場所でもてなしを受け、再び外界に戻って行った者が、里で過ごしていた以上の年月が経っていた事に驚くというそれらの説話は、隠れ里が異界であるという事を強調するというが、私はそれに、祖母が語ったという幼い頃にマヨイガを訪(おとな)った子供の事が想起させられる。

 一週間近く行方を晦ましていた子供。彼女は、山の中で行き会った無人の家で一夜を明かし、戻ったらそれだけの時間が経過していたと語った。

 人里を離れた場所にある、時の流れが異なるという性質から思い出されるのは、昔話「浦島太郎」に登場する竜宮城だが、隠れ里という言葉からイメージ出来るのはそのような絢爛豪華な世界ではなく、もっと素朴で慎ましく、それでいて貧困のない充足した共同体だ。それは、理想郷と呼べるようなものでありながら、私たちがまるきり絵空事と考えて諦めてしまわないような、もしかしたらあるかもしれない、という期待を抱けるような小さな楽園だった。

「日本の──というか、東北の昔話ってさ」

 乃由は言う。

「山の神様とか、よく出てくるじゃん? そういう神様って、仏教っていうより神道に近いのかな、って思うんだけどさ」

「厳密には違うんだろうけどね」

 絢音は言い、先を促す。

「神道でいう異界って、あの世でしょ? 隠れ里に行っている間、その人は外に居る人たちからは見えなくなってしまうんだろうけど、それって神隠しに近い事なのかもしれない。神隠しに遭った人って、この世じゃない場所に行ってしまっている、っていうからさ。

 だけど、それこそ慎重に考えなきゃいけない事だよね。今、多分私たち皆、死んだ後に『あの世』に行く、なんて本気で信じている訳じゃないだろうし。だけど、隠れ里だったら、もしかしたらあるんじゃないか、って思える。隠れ里の話って、この辺りだけじゃない、多分日本中にあるだろうけど、山の中に誰にも知られていない里や家があるっていう考えの方が、天国とかあの世とか、そういうものを想像するよりも現実的だと思う。神話みたいな話から、その面影を残しつつ、あったらいいな、っていうような願いになったの。

 ……そう考えたら、歩美のお祖母ちゃんが帰りたいって言ってる場所って、小さい頃に聞いた話が元になっているなら、身近にある『ここじゃない何処か』って事なのかもしれない」

 乃由は言ってから、「ごめんね」と手刀を切った。

「私も、自分でも何言ってるのか分からなくなってきちゃった。だけど、何だか歩美の話聞いた時から、引っ掛かってるものがあって……うちのお祖母ちゃんも、お祖母ちゃんのお母さん──私の曾(ひい)お祖母ちゃんが死ぬ前に、何か、何処かに行きたい、とか……行かなきゃいけない、とか言っていた、みたいな話を聞かせてくれた事があるような気がするんだけど」

 彼女はそこまで首を捻りながら言ったが、やはり首を振り、もう一度「ごめん」と言った。

「よく思い出せないや」


          *   *   *


 乃由が口にした「隠れ里」という言葉は、確かにその言葉から連想出来る情景はあるものの、冷静に考えてみればそれだけではない、もっと幅広い意味を内包している事に気付く。

 浦島太郎の竜宮城や、これは海からの連想だが沖縄の伝承に登場するニライカナイなどは、何処か理想郷としてイメージ出来るものでありながら「辿り着けない場所にある」という感を帯びている。漠然と、そのようなものがある、という伝承は存在しながらも、伝説──即ち絵空事──の域は出ていない。

 一方で東北地方の、山に近い地域の伝承に登場するそういった「ここではない何処か」は具体性を持っている。それは、中世に入るまで長らく東北が未開の地であった事と関連しているように私は思う。

 立派な囲いや門があり、綺麗な食器や家財道具が整えられた大きな家とは、ある意味では土地の有力者の住まいとして目に見える場所にあり、現実問題は措くとしても実現可能性がある。

 祖母の生家である遠野の家は、まさにそのようなイメージに吻合するのではないだろうか。その家を出てから、祖母が渡り歩いてきた東北の各地で起こった出来事を丹念に思い返せば、生家での幼少期の生活がその人生の中で最も安定していた時期である事が分かる。

 大船渡の家が地震で倒壊し、十塚家のある私たちの市に移って来てからは、親戚の奥さんとの反りが合わず、耐え忍ぶ事を余儀なくされた。祖父と籍を入れ、母が生まれた時には幸福があったに違いないが、その後も主に十塚家の周囲に関する人間関係で様々な事があったと聞く。

 もしも祖母の、安息の幼少期に戻りたいという気持ちが、実際にそれ以外の記憶が失われて尚精神をその時代に留まらせ続けているのだとしたら、そこにマヨイガの話が介入する余地はあるだろうか。

 盛岡駅のホームで電車を待ちながら、私は考え続けていた。

 やはり、それだけではないような気がした。気がする、というのはやはり私の勘である事に変わりはなく、やはり大きな意味はないのかもしれない。そもそも、私が祖母の記憶を詳らかにしたとして、それで何になるのか、状況に何らかの変化が起こるのかと問われれば、それも答えに窮さざるを得ない。

 自己満足と言われればそれまでだった。だが、私は今は、あえてそのような理性からの声に耳を塞ごうと思った。

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