「精霊」(『晩歌 -BANKA-』)⑥
* * *
「椋……ごめん」
八月二十日、参道の入口で待ち合わせをした時、先に居て待っていたリョウは思い詰めたような顔をしていました。その顔を見た時から、私はもしかしたら、と思ったのですが、
「俺、夏休みが終わったらお前と会えなくなるんだ」
そう切り出された時、私はやっぱり来た、と唇を噛み締めました。
彼自身がそう言ったのではなく、世界が彼に働き掛けてそう言わせたのだ、と思いました。
そう思いながら、私がまた一度目と同じ事をすれば──ポストに願い事を書いた手紙を入れれば、八月一日からの出来事を繰り返す事になるのだ、という確信を抱いていました。
私は、本当ならここに居るべき人間ではないから。
何度その場凌ぎで回避しようとも、来るべきいつかの「お別れ」は私に付きまとうのでしょう。
「そう……なんだ」
私は彼の言葉に対し、やや俯きながらそう応えました。
「何処か、遠くに行っちゃうの?」
「………」
彼が答えない事で、私はそれ以上に問いを重ねる事をやめました。
彼は引っ越すのではなかった。だから、新しい住所や電話番号を尋ねる事に、意味はなかったのです。
代わりに、
「──分かった」
言ったその台詞は、私自身に言い聞かせる為のものでもありました。
「リョウは、何も心配する事なんてないんだよ」
「椋、お前……?」
彼が何処まで真実を知っているのか、何処まではっきりとした事を言っていいのかは分からなかったので、私はどうとでも取れるような──決して不自然ではない言葉を口にしました。
──私は何があっても、リョウとの日々を手放さない。
本当は、そういう意味でした。
お別れが運命ならば、それを受け入れる事が、きっと大人になるという事だったのでしょう。
そうだとしたら、私はやはり諦めなければならないという事になります。普通に生きていれば出会うはずのなかった彼の事は忘れて、小学校を卒業して大人にならなければいけない。
だけど、私はそれを望みませんでした。
たとえもう戻れないのだとしても、私は彼が居る世界の方が良かった。
その時は、心の底から言う事が出来ました。
もう、秋は要らないと。
* * *
この世界が虚構の産物だとしても、本当は存在してはいけないものだったのだとしても、私のこの気持ちだけは嘘ではない、と思いました。初めて好きに──大人と同じ意味で好きになった、リョウへの想いだけは。
リョウと一緒に居たい、と願えば、一つ目の願いによって夏の中に留まる事は出来なくなり、私は去らなければならなくなる。願い事に、時間的な制限がつけられる事になる。
ならば、どうしたためればいいのか。私は考え、一つの思いつきが頭の中で萌芽しました。
──これを書けば、私が戻る事はなくなる。
その事を承知の上で、私は最後の願い事を文字化しました。
「リョウのいるこの夏が、終わりませんように」
* * *
幽霊という存在について、誰が最初にそのような事を言い出したのだろう、と考える事があります。
日本と西洋──いえ、それどころか世界中に、亡くなった人が実体を持たない”何か”となって生前の姿で現れる、という伝承はあります。
魂という考え方は、きっと時間などの概念と同じように、人間が「人間」をやり始めた時からあったのかもしれません。しかし、命を終えた後のそれがどうなるのかという信仰は千差万別のはずなのに、何故か死者がこの世に現れるという考え方だけは皆漠然と持っている。
私は今まで、怖い噂のある場所に行く事は怖いし、夜にお墓の傍を通ると何となく不気味だとは感じますが、はっきりと「幽霊」の存在をこの目で見た事はないし、存在についても怪しいと思っていました。
しかし、今なら何となく分かるような気がします。
誰かが言い出した事ではない。多くの人がそういうものを見ずに一生を終えるだけで、それは空気や水がそこにあるように、人や動物がそこに居るように、疑いようもなく「実在する」ものなのでしょう。
私は何故、この世界に──この世に、それまでの世界の側からいうのであればあの世に──来たのか。
その事が分かった時、私は確信を抱きました。
それからリョウも──夏が生み出して、同じく夏に消し去られてしまうはずで、私がそれを繋ぎ留めた、私よりまだ少しだけ子供だった男の子も、その例外ではありませんでした。
向こう側の人々は、何処かでふと、あのポストのように二つの世が重なり合う瞬間に、私たちを見るのでしょうか。
私たちも、これまで向こう側の世界に暇乞いをして来た多くの人々のように、自分たちでも気付かないうちに精霊になって、蜻蛉やバッタのように、誰かに会いに行っているのでしょうか。
今となってはもう、それを知る術はありません。
* * *
八月三十二日から、日めくりカレンダーは進み続けています。
あれから何十年も経って、私の心は今ではすっかり大人になりました。色んな言葉を知り、物事を知り、大人になった心で初めて、何となく分かるような事があるのです。
リョウは、最初から何もかも分かっていたのではないか、と。
彼は、自ら進んでこの世界にやって来た私を──本当の事を何も知らず、ただ彼と一緒に居たいと願っていただけの私を、「可哀想だ」と思ったのかもしれない。だから、自分の方からお別れを告げて、私を本来居るべき世界に送り返そうとしたのかもしれない。
けれど勿論、今はもう殊更にその事を、彼に言って確かめたいという思いはありません。
私は自分で選んだこの日々を、壊してしまいたくはないから。
裏山の待ち合わせ場所に行けば、彼が待っている日々を。
彼はいつも、私より先に来ています。私はそんな彼の所に、今日もまた会いに行きます。
「おはよ、リョウ」
「お前はいつも後から来るよな、椋」
(精霊・終)
お読み下さりありがとうございます。「精霊」はこれにて終了です。加筆した為、最初に書いたシナリオよりは意味不明感が緩和されている──ような気がします。因みに「トゥルーエンドのヒント」は「少女は想い人と、永遠に一緒にいる」というもので、結末自体はそこまで難しくありません。
本作はナラタージュの手法で書いている、と一日目の「後書き」で述べましたが、正確には椋は小学生のまま何十年も八月三十二日以降の世界で生き続けており、それ故に語り方がやや大人びているというのが真相でした。彼女からすればハッピーエンドなのかもしれませんが、本連作のテーマである「喪失」と照らし合わせた時、彼女が失ったものとは何だったのだろう、と考えると、何となくぞっとすると同時に酷くセンチメンタルな気分にもなります(彼女の名前は「無垢」に由来しています。また、リョウの方は「精霊」が由来でした)。
とはいえ、そうというのであれば、『晩歌 -BANKA-』に収録した話はどれも何処かセンチメンタルな情緒を漂わせています。「精霊」は特に顕著でしたが、一度不思議な世界に入り込み、それを受け入れた時、もう戻れなくてもいい、と思ってしまうような。普通に考えたら怖くて仕方がないはずなのに、何処か切なく、優しい感じがする。私が泉鏡花の怪異譚を好む理由もこの辺りにあるようです。
明日からは第四弾「円」のシナリオを公開します。そちらでは、小説版では描かなかったルートのテキストも読めますのでお時間があれば是非。投稿前にあらかじめ断っておきますが、ど素人が短期間で作ったゲームなのでルート分岐は二回しかなく、世間にリリース出来るものではないレベルでショボいです(しかも他に四編作らなければならなかったのです)。「小説家になろう」への公開に当たっては、ただ文章を読むのだ、程度の感覚で触れて頂ければ幸いです。
それから、「精霊」の連載中に第七弾も脱稿しました。ので、この連作は最後まで無休で完走出来そうです。




