「精霊」(『晩歌 -BANKA-』)①
八月の終わりは、夏の終わりです。
最近となっては却って珍しくなってしまったみたいですが、夏休みが八月三十一日きっかりで終わる学校に通っていた私たちにとっては、特にそのような実感がありました。
小学校最後の夏休み、彼よりも少し早く大人になっていた私の、ほんの些細な、子供らしい無邪気な願い──。
「この夏が、終わりませんように」
* * *
「八月一日 神さまへ
リョウといつまでもいっしょに 五色椋」
私と、リョウの名前は似ています。
響きではなく、漢字がです。「椋」と「涼」。だから私は、漢字が書けるようになってからも、基本的に九尾涼の名前は片仮名で書く。たとえそれが、神様へのお願い事だったとしても。
きっと、神様には私の気持ちなんてお見通しだと思ったから。
「お待たせ、リョウ」
「また入れたのか、手紙?」
ポストの所からサンダルの踵をカタカタと鳴らしながら駆け戻ると、ハーフパンツのポケットに両手を突っ込みながら手持ち無沙汰という風に待っていた彼は、やや呆れたような顔を私に向けました。
「椋、お前、小六にもなってちょっと……何ていうか、メルヘンすぎね?」
「いいの、いいの」
私は、つんと澄ました態度で答えます。
「願掛けって、そういうものだから。神様お願い、って思う時、皆理科で習った事なんて忘れているでしょ」
リョウはやれやれというように息を吐き、「ほら」と私の肩を叩いてきました。
「早く行くぞ。席取られちまう」
「分かってるって。暑いんだから、そんなに急がないでよね」
麦藁帽子を上げ、汗ばんだ額を手で仰ぎながら、私は今日が暑い日で良かった、と考えていました。
ノースリーブのワンピースの、素肌の肩に触れられた部分が、直射日光ではない理由で周りよりも仄かに温度を上げていました。私はスイッチを押されたかのように赤らむ顔を、暑さのせいに見せかけようとします。
思春期は、リョウよりも私の方が早くにやって来ました。彼は、さすがに手を繋ぐなどの事はしてこないけれど、こうして直接的なボディタッチは他の男子にするのと同じ程度のノリで私に対しても行いますし、その事に特別な意味や、そもそも男女の性差についてそこまで大袈裟に考えてはいないようでした。勿論、他の男子が小学生時代にするくらいの下品な話に便乗して笑ったりはするものの、それはあくまでまだ無邪気な、微笑ましいものでした。
けれど私は、その頃にはもう、これまでも何となく好きかもな、という事は思っていた彼への気持ちを、ドラマで見る大人──高校生も、小学生の私にとっては大人でした──たちと同じくらい真剣な意味で、私は彼に恋をしているのだ、と受け止めていました。
リョウは、小学時代に女子の憧れの対象となる「スポーツの出来る男子」の代表格のような男の子でした。
走れば同年代の平均以上の速さで、サッカーをしても、ドッジボールをしても他の男の子たちよりもちょっと上を行っている。普通に宿題を忘れたり掃除をサボったりして怒られる事もあるし、勉強はやや不得意。お調子者で、クラスの友達とじゃれ合っているうちに喧嘩になる事もある。
……と、まあ、ともかく全身全霊で「男の子」をやっていました。
ちょっと違うところを上げれば、最もよく一緒に居る友達というのが、女の子の私だという事でしょうか。
これについては、私も理由はよく分かっていません。小学時代の交友関係なんていうものは、クラスが同じで、普通に同級生として接しているうちにいつの間にか仲良くなっている、程度のものですが、私もそうして彼と仲良くなったのであり、殊更にドラマチックな出会いがあった訳でもありませんでした。
リョウは確かに、汗をかけば却って爽やかになる類の、日焼けした肌が健康的な格好良い男の子ではありましたが、クラスで一番のアイドルという立ち位置ではありません。私も客観的に見れば「よく居る女子」という感じの、ごく普通の女の子でしたが、だから別段私たちが仲良くしていたところで、何であいつらが、というような見方は出ませんでした。
私は、何かというと勉強をサボりがちで、夏休みの宿題も溜め込みがちな彼をよく引っ張っていました。平日、学校が「寺子屋教室」で解放されている間は彼と一緒に行き、クーラーの利いた部屋でドリルを各教科見開き一ページする、ノルマをクリアしたらそのまま学校の図書館で本を読むか、どちらかの家に行ってゲームをする。そこまで暑さが酷くない日は、裏山で外遊びをする事もあります。
そのような訳で、夏休みの間も私たちは毎日のように会っていました。雨の日はわざわざ家から出ないので、電話をし──私もリョウも携帯電話はまだ持たせて貰えていませんでした──、待ち合わせはなしという旨を確認し合った後、それぞれ自宅で過ごします。
だから私は、たとえ暑くても毎日が晴れだったらいいのに、と思い、天気予報は欠かさずに見ていました。もしも雨の予報が出たら、その日の夜、寝る前に「明日は晴れますように」と神様にお祈りをしました。
とはいっても、神様がそれを叶えてくれた事は、片手の指で数えられる程度しかないのですが。
私は、彼が私の事を好きになってくれたらいいのに、とは思いながらも、自らの秘めた想いに関してはひた隠し続けていました。
リョウと恋人の関係になれたらどれだけいいだろうな、とは思いながらも、やはりそこは子供で、今一緒に居られているのだから、わざわざ関係を危うくするような冒険をする必要はない、と考えていたのです。
だから私は、あのポストにはずっと、本心の一部に過ぎない「願い事」を書いて投函し続けていました。
* * *
その郵便ポストは、小学校の裏山、今では廃墟となっている篝神社の参道の入口にありました。
現在ではすっかりレトロなものとなってしまった丸型のポストで、赤い塗装は剝がれ、剝き出しになった鉄の部分も著しく錆びていました。鍵は辺りにある石で叩いたら容易く壊せてしまいそうです。当然ながら、既に役目を終え、郵便屋さんも回収に訪れる事はありません。
しかし、私の通っていた小学校、及びその学区内では当時、この使われなくなったポストにまつわる、ある都市伝説めいた噂が流行っていました。
曰く、そのポストに「神様へ」と宛先を書いた手紙を入れると、願いを叶えて貰える。
当然この手の噂には尾鰭がつくもので、郵便番号は何々だ、とか、投函しているところは誰にも見られてはいけない、一人につき何回までという制限がある、誰かへの呪いの目的で使う時には深夜何時から何時までの間でなければならない、などなどバリエーションも枚挙に暇がありません。
しかし、大本の部分は共通していました。何故このような噂が広まったのかは定かではありません──都市伝説や噂なんて大体そんなものだと思います──が、私はこれに限っては、もしかしたらと思い当たる節がありました。
小学校の前に、見通しの悪いカーブがあります。その辺りに、ひっそりと供えられた花束。
何が起こったのかは、一目瞭然でした。
私を始め、多くの児童が、花束をその場所に供えているおばあさんを見た事があります。そのおばあさんは、道路を挟んだ反対側、堀沿いの小道を抜けた先に見えるアパートの一室に住み、時折下校する子供たちを見ている事がありました。
私が、そのおばあさんが山道の入口で例のポストに何かを入れ、柏手を打っている姿を見たのはいつ頃の事だったでしょう。
きっと同じ光景を見た誰かが居て、多少の想像力を働かせたのだと思います。おばあさんは、交通事故で亡くした子供か孫が、奇跡によって帰って来る事を祈っていたのかもしれない、と。
ではおばあさんは何故そのような事を思いついたのか、という話ですが、そこまでは私も考えられません。ただ、私がその光景を見た時には、少なくともまだ私の周囲では「願いの叶う郵便ポスト」「神様への手紙」といった噂は囁かれていませんでした。
何故それが、「叶う」という言い切りの形で広まる事になったのかはそれこそ分かりません。ですが、それこそが「尾鰭がつく」という事なのでしょう。
小六の私は、リョウの言うように、それを本気で信じていた訳ではありませんでした。けれど、おまじないのようなものだったのかな、私は毎日、いちばん叶えられそうな、でも心からそのように願っていた事を手紙に書いて、ポストに投げ入れ続けていました。
それが叶っている間は、私も理屈を超えて、神様が存在する事を信じ続けられるような気がしたのです。
第五弾「精霊」の投稿を開始します。ゲームとして制作した五編は本作を以て終了しますが、その後は以前から予告していた通り、ボーナストラック的に「円」のシナリオと新作二編を投稿します。色々と並行してやっているので第六弾は私にしてはかなりスローペースでの執筆になりましたが、果たしてこのまま日載で完走出来るか否か。
内容に触れますと、本作は私の作品の中で初となる小学生が主人公の話です。これまでも「大和撫子」などでは主人公の小学生時代の場面を描く事はありましたが、正直に言うと一人称視点での物語はある程度年齢を重ねた人物よりも小学生以下の方が描写しにくいです。伊坂幸太郎さんが『逆ソクラテス』(集英社文庫)のあとがきで述べられていましたが、語り手が子供になると使える言葉や表現に年齢的な制限が掛かってしまうのです。本作ではナラタージュの手法でその制限を突破しましたが、そう言うと少し語弊が生じる点もあります。この説明は最終日の「後書き」にて。
それからもう一点。私は『化物怪奇譚』連作や『夢遥か』、「ラブレター・トゥ・キラル(鏡像異性体に恋文を投げつけて)」など、自分の詩作品から小説を書く事があります。「精霊」は自費出版の創作集『選詩集』に同名の詩がありますが、その事に気付いたのはつい先日で、本作はそれとは全く内容的な関わりはありません。
と、いう事を書いておくと『選詩集』(ネット限定販売)に興味を持って下さる方が現れるのではないか、という下心を滲ませつつこの辺りで切り上げます。




