「円」(『晩歌 -BANKA-』)⑥
* * *
三日間、私は今ある情報を基に、双魚球の在処について考えを巡らせました。
咲姉ちゃんはその間、私に連絡を入れる事はしてきませんでしたが、それは私の気持ちを慮ってくれているからのようでした。
花火大会は、とうとう今夜まで迫っていました。私は一度、羽立が命を落としたという場所──お父さんを救おうとしたその人が羽立から双魚球を取り戻した場所を歩いてみよう、と思い至り、河川敷に足を運びました。
天気は良好で、日付が変わるまでの間に雨の予報もなく、大会は中止せずに開催されてくれそうでした。
花火の打ち上げ場所については、咲姉ちゃんから教えて貰いました。火薬を扱うので打ち上げ場所の付近は立ち入り禁止区域とされるものですが、既に対岸には規制線が張られ、設えられたパイプテントの下に花火を打ち上げる為の筒が何本か用意されていました。
私は下草刈りの行われたばかりらしい土手に腰を下ろし、陽光をちらちらと反射させる川面を眺めながら思索に耽りました。
──私にとっても、もう他人事ではないのだ。
そんな思いがありました。今宵、双魚球の打ち上げを成功出来なければ、私もお父さんと同じ運命を辿る。
鹿嶋さんは「推測」と言っていましたが、それが最早その域を出た「真実」である事を、私は確信していました。
私はかつてこの場所で起こった事を脳裏で再現し、その時ここに居た「その人」の姿を克明に写し取ろうとしました。
「………」
──随分と、長い時間が流れたような気がしました。
熟考の末、私はその在処を確信しました。
* * *
インターホンを押し、「はい」と返事があってから十数秒の後、玄関扉が開かれました。
私はぺこりと頭を下げ、挨拶しました。
「こんにちは、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん」
「二週間ぶりねえ、萵苣ちゃん。また、こんなに早く会えるなんて」
母方の祖父母が顔を出し、お祖母ちゃんがそう言いました。
バスと電車を使い、家から一時間程の場所にあるお母さんの実家に着くと、娘が結婚と共に家を出てからは二人きりで暮らしている彼らは、お盆に顔を出してから間もない私の訪問を喜んでくれました。
「暑かったでしょう。早く中に入るといいわ」
「失礼します」
ここに来る前に、祖父母にはこれから訪問したい、という旨の電話を入れていました。直接会って話したい事があるのだ、と言った時点で、まだ私は双魚球の事は口に出しませんでしたが、彼らは電話口で殊更に問い質そうとはせず、了解のお返事をくれました。
だから私は、もしかしたら彼らは私が今日になって話したいという事について、見当がついているのではないか、とも思いました。ですが、私がここ一週間の出来事について話し、双魚球の事を口にすると、彼らは二人揃って俄かに表情を強張らせました。
その反応で、私は自らの予想が的中していた事を悟りました。
もしかしたら私がこうしてやって来る以前に、お父さんが彼らに事情を話す事があったのかもしれません。
「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん」
私は正座をしたまま、真っ直ぐに二人を見据えてこう言いました。
「これは、大切な事なの。お母さんは、あれを封じようとしたんじゃないわ。守ろうとしたのよ、自分の命を賭けて」
* * *
私は今まで、お母さんの事について、あえて語ってはきませんでした。
私は、お母さんの顔を写真で見ただけで、話した事はありません。彼女は、私を出産すると同時に亡くなっていました。
だから私は、店のカウンターの内側、お客さんからは見えないレジの陰に置かれている彼女の写真を見ても、この人が私のお母さんなのだ、という自覚はあっても実感が伴ってはきませんでした。最初から覚えていないのですから、寂しい、と思った事すらもそれまでなかったのです。
彼女はきっと、自分がこれ程早くに亡くなるとは思っていなかったでしょう。だから今日この日、お父さんが本当に解放される日が来るまで、双魚球を隠しておくつもりだった。
お母さんは、お父さんが報いを受けて苦しんでいる事を知り、一九九九年の今日この街に再来した羽立と対峙した。
きっとそれは、想像を絶するような対決だったのだと思います。けれどその結果として、この世ならざるものと接触した彼女は、そこで致命的な程に心身を摩耗させてしまったのだろう──。
これは、三日前の図書館で、鹿嶋さんが私に語ってくれた推測です。
私は、何と返事をすればいいのか、分かりませんでした。
ですが彼は、それを語り終えると同時に、
「お母さんを恨んではいけないよ、萵苣ちゃん」
私に、言い聞かせるようにそう続けました。
「もしも彼女が行動を起こさなかったら、きっと四阿さんの辿って来た時間も、今とは異なるものになっていただろう。いや──事によると、既に状況は、いい方向に変わっているのかもしれない」
「どういう事ですか?」
「君は、誕生日を迎える事が出来なかったのかもしれない。お母さんが君を産んだのは、彼女の起こした最後の奇跡だったんだ」
「奇跡?」
私は、その言葉を繰り返しました。
「心身の極限を試されていた彼女は、きっとその後、君をお腹の中に宿し、守り育てるので精一杯という状態だったのだろう。けれど君は今、こうして生きている。お母さんは自らに残された命の全てを、君という新たな命をこの世に生み出す為に使って亡くなったのだから」
* * *
既に私は、咲姉ちゃんには連絡していました。
打ち上げの時刻までには必ず、双魚球を見つけて持って行くと約束しました。その時点でもう午後になっていたので、私は無意識に切羽詰まった口調になっていたのでしょう、咲姉ちゃんは
「……分かった」
何も問う事なく、真剣な声でそう答えてくれました。
私が黙って返事を待っていると、やがてお祖父ちゃんとお祖母ちゃんはほぼ同時にふうっと息を吐きました。
彼らはきっと、双魚球が災いを招いたと思ったのでしょう。自分たちの娘は、それに取り殺されてしまったのだと。しかし彼らは、私の切実な態度に何かを感じ取ったようでした。
「あの子が──佳江が死んだ時」
お祖母ちゃんの声色には、深い愁いが帯びられていました。
「こういう日が来るとは、何となく分かっていたの」
「周作君から、話は聞いていたんだ」
お祖父ちゃんも言いました。
「彼の世界で、萵苣ちゃんは何度も、私たちの所にこうしてやって来たんだね。そして今度はこうして、萵苣ちゃん自身がそれを体験している」
「分かってはいても、怖かったのよ」
二人は、私を物置に案内してくれました。その奥にあった大きな木製の金庫から桐箱を取り出し、お祖父ちゃんが鍵を開けると、中に納められていたものは私の予想と寸分違わぬものでした。
バスケットボールの五号球よりもやや小さい、人間の頭と同じくらいの大きさの水晶。その中には、ゆらゆらと揺れる二匹の鯉の絵が描かれていました。
それらはあたかも、お互いの尾を追って泳いでいるかのようでした。触れてみると微かに熱を帯びており、私はその温かさに、命の温度だ、という印象を自然に抱いていました。
「……ありがとう、お父さん、お母さん」
私は合掌し、そう言いました。
* * *
緩衝材を詰め、球を収めたリュックは予想以上に重いものでした。
時刻は既に夕方五時を回っていました。打ち上げの開始時刻は七時で、家から打ち上げ場所の河川敷までは少し離れている為、一時間程掛けて家に戻る事を考えるとそこまで余裕はありません。
でも、絶対に間に合わせる、と決意していました。
会場に向かう人たちが多かった為、各種公共交通機関は何処も混雑しているようでした。
しかし、私が祖父母宅を出発した時には、この辺りに住んでいる人々は移動を済ませた後だったのか、住宅街を通る間、納涼姿の人はちらほらと見るだけで、祖父母宅からの最寄り駅のホームも閑散としていました。
ホームに立ち、やや遅延している電車が来るのを待ちながら、私はリュックのストラップを握り締めました。
両親の事が、どうしようもなく脳裏に過ぎりました。
お父さんは今まで、こうして双魚球を運んで来る私を見続けていたのだろうか、と思いました。またお母さんはかつて、どのような気持ちで、祭りの賑わいから離れた夜道を実家まで歩いたのだろう、とも。
「これはね、萵苣ちゃん」
お祖母ちゃんの声が、何処かから聞こえたような気がしました。
「きっと私たちのご先祖様が、ずーっと昔に生きていた世界から来たのかもしれないわねえ」
それは心の中で、私が私自身に向かって言っている言葉のようにも感じられるものでした。
「昔は私たちも、陸奥が未開だった頃は自然と仲良しだったんだよ。呪いなんかじゃないって、萵苣ちゃんが思ってくれて嬉しいわ。今ではそこまで、私たちはそういう神様たちの存在を身近に感じられる訳じゃなくなってしまったけれど……今でも、そんな大切なものを私たちの世に託してくれる神様は、きっと寂しがり屋なんだろうねえ──」
ホームに電灯が点き、電車の音が近づいてきました。
(円・終)
お読み下さりありがとうございます。第四弾「円」はこれでおしまいです。「水晶球の双魚」とストーリーは同じですが、それでも語り方によって読み味の異なる作品になったと思います。この事は伊坂幸太郎さんの『あるキング 完全版』(新潮文庫)で学びました。
第一回の「後書き」で、「水晶球の双魚」がバージョン1だとすると本作のゲーム版はバージョン2、小説はバージョン2.5だと述べましたが、読者の方々からバージョン2が見られないと上手く伝わらないと思った為、第五弾を投稿し終えた後、新作二編の投稿に入る前にゲーム版のシナリオを公開します。そちらには羽立のファーストネームや、本作の咲子に当たる「水晶球の双魚」のヒロイン・供華さんの兄弟子である湊君もちらりと登場します。因みに昨日、新作二編のうち二編目の執筆を開始しました。
明日からは第五弾の投稿が始まります。第五弾は恐らくこれまでで最も「?」となるような話で、作者自身も二年経ってから見返して「?」となりました。あまりにも意味不明だった箇所は修正しましたが、怪奇幻想ものはそもそも「あれ、今のは……?」という感覚を楽しむものだと思っているので(あまりにも理路整然としすぎるとただのファンタジーになります)、そういうつもりでお楽しみ頂ければ幸いです。では、またお会いしましょう。




