「円」(『晩歌 -BANKA-』)③
* * *
翌日、私たちは早速安里さんのご自宅を訪問しました。
彼女のご主人の実家である安里家は、眠堂から十分程歩いた所にある和風のお屋敷で、竹垣と冠木門が特徴的でした。
「萵苣ちゃんに咲子ちゃん。大きくなったわねえ」
彼女は、それぞれ高校生と大学生になった私たち二人を見て驚いていましたが、快く家の中へと迎え入れて下さいました。咲姉ちゃんは覚えていなかったみたいでしたが、彼女は咲姉ちゃんの家にも挨拶回りで訪れていたようです。
「それで、お話っていうのは?」
訪問についてはあらかじめアポイントを取っていましたが、詳しい説明はまだしていませんでした。
私たちが訪問の目的について説明すると、彼女は
「勢威さんかあ……」
何処か懐かしむような調子でそう言いました。
「私もね、旦那と一緒になる前は家が縢神社の氏子だったの。彼とも、小さい頃に氏子会で顔を合わせた事があったわ。だけど、仙台に出てからは殆ど没交渉だったわね」
「双魚球については……?」
「何となく、だけど。あの人、氏子会の集まりの中じゃ結構社交的な方でね、小さかった私にも色々お話をしてくれたの。そういう集まりに参加していた子供は殆ど居なくって、今思うと私が小学生だったから彼も気を遣ってくれていたのかもしれないわね。
最初、総代って言われても私には何のこっちゃって感じだったけど、あの有名な水晶のお墓の家って言われてぴんときた。昔、あのお墓にあった玉はもっと大きかったんだよ、って言ってたっけ」
私と咲姉ちゃんは、思わず顔を見合わせました。
「それが、双魚球なんです」
私は身を乗り出しました。
「その中に、二匹の鯉の絵が描かれていたとかの話は?」
「どうだったかしら。何せ、昔ちょっと聞いたってだけの話だから」
「それでは──」
つかぬ事をお聞きしますが、と前置きした上で、私は問いを重ねました。
「うちの父との交渉は、現在ではどれくらいでしょうか?」
「そうねえ……親が店をやっていた頃にはお世話になったけど、私も大人になってから会ったのは結婚した後だったから。あ、でも最近、ちょっと四阿さんからは電話があったわよ」
「電話?」
「それがね……ああ、その前に」
安里さんは、そこでやや声を低めました。
「うちの店が潰れた原因について、萵苣ちゃんはお父さんから聞いてる?」
「はい、安里さんが挨拶に来られた時の事なら」
「その原因になった羽立って男について聞かれたのよ。彼が店に接触してきた時の事について、知っている事を詳しく教えて欲しいって」
話しながら自分でも怪訝そうな顔になっていく彼女を見ながら、ふと私の脳裏には突拍子もない考えが生まれました。
羽立は、個人間融資をしていたといいます。当時は眠堂も経営難に陥り、お父さんも少なからず借金をしていたそうですが、その相手が羽立だったという可能性は十分に考えられるのではないでしょうか。
お父さんは、その負債を解消する為に双魚球を手放していたのではないか。そして最近になってお父さんが羽立について調べ始めたのは、双魚球を求める勢威さんの行動が活発になり始めたからではないのか。
羽立が双魚球を持っていて、お父さんがその事を知っているのだとしたら、辻褄は合います。
そう考えると、かつて羽立が、眠堂の命綱だった安里さんたちの小売店をわざわざ破産に追い込むような事をしたのは、お父さんに負債を負わせて双魚球を奪い取る為だったのではないか──。
そう考えるのは、超推理に過ぎるでしょうか?
「安里さんは」
私は、無意識に膝を正し、身を乗り出すようにしながら彼女に尋ねました。
「父にどのような事を話したのですか?」
「羽立の連絡先や、当時の住所についてよ。両親の遺品を整理している時に、昔の顧客情報が見つかったから。だけど、意味はないと思うの。実際羽立と連絡は取れなくなっていた訳だし、住所はその後で私も訪ねてみたんだけど、家は売りに出されていたみたいだし」
安里さんは答え、ふっと息を吐き出しました。
* * *
その日、通っている学習塾からの帰り道での事でした。
「萵苣ちゃんじゃないか」
偶然、私は勢威さんと会いました。彼は、鹿嶋さんの花火工場のある方向から歩いて来たようでした。
「勢威さん、咲姉ちゃんに何かご用ですか?」
私が尋ねると、彼は後頭部を掻きながら答えました。
「嫌だなあ、萵苣ちゃん。それを言うなら、鹿嶋さんに、じゃないのかい? まあでも、萵苣ちゃんの事情も分かってる。君と八重さんも、双魚球を探すのに協力してくれているみたいだね」
「あんまり頻繁に来られると、うちの営業にも関わりますから」
彼の度重なる訪問の為にお父さんに迷惑が掛かっていると思うと、無意識のうちに私もつんけんした口調になってしまいます。勢威さんはそこで、やや極まり悪そうに頭を掻きました。
「ごめんね、嫌がられているのは分かってるんだ。だけどさ、私の立場も分かって欲しい。さっきも、鹿嶋さんからは叱られてしまったよ。双魚球を紛失したのは、私ではないのに……」
「ですから、眠堂を探しても見つからないんですよ」
いつしか並んで歩きながら、私は彼にそう説明しました。
「父が知らなかった以上、既に売られているのだとしたらそれは祖父の代という事になります。戦後は店主の代替わりまで営業はされなかったんですから、顧客リストにそれらしい記録がないのも当然です」
「………」
勢威さんは不意に足を止めると、私の顔をまじまじと見つめてきました。
「……何ですか?」
「それなら、どうして四阿さんはそう言わないんだろう?」
私は自分の顳顬から、一筋の汗が顎の方に伝い落ちるのを感じました。
「勢威さんは、父が双魚球を手放したのだという事について、確信がおありなんですか?」
「………」
彼はまた暫し緘黙しました。私は、畳み掛けるように言葉を紡ぎました。
「羽立という、金融業者にですか?」
勢威さんの沈黙は、何故そこまでを知っているのだ、という驚きに由来するもののようでした。が、彼は私の顔をまじまじと見つめ、殊更にそのような問いを発する事はなく、
「……萵苣ちゃんも、そう思う?」
そのように言いました。
「教えて下さい、勢威さん。その羽立っていう人は、一体何者なんですか?」
私は尋ねました。足を止めたまま、私たちは数分間、無言で睨めっこをするように視線を交わし合いました。
街灯が点き、私たちの居る場所をスポットライトのように照らし出しました。勢威さんと私の間には身長差があるので、あたかも防犯ポスターに描かれる、不審者の手が子供に迫る図のようでした。
彼は言葉を探すように下唇を噛んだ後、
「もう、知りようがないんだ」
空を仰ぐようにしながらそう答えました。
「安里さんたちは、知らなくて当然だったんだ。彼は、一九九九年に死んでいる」
「えっ?」
「その年の花火大会の日、河川敷で倒れているのが見つかってね。死因は、脳卒中じゃないかって事だった」
彼自身は、その死因を信じていないかのような口ぶりでした。
* * *
私はそれで、勢威さんが顧客リストをお父さんに要求していた事について理由を知りました。
彼は本当にそれを見たかったのではなく、顧客情報が明かせない事は分かっていたので、そう言えばお父さんが説明せざるを得なくなると考えたのです。彼はお父さんの口から、羽立の住所を調べたけれど双魚球は見つからなかった、という事を聞きたかったのです。
勢威さんは私に、咲姉ちゃんと一緒にこの一件からは手を引くように、と言ってきました。私たちが思いがけなく深いところまで踏み込んでいたので、心配になったのだと。
私としては、自分たちがそこまで深いところまで踏み込んだという気はしていませんでした。むしろ知らない事だらけで、大事な事が目の前まで迫っているのに今のままでは何も出来ない──咲姉ちゃんによると期限は花火大会の日までという事でしたし──という焦燥感すら感じ始めていました。
しかし勢威さんは、今私が知っている以上の事をお父さんに尋ねる事すら、やめた方がいいと言ったのです。
その際、彼の顔に、私は何となく、こちらを憐れむような色を見て取ったような気がしました。それと同時に、代わりに自分が何としてでも目的を遂げる、というような義務感の色も。
──もしかしたら、鹿嶋さんや勢威さんがここまで必死になって双魚球を見つけたいのは、私の為?
そう思うのは、自意識過剰だったのでしょうか。




