「円」(『晩歌 -BANKA-』)②
* * *
結局その日も、勢威さんは根負けしたらしく帰って行きました。
彼は庭の方から出て行きましたが、再びお父さんに店番を代わって外に出た私が自転車に乗ろうとすると、そこで丁度彼に会いました。彼は「やあ、萵苣ちゃん」と挨拶した後で、
「また来るからね」
多分、お父さんにも同じように言ったのだろうな、と思われる事を言いました。
その日の夕方、咲姉ちゃん──八重咲子さんが訪ねて来ました。その彼女から勢威さんの事を尋ねられた時、私はびっくりしてしまいました。
「ちーちゃん、ここに勢威さんって人来なかった? 師匠、彼ん家に取りに行って欲しいものがあるって。彼が居なかったら、ちーちゃんのお店に行ってるかもしれないって」
二つ年上の咲姉ちゃんは、幼い頃から私にとって「近所のお姉ちゃん」でした。その年大学に入学するや、この街で花火工場を営む職人の鹿嶋攝雄さんに弟子入りしたのですが、無論火薬の取り扱いには免許が必要な為、まだ雑用程度の事しかさせて貰えていないそうです。
鹿嶋さんは、毎年恒例の市内花火大会で打ち上げる花火を製作されています。秋田の全国花火競技大会にも何度か出た事があり、十号玉の部で中小企業庁長官賞を受賞した事もあるとか。
私は地元を出てから、何度か他の市町村の花火も見る事はありましたが、確かに地元で見た、鹿嶋さんの作った花火は綺麗でした。この頃はまだ祭りに行く事に徒労感を感じる事もなかったので、その年も例年通り咲姉ちゃんと一緒に顔を出す事にしていました。
眠堂を訪ねて来た咲姉ちゃんはその時、まさにその花火大会の事を口に出したのでした。
「花火大会までに、どうしても必要なものがあるんだって」
「咲姉ちゃん、勢威さんの事知ってるの?」
驚いて尋ねた私に、彼女は「会った事はないんだけどね」と答えました。
「鯉が二匹描かれた水晶玉なんだけど、ちーちゃんは知ってる?」
「………! それって、双魚球じゃないかな?」
私は再び面食らうと共に、そういう事だったのか、という納得もありました。勢威さんは、自分もまた鹿嶋さんから頼まれたものだったので、今年はあれ程執拗だったのでしょう。
私は勢威さんが午前中に一度来た事を伝えた上で、彼が昔から何度も店を訪れている事を咲姉ちゃんに教えました。
すると、彼女は、
「どうしよう?」
と困った顔になりました。
「彼が持ってないっていうなら、やっぱりここなのかなあ……?」
「何に使うの、それ?」
「それが、教えてくれなくってさ。でも、師匠の代でそれを使うのは今年が初めてだって」
「うーむ……」
私は、腕を組んで考え込みました。
「お父さんは、昔からうちにはそんなものはないって言い続けてるけどね。もしかしたら、何か訳があって隠してるのかもしれないけど」
お父さんを信用していなかった、という訳ではありません。
けれど、勢威さん曰く預けられたのはかなり昔だという事でしたし、戦後の混乱期やバブル崩壊の折など、店が経営難に陥った事は今までにも多々ありました。父がそういった折に売り払ってしまい、その事が記憶の奥底に埋もれてしまっているという可能性が全くないとも言い切れません。
「ほんっと申し訳ないんだけどさ」
咲姉ちゃんは、祈るように両手を合わせて腰を折りました。
「ちーちゃんの方で、もう一回蔵とか調べて貰えない? その──双魚球だっけ、それがないと、師匠も誰かから怒られちゃうみたいでさ」
「分かった」
私は、躊躇う事なく肯きました。
「あったら、こっちから連絡するね」
昔から得体の知れないところのある勢威さんに同じ事を頼まれても、私は断ったでしょう。けれど、咲姉ちゃんからのお願いであれば別です。
咲姉ちゃんはもう一度ぺこりと頭を下げ、
「ありがとう、宜しくね」
と言いました。
* * *
結論から言うと、私も自宅から双魚球と思しきものを見つけ出す事は出来ませんでした。
考えてみれば、私がしたのと同じ作業を、お父さんは勢威さんの立ち会いの下で行い、それでも双魚球は発見されなかったのです。やっぱり、うちにはないのかもしれません。
──という旨を、私は電話で咲姉ちゃんに告げました。
咲姉ちゃんは、途方に暮れたようでした。
『そっかあ……参ったな』
「花火大会まで、まだ一週間あるじゃない」
私はそう言って、彼女を元気づけようとしました。
「私も、咲姉ちゃんに協力するわ」
『……ほんと? ごめんね、そこまで付き合わせちゃって』
「気にしないで。私も、咲姉ちゃんがもやもやしたものを抱えたまんま当日になったら、すっきりした気分で楽しめないと思うから。何をすればいい? 私に出来そうな事なら、何でもするよ」
『ありがとう、ちーちゃん』
咲姉ちゃんが、電話口の向こうでぺこりと頭を下げる姿が目に浮かびました。
『それじゃあね──』
* * *
咲姉ちゃんは私に、うちにある電話帳を写真に撮って送って欲しい、と頼んできました。私は彼女の頼みであれば、勢威さんには見せない店の顧客リストもこっそり共有するつもりでいたので、すぐにOKしました。
彼女は、四阿家と勢威家の共通した知人を探してみよう、という事を提案してきました。
鹿嶋さんから、勢威さんの主立った関係者については教えて貰えたようでした。それと照会する形で調べると、まず浮かび上がってきたのは安里真悠子さんという人でした。
私は、咲姉ちゃんからその事を聞き、ああ、と思いました。
安里さんの事は、私も知っていたのです。
「うちの店、お父さんが若かった頃は卸売りだったんだ。そのメインの取り引き先だったのが、昔街にあった小売店だったの。安里さんは、そこの最後の店主だった人の娘さんなんだって」
安里さんは私が生まれた頃には上京していましたが、結婚と共に地元にUターンして来ました。その際、町内に挨拶回りをしていた彼女はうちにもやって来て、
「父がご迷惑をお掛けしました!」
開口一番にそう叫び、頭を下げました。
当時の私には知る由もなかった事ですが、安里さんは小学生だった頃、両親と共に街から忽然と姿を消したそうです。彼女のご両親の経営していた件の小売店がバブル崩壊から間もなく倒産し、彼らが居なくなったのはその直後だったので、近所では様々な噂が飛び交ったのだとか。
多額の負債の滞納に限界が訪れたのが、丁度その時期だったのだ、とか、一家心中をしたのではないか、とか──。
物騒なものになると、「闇金に手を下されたのではないか」という内容までありました。しかし、実際には自己破産の後で夜逃げをし、安里さんが公的な支援を受けながら中学校を卒業するまでは仙台に身を置いていたようです。
その彼らの自己破産というのが、直前に眠堂から卸していた大量の品物の代金を支払う前の事でした。その為、四阿家も苦境に立たされる事になったのです。お父さんはこの事については、Uターンして来た安里さんから当時の話を聞いた上で、時期が時期だったのだから仕方がない、と言っていました。
彼女のご両親は、自己破産の期間が過ぎるまでの間、共働きで非正規雇用の仕事を色々とこなされ、過労の反動が来たのでしょう、安里さんが中学校卒業と共に就職して間もなく、早くに亡くなったといいます。彼女はそれから一度転職し、東京の企業に勤めるようになりましたが、仕事の都合で地元の支店に派遣され、そこで現在のご主人と出会い、結婚を機にUターンされたという事でした。
この事はうろ覚えだったのですが、何故彼女たち一家が自己破産後に夜逃げしたのか、という事については、闇金ではありませんでしたがとある個人間融資の男が関わっていたそうです。
羽立というその男は、バブル期に引き際を過たなかった事で莫大な資産を築き、株価が暴落する寸前に小売店に大量の品物の注文を入れ、やがて失踪しました。注文の入っていた品を売る事も出来ず、株価の暴落後に火の車となった彼らは眠堂からそれに代わる品を卸さなければなりませんでしたが、やがて限界が来てしまった、というのが当時の出来事の真相でした。
安里さんたちは、意図的に自分たちの店を潰すような原因を作ったその羽立について調べました。彼が個人間融資をしているという事が分かったのは、その最中だったといいます。
『……その安里さんに、話を聴きたいな』
私がこういった事情を説明すると、咲姉ちゃんはそう言いました。
『ここにも何か繋がりがあるとしたら、ちーちゃんのお父さんが彼女に双魚球を預けたって事も考えられるでしょ?』
言ってから、彼女は『ごめんね』と謝ってきました。
『ちーちゃんのお父さんを疑いたい訳じゃないのよ。でも、「訳があって隠してるのかも」なんて言うから』
「いいのよ、一応会ってみよう」
私はフォローしました。
「咲姉ちゃんからも、安里さんに説明お願いね」




