「円」(『晩歌 -BANKA-』)①
祭りに行かなくなったのは、いつからでしょう。
灯涼しという言葉の相応しい日の入り、浴衣を着、雪駄を履いて急ぐ道。普段は足を運ぶ事もない神社の、朱色の提灯の吊るされた境内。綿菓子やかき氷の甘さ。何故かいつもより美味しく感じられる焼きそば。
祭りと聞いて頭に浮かぶのは、今でもそんな風に、きらきらと輝くような物事ばかりです。しかし、だからこそ私は、小さい頃のように楽しめなくなってしまったのかもしれません。
年齢が上がるに連れ、昔程活発に外を出歩く事はなくなりました。それに、ある程度の歳になると、この手の行事は「恋人と一緒に行くもの」という固定観念が──誰が決めたのかは分かりませんが──蔓延し、個人でそれを打破する勇気がない、という事もあります。
しかし、最も大きな理由は”怯え”でした。
高校二年の祭りの最中、私は明るい夜の雑踏の中を、ひたすらに駆け続けていました。駆け続けながら、私は自らが、その祭りの夜を何年もの間、延々と繰り返しているような気になっていました。
──祭りの喧騒の中に取り残されて、帰って来られなくなったらどうしよう。
きっとそんな事を言ったら、笑われる事でしょう。
祭りはいつか終わる。それは、至極当たり前の事ですから。
* * *
「これとよく似た宝玉をご存知ありませんか?」
夏のラストスパートを彩る花火大会が、その年も近づいていました。
その日が近づくと、私の実家が経営している骨董店「眠堂」を訪れて来る一人の男性が居ます。
彼は勢威太一さん、市内中心部にある縢神社の氏子総代で、その神社のお墓が大半を占める宗派不問の霊園で、大きな水晶の付いたお墓を持っている事で有名な家の方でした。
彼が最初にうちにやって来たのは私の小学校入学直前で、それは私にとって最古の記憶でもありました。
彼は、お墓から持って来たらしい件の水晶を見せ、私のお父さんに向かってその問いを発しました。
「四阿さんもご存じでしょう、水晶の墓といえば、昔からこの辺りでよく話題になっていましたから。けれど、本来勢威家の墓に飾られていた水晶はもっと大きかったのですよ」
「はあ……」
「この五倍程ある、人間の頭よりも一回り大きいくらいのものだったそうです。というのは、私も墓を継いでからまだその実物を見た事がないからなんですけれどね。中に、真鯉と緋鯉が立体的に描かれていたそうですが」
私たちの四阿家は仏教系の家で、市内のお寺の檀家でしたので、縢神社の氏子会に顔を出したりする事はありませんでした。だから、お父さんもこの勢威さんとは、彼が自宅を初めて訪問して来たこの時が初対面だったのですが、玄関先に現れた彼が名乗った時、
「萵苣、ちょっと奥の方に行っていなさい」
お父さんはそう言い、彼を店の奥──カウンターの裏に私たち家族の居住スペースへと繋がる扉がありました──の座敷に案内しました。
けれど、如何せん幼い頃の記憶なので曖昧な部分はあるのですが、私は多分、廊下の扉の陰から彼ら二人の会話を聞いていたのでしょう。その時の事については実際に自分の目と耳で見聞きした覚えがあります。
「……いえ、分かりませんね」
お父さんは勢威さんからの問いに対し、そう答えました。
「何故、私にそのようなお話を?」
「勢威家は、代々その『双魚球』を継承する家系なのですよ。私は先代の甥に当たるのですが、その先代が何でも四阿さんのご尊父の朋友だったとか」
無論、幼かった私が、大人の使う言葉で話されていたその時の会話を、そのままそっくり覚えている訳ではありません。だから、これらの台詞も再現に過ぎないのですが、大体このような感じだったのだと思います。
というのは、それから勢威さんは毎年のように眠堂を訪れて来るようになり、彼のお父さんへの問いについては、すっかり私も覚えてしまったのです。
双魚球──勢威さんは、それがうちにないか、という事を、毎年お父さんに尋ねるのでした。
「先代は太平洋戦争の最中、ビルマに出征する事になったのですがね。その際に双魚球を四阿さんのご尊父に託されたという旨の記述が、記録文書の中に仄めかされていたのですよ。
戦時中は、誰もが困窮していました。墓にあったそれが盗難されたら大変だ、という事だったようですが、一族の中からもそれを売って金を得ようという意見が出たくらいなので無理もありません。それに、双魚球が特別な意味を持ったものだという事は、親族の中でも代々の当主とその跡継ぎにしか知らされていない事柄だったようですから」
お父さんは暫し熟考するように黙りこくっていましたが、やがて
「……いえ、父からは何も聞いていませんね」
と言いました。
「父は現在、市立病院で寝たきりの状態ですし、話を聴こうにも出来ません。蔵を調べてみますので、何か分かった事があればこちらから連絡させて頂きます」
「すみません、宜しくお願いします」
父方の祖父である先代店主が亡くなったのは、それから間もなくでした。
母方の祖父母は父方よりも若く、まだ健在であり、お盆には毎年挨拶に行くのでしたが、父方の方は私には記憶がありません。
実は私も、一歳か二歳の時に会ってはいるらしく、彼はよく「ちーちゃん、ちーちゃん」と言って可愛がってくれたといいます。
家の蔵からも、勢威さんの言うようなものは出てきませんでした。が、それは確かに、私たちの四阿家とその勢威さんという男性との、奇妙な繋がりの始まりだったのです。
* * *
私が高校二年の夏休みも、勢威さんは例年のように訪ねて来ました。
けれど、その訪問は例年のように一度きりではなく、しかも時期が八月に近づくに連れ、段々とその頻度も多くなっていました。
父もそろそろ辟易してきたらしく、あしらい方が徐々に乱暴になりました。
「何度もお伝えしたでしょう、顧客情報は明かせません」
お父さんは、勢威さんには店の裏手の庭の方から上がって貰い、座敷で話を聴くという事にしていましたが、その間の店番はしばしば私に任されました。ギャラリーにやって来る人たちの大半は冷やかしで、なかなか買って行ってくれる人は居ないのですが、特に最近では不景気の為か、立ち寄ってくれるお客さんの数さえもめっきり減っていました。
カウンターに座り、時折軒先に並べられている木彫りの像や瀬戸物なんかを足を止めて眺めている人に「いらっしゃいませ」と声を掛けたりしながら、手持ち無沙汰に任せて奥に居るお父さんたちの会話を聴くともなしに聞いていた私でしたが、そこではっきりしたお父さんの声が聞こえてきました。
「確かに、この店で売っているものは大抵がガラクタです。けれど、個人情報の扱いは基本中の基本ですので」
「それはこちらとしても重々承知です。しかしですね、状況は最早去年までとは違うのです。四阿さんがご存知なかった事からして、先代のご店主は預託されてから動かされてはいないのでしょう」
「しかし、私は蔵もギャラリーも調べました。勢威さん、あなたに立ち会って頂いた上で、ですよ」
「ええ。ですから、四阿さんの覚えていらっしゃらない昔に、売り払われてしまったかもしれないと考えるのですよ」
何やら揉めているみたいだな、と私は思いました。
このような事は初めてで、更には勢威さんが「顧客リストを見せて欲しい」などと言ってきた事も、これが初めての事でした。
「絶対に、情報を口外する事はしません。ですから、何卒」
「あくまでも仮の話ですが、私が、父がその物品を売り払ってしまっていたという記録を発見した場合、あなたはその取り引き相手の元を訪れて何かをされるおつもりなのでしょう?」
「……確かにその通りですが」
勢威さんは、一瞬言葉を探した気配がありました。
「こちらも、トラブルになる事は望んでいません。なるべく穏便に済ませます。けれど、事実が分からないのでは対応の検討もしようがない」
「勢威さん。これは、あなたという個人を信用するか否かの問題ではないのです。それなりの額の金銭が一度に出入りする店で、個人情報の取り扱いはあくまで店の人間の良識で成り立っている仕組みなのです。一度でも例外を作れば、事が起こった時に取り返しのつかない事になる」
お父さんの毅然とした態度に、勢威さんはやや黙り込みました。私は、彼のその沈黙に、何処となく焦燥めいたものを感じました。
お父さんに対して焦れったく思い、苛立たしさを感じているというよりも、状況が進展しない事そのものに焦っているような。
「……事、ですか」
やがて彼は、息交じりの声で言いました。
「それが起こった時に大変な事になるという点では、こちらの問題も大概のものだと思いますけどね……四阿さんも、それはこれまで身を以て体験してきたものと思っていたのですが」
「………」
今度はお父さんの方が、口を噤んだようでした。
私は気付けば息を詰めて奥での会話に耳を欹てていましたが、
「すみません」
いつの間にかカウンターの前に立っていたお客さんから声を掛けられ、はっと我に返りました。
「お会計、お願い出来ますか?」
観光で訪れたらしくガイドブックをお土産袋から覗かせた初老の女性が、木彫りの龍の置物を台上に置きながら言いました。外では、一緒に訪れたらしいもう一人の女性が軒先に陳列された品々を見ながら待っていました。
「はい、只今!」
私は慌ててレジ打ちを始め、その時には奥に居るお父さんたちも再び話し始めていたようですが、彼らの声も意識の外に追いやられていました。
本日より第四弾「円」の投稿を開始します。以前『化物怪奇譚』という拙作をお読み下さった方はすぐに気付かれたと思いますが、本作はそれに収録した「水晶球の双魚」というお話のリメイクです。これはネタ切れや手抜きではなく、ゲームの構想を練っていた時から、自作の中で特に気に入っている「水晶球の双魚」をビジュアル化(写真を背景に入れただけですが)したいという考えがあった為でした。綾辻行人さんが『黒ノ十三』のシナリオとして寄稿された「鉄橋」も、元は短編集『眼球奇譚』(角川文庫)に収録されたものでしたし。
とはいえ、ノベライズに当たっては、既に「小説家になろう」で「水晶球の双魚」を公開しているだけに迷いもありました。しかし、一編だけ抜けているのはやはりおかしい気がした事や、横溝正史の小説群や東野圭吾さんの『秘密』(文春文庫)とその原型「さよなら『お父さん』」(光文社文庫『あの頃の誰か』収録)などのように、同じ小説の改稿前後がどちらも書籍化されているというケースは珍しい事ではない事から最終的には加える事にしました。
ゲームは元々「一編につき五分弱で読める」程度のテキスト量で制作した為、「円」も「水晶球の双魚」から削りに削りました。が、主人公を女の子の萵苣にした事を始め、設定を多少変更したり場面の順番を入れ替えたりした為、筋は変えていないながらあちらとは読み味の異なった作品になっています。再びノベライズするに当たり、やや削りすぎた部分を直したり、「水晶球の双魚」が連作短編集の中の一編であったが故に理解出来る記述だった箇所を補う為に別の作品から文章を流用したりした為、結果として
・「水晶球の双魚」…バージョン1
・「円」(ゲーム)…バージョン2
・「円」(小説)…バージョン2.5
という感じになりました。個人的にはやはり「水晶球の双魚」がいちばん気に入っており、そちらの方が深みがある上に物語がより理解しやすいと思います。未読の方は、是非そちらもお読み頂ければ幸いです。




