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「着衣の人魚」(『晩歌 -BANKA-』)④


          *   *   *


 私たちが「人魚」を海に連れて行ってから、数日後の事でした。

 私はいつものようにプールで千早に会いましたが、その時、彼女は何故か私が更衣室に入るよりも先に帽子だけを被っており、終わってから例によって一緒に帰るまでの間も、普段は被らないキャップを被り続けていたのです。

 それに、私が昨日までのように「人魚」に会うべく彼女の家に行こうとすると、彼女から「ごめん!」と両手を合わせて謝られました。

「今日さ、うちに電気工事の人が来るんだ。家の裏の方にあるメーターを弄ったりもするみたいだから、私とみっちゃんが一緒にあの浴室に出入りしていたらあの子の事がバレるかもしれない。今日はちょっと、あの子に会いに来るのはしないで欲しいんだ」

 帰る時になっていきなりそう言い出した彼女にやや怪訝なものを覚えながらも、私はとりあえず「分かった」と肯き、今日は私が持って行く予定だったメカブの入ったスーパーのレジ袋を預けました。

 しかし、その時に私が「何かおかしい」と感じたのは気のせいではなかったみたいで、その後も彼女は会う度に、私に自分の髪の毛を見せないようにするかのように帽子を被り続けていました。

 私はプールから上がった後、彼女が水泳帽を取る瞬間を、彼女からは見ている事に気付かれないようにしつつ注意深く確かめました。バスタオルで頭を拭き、彼女から見て私が「周囲の見えなくなっている」と判断されそうなタイミングで千早は帽子を取りましたが、そこで私はあっと声を出してしまいました。

 それで結局千早にも気付かれた訳ですが、その時彼女の髪は、おかしな形に切られていたのです。あたかもそれは、専門の美容師が切ったのではなく、文房具の鋏で乱暴に切ったかのようでした。

 千早は私が見ていた事に気付くと、繕うような笑みを浮かべ、

「美容室行ったら、失敗しちゃって……えへへ」

 ごまかすように言いましたが、私は絶対にそうではないだろう、という事を直感していました。

 彼女はそれから、交替でしていた「人魚」の餌やり当番が彼女の日、練習が終わると私に声も掛けず、さっさと着替えてそそくさと帰ってしまうようになりました。そういった日は、何となく私も彼女を追い駆ける事が良くない気がしたので真っ直ぐ家に帰る事にしました。

 千早は、一度バレたからにはと開き直ったのか、それからは殊更(ことさら)に私に対して自分の髪を隠すという事はしなくなりましたが、その後彼女の髪は会う度に短くなっていき、しまいにはソフトボール部の子たちと同じくらいになりました。

 そこまで至り、私はさすがに黙って見ている訳にも行かないと思い、事前連絡をせずに彼女の家を訪れました。

 そして、思いがけない光景を目にしました。

「はい、あーん」

 あの離れの浴室で、千早は自分の髪の毛を切り取って束にし、「人魚」に与えていたのです。

「千早……ちょっとあなた、何やってるの?」

 私は考える間もなく、そう声を掛けながら彼女に歩み寄っていました。

 千早はびくりとしたように背中を震わせ、恐る恐るといった調子で私の方を振り返ると、無理矢理に笑い掛けてきました。

「あっ……やっほー、みっちゃん」

「千早、あなた……この子に、髪の毛なんてあげてたの?」

 私の声色に無意識のうちに含まれていた、やや咎めるような響きを感じ取ったのでしょう、彼女はやや言葉を探すように視線を彷徨わせた後、「はあ」と肩を竦めながら溜め息を吐(つ)きました。

「今まで、なけなしのお小遣いを削りながらこの子にあげるご飯を買ってたんだけどね、やっぱりどうしても足りなくなって。ゲーム売ったり、色々やったけどそれも限界で……盗んじゃったんだ、親のお金」

 彼女は、首を振りながらそう言いました。「そしたら案の定バレて、目茶苦茶怒られたんだよね」

「………」

 私は絶句してしまい、慌てて更に尋ねました。

「だからって、何で自分の髪なの?」

「ほら、海藻食べると髪の毛にいいって言うじゃん? だから、もしかしたら髪の毛だったら、この子にあげてた海藻の代わりにもなるんじゃないかなー、なんて思ったりして」

「そうじゃなくって」

 ──どうして、そこまでするのか。

 私はそう尋ねようとしました。しかし、本当は千早も、私がそう尋ねようとした事は分かっていて、意図的に韜晦(とうかい)したようでした。

 彼女はそこで不意に語勢を強め、

「じゃあみっちゃんは、ご飯をあげないでこの子がお腹空かせて死んじゃったりしてもいいの!?」

 噛みつくように、そう聞き返してきました。

「えっ!?」

 私は動揺してしまってから、「い、いや……」としどろもどろになりました。

「そういう事じゃなくって……言ってくれたら私も、もっとお金、出したよ。それなのに千早、何も相談してくれないんだもん」

「この子は!」

 千早は、激しく頭(かぶり)を振りました。

「この子は私が、責任を持ってお世話しているわ。だから、みっちゃんの手なんて借りなくたって」

「………」

 今まで一緒に「人魚」の面倒を見てきただけに、それは幾ら何でもあんまりな言い草ではないか、と私は思いました。しかし、その時の千早の様子は鬼気迫る、というか、あまりにも異様──そう、異様だったので、反論の言葉は何も口から出ては来ませんでした。

 ここは大人しく引き下がろう、と思い、

「……ごめん」

 私は小さく言い、踵(きびす)を返しました。

 千早は怒ったように唇を噛み、黙りこくっていました。彼女としても、さすがに言いすぎた、と思っているのだろうか、と考え、私は何度か振り返ろうかとも思いましたが、結局そのまま帰宅しました。


          *   *   *


 私と千早の仲は、その日を境にぎこちなくなりました。翌日も私たちはプールで顔を合わせ、私はやや気まずさを感じながらも「おはよ」と彼女に挨拶し、彼女もそれに対しては応えてくれたのですが、やはりどちらも昨日の事を切り出す事はしませんでした。

 それ以降も、私たちは自然に「人魚」の事を話題にするのは避けるようになり、私が「人魚」に会う為に千早の家を訪ねて行くという事もなくなりました。

 ある時から千早は、登校時から水泳帽を被り続け、またプールから上がってもそれを脱がなくなりました。私はそれで、もう彼女の髪が殆(ほとん)ど残っていない事を悟りました。

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