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「着衣の人魚」(『晩歌 -BANKA-』)①

 今となっては、私と友達がその当時共有していた秘密を打ち明けてもきっと誰にも信じては貰えないでしょう。

 当時、私たちは今よりもずっと無邪気で、常識に囚われておらず、何が起こったとしても「そんな事もあるんだなあ」くらいに、柔軟に受け入れられる心を持っていました。

 それは静かに私たちのところに現れ、また一夏の終わりと共に、静かに去って行きました。何の痕跡も残す事なく、ただ時が流れ去るように。

 そのお別れは夏の終わりであると同時に、私たちの少女時代に、一つの区切りがついた事を示唆するものでもありました。


          *   *   *


 中学二年の夏、私とその友達は「人魚」を飼っていました。

 ……お年頃的に、そういう”設定”だったのかと思われてしまいそうですが、それは嘘のような本当の話です。

 私たちがその「人魚」に出会ったのは、夏休みが始まって間もない熱帯夜の事でした。


「うわあ、ほんとに入れちゃったよ!」

 フェンスの破れ目を潜り、夜の学校の敷地内に忍び込むと、その友達──クラスメイトであり、同じ水泳部のメンバーだった七海(ナナミ)千早(チハヤ)は声を抑えながらも小さく叫びました。いけない事をしている、という気持ちはやはりあり、少々の後ろめたさと同時に「バレたらどうしよう」というドキドキ感が胸裏を満たしていました。

 それは、この事を計画して彼女に持ち掛けた私、三好(ミヨシ)蜜女(ミツナ)も同じで、口では

「ほら、大丈夫だったでしょ?」

 などと言いながら、胸郭の内側で激しく拍動する心臓を宥めるのに四苦八苦していました。

「案ずるより何とかかんとかってね」

 持ち込んだ小型の懐中電灯の光の中で、千早の顔は汗ばみ、頰が微かに上気していました。きっと私も、同じような顔をしていたのでしょう。

 私と千早がその時夜の学校に忍び込んでいたのは、プールで「秘密の特訓」を行う為でした。

 理由は至極簡単、部内での成績の伸び悩みです。皆と同じだけの練習をしていたのでは、いつまで経っても追い着けない──そんな事を思い、悶々とする日々が続いていました。

 お年頃といえば、当時の私たちは今よりもずっとずっと、負けず嫌いが著しいお年頃だったのです。

 夏休み中、学校のプールは開放されていました。水質調査に基づき、夜間には定期的に水の交換が行われますが、私たちは事前に綿密な調査を実施し、自分たちが「特訓」を行える曜日を確認していました。

 勿論、夏休み前の全校集会でもホームルームでも、保護者を伴わない夜間の外出は避けるように呼び掛けられていたし、幾ら近所とはいえ校門の閉まった学校に校庭のフェンスの破れ目から忍び込むなんて事は言語道断です。もし見つかったら目茶苦茶怒られるでしょうし、何より危険です。

 灯りの消えた夜のプールで泳ぐ──もしそれで、万が一事故などが起これば、大人の助けを借りる事は出来ません。下手をしたら、取り返しのつかない事になる可能性もあります。

 分かってはいたのですが、当時の私たちは油断していました。


          *   *   *


 私も千早も、家族が寝静まった後でこっそりと家を抜け出して来ていました。家を出る前に学校指定のジャージに着替え、中に水着を着込んでいたので、更衣室を使わなくてもジャージを脱ぐだけですぐに水に入る事が出来ました。

 私たちはお互いにタイムを測定したり、泳法の練習をしたりしていました。一人が水に入っている間、もう一人はプールサイドで懐中電灯を持って待ち、そちらの泳ぐ姿を照らし続けるのです。

 一応、間違っても事故を起こしてはならないという気持ちはあり、気付かない間に片方の姿が見えなくなっているなどといった事がないように細心の注意を払っていたのです。

 その時は千早の方が泳ぐ番で、私はスタート台に立って彼女がバタフライで二十五メートルを泳ぎきるのを、ストップウォッチを片手に待っていました。

 その途中で、一定のリズムで浮沈を繰り返していた彼女の頭が水中に消え、数秒経っても現れなくなった時は肝を冷やしました。

「千早!」

 私は彼女の名前を呼びながら、懐中電灯を持ったまま飛び込んで彼女が沈んだ辺りまで泳いで行きました。足を攣らせたのではないか、それともプールの底に沈んでいた何かに引っ掛かったのではないか──様々な不吉な想像が、一瞬のうちに脳裏を駆け巡りました。

 しかし、彼女は私が向かっている途中で、

「ぷはあっ!」

 盛大に息を吸いながら、黒々と闇に沈んでいる中でもはっきりと視認出来る程に白い水飛沫(しぶき)を上げて水面に顔を出しました。

「うわっ!? ちょっと、びっくりさせないでよ」

「みっちゃん、来て!」

 千早はゴーグルを押し上げると、興奮気味にこちらに手招きしてきました。

「潜ってみて! 底に、誰か沈んでる!」

 私は「ええっ!?」と叫んでしまいました。本当だったら大変な事なので、直ちに潜水し、彼女の潜った辺りまで水中を歩きます。懐中電灯の光は水中で揺らめいて分散してしまい、(ほとん)ど頼りにならなかったのですが、

「………!」

 確かにそこには、明らかに人の体と思われるものが沈んでいたのです。

 私と千早は身振り手振りで確認し合い、水底(みなそこ)でその何か──或いは誰か──に絡まっているものがないかなどを確かめ、無言の「いっせーの」で水面まで引っ張り上げました。

 浮かばせる事だけは、浮力が手伝ってくれたのでそこまで大変ではありませんでしたが、それをプールサイドまで引っ張って行き、引き上げるのにはちょっと労力が掛かりました。脱力した人体が重いという事は聞いた事がありましたが、それを身を以て実感した瞬間でした。

 その瞬間こそが、私たちと「人魚」との出会いだったのです。

 引き上げたそれが「人魚」である事は、私も千早もその全貌を見た時、即座に察していました。

 上半身にラメ入りの群青色のワンピースを纏い、下半身が鱗のある細長い魚のようになっている「人魚」。上衣の裾は臍のあるべき辺り、魚体との境目の辺りで肉に張り付き、服と体の区別が今一つつかなくなっていました。もしかしたらその辺りはまだ、ワンピースにあしらわれたスパンコールだったのかもしれません。

「人魚……?」

「人魚、だよね……?」

 私たちは二人とも、確かにそういう印象を抱きました。ですが、厳密には──おかしな言い方にはなりますが、「本当に人魚なのだろうか」という気持ちもまた混在していたのです。

 人魚なんて空想上の存在が居る訳がない、という事ではありません。

 その「人魚」のスパンコールのような鱗のある部分はぐずぐずに溶け、剝落し、ぱっと見て「魚っぽい」とは感じながらも、それが本当に人魚ならば下半身がそうであるはずの魚体なのかどうか、自信が持てなかったのです。

 何と言うかそれは──見るも無残、といった有様でした。

 海藻のような髪は絡まり合いながら、綻んだワンピースの襟の(ほつ)れと混ざり、顔を完全に隠していました。それを掻き分けようにも、ぬめりが酷く、なかなか上手く行きません。

「生きてる……のかな?」

 千早はプールの底で彼女を──ワンピースを着ていたので女性だと判断した訳ですが──発見した時、暗さからよく見えなかった事もあり、私たちと同じように密かに夜のプールに忍び込み、溺れた学校の生徒ではないかと思ったそうです。こうして引き上げてみて恐らく「人魚」だという事が分かった訳ですが、それでも彼女が水中に沈んでいて、今もぐったりとしているという事は変わりません。

「あの……もしもし。大丈夫ですか?」

 千早は屈み込み、気付けをするように手の甲で軽く「人魚」の頰を叩きながら呼び掛けましたが、返事はありませんでした。呼吸を確認しようにも髪の毛が顔にべったりと張り付いているので難しく、また服を脱がせようとすると、引っ張った箇所から出血が起こりました。

 それで、私たちは彼女のワンピースが、その皮膚と完全に癒着してしまっている事を悟ったのです。

「どうしよう……?」

 そう言ってこちらを覗き込んできた千早の顔は、心なしか青褪めているようにも感じられました。きっと私も、その時は彼女と同じような顔色をしていたのだと思います。

 怖い、という気持ちがありました。今自分たちが生き物の死に立ち会っているのかもしれない、という事も確かに感じていましたが、それよりも、自分たちの理解を超えた”何か”が目の前に居るという状況そのものが、俄かに不気味な事であるように思えてきたのです。

 本当に()()()が溺れて、死に瀕しているのだと思うと、やはり可哀想だという気はしました。が、結局私と千早は微かに良心の呵責を感じながらも、ぐったりした「人魚」をプールサイドに放置したまま、「秘密の特訓」を中止して家に帰ってしまいました。

 ──明日になればきっと、誰かが「人魚」を見つけるだろう。

 そう考えての事でした。

『晩歌 -BANKA-』第三弾「着衣の人魚」の連載を開始します。本作は隠しエンディングを迎えるルートを用意しましたが、やはりノベライズに当たってはトゥルーエンドのルートに準拠します。が、今見ると途中経過に不自然な箇所があったので修正はしました。

 そろそろお気付きかと思われますが、本作のヒロインたちの名字は「一之瀬」「二宮」「三好」と連番になっています。また、サブキャラクターのうち特に出番の多い重要人物は「六道」「七海」と、こちらも五以降の連番です。「化」の「プレイヤー」だけは都合上名前を登場させられなかったので飛ばす事になりましたが……


 因みに私はプールが嫌いです。中二の時には完全に限界が来て以降全てを見学しましたが、高校に水泳の授業がなかったのは本当に幸いでした。小学校の頃はプールに入り、壁に掴まりながら歩く、程度の事はしていましたが、それで教師たちから「成長した」「克服しつつある」と褒められるのも嫌でした。例えばの話、苦手な食べ物を吐きそうになりながら飲み下したところで、それは一回飲み込んだだけであって「克服した」という事にはならないでしょう、という。

 今回の話には水難に対する恐れのようなものが根底に流れていますが、それはこういった私個人の事情とはあまり関係のない事です。ゆめゆめ疑うなかれ、というところで明日もお楽しみに。

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