第88話「見られている」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
目を開ける。
手はまだ震えていたが、ジェラルトは次弾の装填を始めた。
火薬を入れる。弾を込める。槊杖で押す。
手順は体が覚えている。頭が止まっていても、手は動いた。
「ラッキーだぜ。敵の偉いやつを殺ったみたいだ。」
自分に言い聞かせるように呟いた。声に出さなければ、膝が折れそうだった。
装填が終わると、ジェラルトはその軍人たちの群れに向かって2発目を放った。
ズドーン。
2発目の銃声に反応し、湧いて出た軍人たちが一斉に発砲音のした方向に目を向けた。
ジェラルトは着弾の確認をすることもなく、隠密の異能を解除した。
立ち上がる。
カルドナ王国軍人たちの松明の光が、ジェラルトの姿を照らし出した。
1人だ。
たった1人の兵士が、連隊規模の野営地に銃弾を撃ち込み、大隊長を殺した。
何人かのカルドナ軍人が、ジェラルトの姿を指差して叫んだ。
「いたぞ!あそこだ!」
「1人だ!逃がすな!」
ジェラルトはカルドナ軍人たちに背を向け、走り出した。
ピーッ!ピーッ!ピーッ!ピーッ!
ジェラルトを発見したカルドナ王国軍は、再び笛を鳴らした。
そこにいたほぼ全員が武器を片手に松明を持ち、わき目もふらずジェラルトを追いかけた。
ジェラルトは全力で走った。
もちろん速度を増加させる風魔法は一切使わない。使えば追っ手を振り切ってしまう。それでは意味がない。
追いつけそうで追いつけない。その距離を保つのが、マイトランドから与えられた役目だった。
だが、言うほど簡単ではない。
速度を出しすぎれば追っ手が諦める。遅すぎれば捕まる。夜の山道を、足元を確かめながら、背後の距離を耳で測りながら走り続けるのは、全力疾走よりも遥かに神経を削った。
背後から怒号が飛ぶ。
「待てやぁ、ごるぁ!」
「待たねえよ。バカが!」
叫び返しながら、ジェラルトは背後の足音を数えていた。
20。30を超えている。いや、まだ増えている。
木の根を飛び越え、低い枝をくぐる。追っ手の松明が揺れるたびに、ジェラルトの影が前方の地面に長く伸びた。
先に出た何十名かの兵士が、ジェラルトの放った2発目以外の襲撃を受けないことから、敵の襲撃が1人だと知ると、カルドナ王国軍はさらに兵を繰り出した。
大隊長を殺されたのだ。たった1人の兵士を取り逃がすなど、残された者たちには許されなかった。
ジェラルトの耳に、追っ手の中から怒鳴り声が聞こえた。
「足の速い者を前に出せ!挟め!左右から回り込め!」
指揮官がいる。冷静な奴だ。ただ追いかけるだけでなく、包囲しようとしている。
ジェラルトは舌打ちした。
このまま直線で逃げ続ければ、左右から回り込まれる。
だが、ここで火薬袋を使えば、追っ手の足が止まる。足が止まれば包囲も崩れる。
ジェラルトはしばらく走ると、腰の火薬袋を1つ外し、走りながら後方に放り投げた。
風魔法で指向性を持たせた小さな風の刃が、袋の口を切り裂く。
火薬が地面に散った。
追っ手の松明が、散った火薬に触れた瞬間。
バンッ。
小規模だが鋭い爆発音と共に火花が弾け、先頭を走っていた数名のカルドナ兵が足を止めた。
「ぐあっ!」
「伏兵だ!」
「周囲を警戒しろ!」
一瞬、追っ手の足が止まった。左右に展開しようとしていた兵士たちも、爆発音に反応して足を止め、周囲を見回した。
包囲が崩れた。
だが、すぐに前方を走る1人の影を見つけ、再び追跡を開始する。
「1人だぞ!罠を仕掛けている!足元を見ろ!」
あの指揮官だ。冷静な判断を下している。だが、足元を注意しながら走ればそれだけ速度は落ちる。ジェラルトにとっては好都合だった。
ジェラルトはもう1つ火薬袋を落とした。今度はわざと木の根元に引っ掛けるように。
追っ手の誰かが蹴り飛ばし、松明の火が引火した。
バンッ。
再び爆発。木の根元から炎が噴き上がり、カルドナ兵たちの間に悲鳴が上がった。
「また罠だ!」
「何人いるんだ!?」
罠だ。伏兵がいる。
カルドナ軍はそう判断しただろう。1人の兵士が連隊を相手に銃を撃ち込んできたのだ。背後に部隊がいないわけがない。罠を仕掛けながら逃げているということは、仲間のいる場所まで引き込もうとしている。
普通の指揮官なら、ここで追跡を打ち切る。深追いは伏兵の餌食になる。兵法の基本だ。
だが、大隊長を殺された怒りが、その判断を許さなかった。
追っ手の指揮官が叫んだ。
「構わん!追え!大隊長の仇だぞ!」
その判断が、さらに多くの兵を追跡に向かわせた。
ジェラルトは追跡する声の数から、敵がしっかり付いてきていることを確認すると、方向転換して速度を増加させる風魔法をかけた。
ここからは距離を稼ぐ。
そのままワザと先ほど迂回した敵の先遣隊の陣地を突っ切った。
先遣隊の歩哨が目を丸くする。
何者かが全速力で自分たちの陣地を駆け抜けていく。その後方から、松明を持った味方の大群が雪崩れ込んでくる。
「何だ!?何があった!?」
「敵だ!追え!」
事情を知らない先遣隊は、本隊が追跡しているという事実だけで判断した。本隊の追っ手に巻き込まれる形で、先遣隊からもさらに十数名がジェラルトの追跡に加わった。
ジェラルトは後方を一瞥した。
松明の数が、もはや数え切れなかった。
「引き連れすぎたかもしれねえ……。」
そう呟いた瞬間、マイトランドの声が頭の中で聞こえた。
――出来るだけ一杯引き連れて帰って来てくれよ。
「ああ、お望み通りだぜ。この野郎。」
ジェラルトは速度を増加させる風魔法を維持したまま、マイトランドの位置に向かってひた走った。
マイトランドは、水色の鳥の目でその一部始終を見ていた。
ジェラルトが先遣隊の陣地を突っ切り、数百のカルドナ兵を引き連れてこちらに向かっている。
火薬袋の爆発も見えた。2度の小規模な爆発が追っ手を刺激し、兵力を膨れ上がらせていた。
そして、追っ手の中に指揮官がいる。統制が取れている部隊だ。烏合の衆ではない。
完璧だ。
統制の取れた部隊が帝国の監視地域に踏み込んでくるからこそ意味がある。散発的な兵士が迷い込んだのとは訳が違う。組織的な侵入だと帝国が判断すれば、対応の規模も変わる。
マイトランドは、鳥を前進観測班がいるであろう稜線の方向に飛ばした。やはり何も見えない。だが、見えないことが答えだった。
数百の松明がこちらに向かってきている。あの位置からなら見えないはずがない。それでも姿を見せない。観測と報告に徹している。
さすがだ、とマイトランドは思った。あの練度なら、後方にはもう伝わっている。
帝国も動き出す。間違いない。
マイトランドは水色の鳥を解き、静かに上体を起こした。
空腹で足に力が入らない。だが、立てないわけではない。
ジェラルトが視界に入る距離まで来たら、立ち上がって自分の体を見せなければならない。カルドナ軍に、追っている兵士が仲間と合流したと思わせるために。
そして帝国の前進観測班に、ここにもう1人いると知らせるために。
1人なら見逃すかもしれない。だが2人なら、帝国は斥候と判断する。斥候が逃げ込んできたということは、後方に部隊がいるということだ。そしてその斥候を追って、カルドナ軍が帝国の監視地域に入ってくる。
帝国軍にとっての絵は、こうなる。
ヴェルタ軍の偵察兵1名とその連れ立ちがカルドナ軍に追われ、帝国の監視地域に逃げ込んだ。カルドナ軍は追跡をやめず、数百の兵力で帝国の領域を侵犯する。
放置すれば、カルドナ軍はこの地域を帝国の死角と判断する。次は補給路を引く。その次は大部隊を通す。
帝国が今ここで叩かなければ、次に叩くときは何倍もの兵力が必要になる。
それを、第18軍団の司令官が分からないはずがない。
ジェラルトの足音が聞こえ始めた。
速い。
その背後に、地面を踏み鳴らす無数の足音。松明の光が木々の隙間からちらちらと見え始め、怒号がこだまする。
近い。
マイトランドは片膝をつき、両手で地面を押して体を持ち上げた。
足が震えた。だが、立てた。
マイトランドはその場で立ち上がり、ジェラルトに自身の体を見せた。
ジェラルトが一瞬、目を見開いた。
マイトランドの姿を確認し、同時にその背後の闇にも目をやった。帝国の前進観測班がいるであろう方向だ。
ジェラルトは何も言わなかった。
ため息を一つつくと、走る速度を落とさないままマイトランドの体を攫い上げ、再び肩に担いだ。
マイトランドが北西の方向へ服を引いた。
帝国軍の前進観測班がいるであろう方向だ。
ジェラルトはマイトランドの示す方向へと、ひた走った。
背後では、カルドナ王国軍の怒号と笛の音が、帝国軍第18軍団の監視地域に向かって雪崩れ込もうとしていた。
面白いと思っていただけたら、ブックマークしていただけると大変励みになります。次回もよろしくお願いします!




