第83話「10人と1匹」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
バートル号は歩かなかった。
リードを引いても、声をかけても、丸々と太った体を地面に押し付けたまま、一歩も動こうとしなかった。
「おい、歩け。任務だぞ。」
ジェラルトがリードを引くと、バートル号は不満そうに鳴き声を上げたが、立ち上がる気配はなかった。
「ジェル、引きずるな。怪我したら伝令が出せなくなる。」
「じゃあどうすんだよ。こいつ、岩かってくらい動かねえぞ。」
ポエルがしゃがんでバートル号の前に手を差し出した。手の平に糧食の穀物粒を少しだけ乗せていた。
バートル号は匂いを嗅ぐと、のそのそと立ち上がり、ポエルの手から穀物を食べた。ポエルが一歩前に出ると、バートル号も一歩ついてきた。
「ポエルについてくる。大丈夫。」
「餌で釣ってるだけだろ・・・。」
「釣れてるから大丈夫。」
ジェラルトは反論を諦めた。
かくして、ドワイト分隊は10人と1匹で北の警戒地点へと向かった。バートル号はポエルの後ろだけを、左右に体を揺らしながらついて歩いた。
第2軍本営を出て北へ向かう道は、3週間前に南へ歩いた道と同じだった。
だがマイトランドの目には、来た時とは全く違う景色が映っていた。
来る時は5000人の隊列の一部だった。周囲を仲間に囲まれ、前方も後方も人で埋まっていた。今は10人しかいない。隊列の厚みはなく、左右の山林がそのまま死角だった。
マイトランドは歩きながら、地形を読んでいた。
ここに伏兵を置けば、街道を封鎖できる。あの丘の裏に騎兵を隠せば、側面から突ける。この川の渡河点は、少人数なら夜間に渡れる。
偵察とは、敵を見つけることだけではなかった。敵がどこに来るか、どこに潜むか、どこから攻めるかを、地形から読むことだった。
「分隊長。」
「なんだ。」
「来る時に通った道ですが、北側の山脈に近づくにつれて、街道の東西に死角が増えます。警戒地点は、できれば山脈の南麓ではなく、街道が山に入る手前の丘陵地帯がいいのでは。視界が確保できて、退路も取れる。」
ドワイトは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「お前の言う通りだ。行軍中に地形を見ていたか。」
「はい。来る時から気になっていました。」
「良い目だ。その場所を使おう。」
ミシェルとトーマスは、2等兵の新兵が分隊長に進言し、それが即座に採用される光景を信じられないという顔で見ていた。
セリーヌだけは、何も言わずにマイトランドの背中を見つめていた。
道中、バートル号は何度も座り込んだ。
最初の1時間で3回。2時間目には完全に動かなくなり、チチチと甲高い声で鳴いて抗議を始めた。
「こいつ、ストライキだぜ。軍法会議にかけてやろうか。」
「ジェル、鳥に軍法会議はない。」
「マイト、ポエルの穀物もう無くなりそう。」
ポエルが手の平を見せた。穀物粒は残り僅かだった。
「糧食を使いすぎるな。20日分しかないんだ。」
結局、アツネイサが抱えて運ぶことになった。アツネイサの太い腕の中で、バートル号は気持ちよさそうに目を閉じた。
「アツネイサ、ソレ、ニモツジャナイ。イキモノ。」
自分に言い聞かせるようにそう呟きながら、アツネイサはバートル号を落とさないように慎重に歩いた。
しばらくすると、バートル号はアツネイサの鱗の隙間に頭を突っ込んで眠り始めた。
「アツネイサ、バートルゴウ、ネタ。アタタカイミタイ。」
「そりゃ鱗の間は暖かいだろうぜ。リザードマンの体温だからな。」
ジェラルトが笑うと、イブラヒムが横から覗き込んだ。
「アダム、こいつ完全に寝てるぜ。任務中だぞ。」
「バートル号に任務の概念はねえだろ。」
「まあそうだけどよ。俺達が最後の一人になろうとも、って言われてんのに、こいつは寝てるんだぜ。不公平だろ。」
「イブ、鳥に公平を求めるな。」
トーマスは道中、ずっと後方を気にしていた。何度も振り返り、誰かがついてきていないかを確かめていた。
「トーマス、後ろ気にしすぎだぜ。首が取れるぞ。」
ジェラルトが声をかけると、トーマスは慌てて前を向いた。
「す、すみません。10人だけで敵地に行くって、考えたら怖くて・・・。」
「まだ敵地じゃねえよ。自分の国の中だ。」
「で、でも、司令部が後方から襲われたって・・・。」
トーマスの声は震えていた。ミシェルが黙ってトーマスの隣に並んだ。
「僕も怖いですよ。でも、分隊長と先輩方がいるから、大丈夫じゃないかなって。」
「ミシェルさんは落ち着いてますよね・・・。すごいです。」
「落ち着いてるんじゃなくて、考えないようにしてるだけです。孤児院の司祭様に教わりました。怖い時は、今やるべきことだけを考えろって。」
「今やるべきこと・・・。」
「今は歩くこと。それだけです。」
トーマスは少しだけ頷いた。まだ怯えた目は変わらなかったが、振り返る回数は減った。
セリーヌはその会話を聞いていたが、何も言わなかった。ただ、歩調を少しだけトーマスに合わせていた。
隊列を組んで移動していた時は、大人数、荷物、物資などの理由から、歩いて4日程掛かったが、今度は10人と少人数。受け取った糧食も少なかったため、速度を上げ行軍すると、翌日には警戒地点に到着した。
丘陵地帯の頂上に立ったマイトランドは、北の山脈を見渡した。
稜線が東西に長く伸び、いくつもの谷が南側に口を開けていた。あの谷のどれかを、カルドナ別働隊は越えてきたのだ。
10人で、この山脈の全てを監視する。「最後の一人になろうとも」という命令の重さが、景色を見た瞬間に改めて沁みた。
警戒地点に到着したドワイト分隊は、戦闘糧食を必要最低限と、それ以外の物も戦闘に必要でない物は、ドワイトの指示で街道脇に埋設し、仮指揮所の建設を始めた。
イブラヒム、アダムス、ジェラルトは掩蔽壕の建設。
マイトランドは敵方向山岳地帯の警戒。
ポエル、アツネイサは近場の警戒。
セリーヌ、ミシェル、トーマスは偽装の為の草や木の回収。
ドワイトの指示に、新旧メンバーの差が出た。
ジェラルト、イブラヒム、アダムスは聞き終わる前に動き出していた。半年間の新兵教育で、命令を受けたら即座に行動する体が出来上がっていた。
一方、ミシェルは一拍遅れて動き出し、トーマスは何をすればいいか分からず立ち尽くしていた。
「ト、トーマス。一緒に行こう。草を集めるだけだから。」
ミシェルが声をかけると、トーマスは慌ててついて行った。
セリーヌは指示を受けた瞬間に動いていた。無駄のない動きだった。誰に言われるまでもなく、偽装に適した枝葉を選び、的確な長さに折っていた。
草木の回収中、トーマスは何度も枝を折り損ねた。力の加減が分からず、使える長さの枝を粉々にしてしまっていた。
「す、すみません。また折っちゃって・・・。」
「大丈夫ですよ。次はもう少しゆっくり曲げてみてください。」
ミシェルが丁寧に手本を見せた。力ではなく、繊維の方向に合わせて曲げると、きれいに折れた。トーマスが真似をすると、今度はうまくいった。
「で、できました。」
「うん。上手です。次からはその感覚で。」
ミシェルは自分が目立つことを避けるように、常にトーマスのフォローに回っていた。回復魔法の使い手だからか、人を支えることが体に染みついているようだった。
トーマスが集めた枝の束を、セリーヌが無言で受け取り、偽装に適したものだけを選り分けていった。使えないものは黙って脇に置いた。
「あ、それ、僕が折ったやつ・・・。」
「長さが足りない。次からはこれくらい。」
セリーヌは自分が折った枝をトーマスに見せた。必要な長さ、葉の密度、色味。全てが揃っていた。
「は、はい。覚えます。」
トーマスは落ち込むかと思いきや、セリーヌの枝をじっと見つめ、次の枝を慎重に選び始めた。不器用だが、諦めない。それがトーマスの取り柄なのかもしれなかった。
それを少し離れた場所から見ていたミシェルは、小さく微笑んだ。
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