第68話「動かない敵」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
ヴェルタ南東、カルドナ王国との国境は、3000m級の険しい山々が両国の交通を阻害している。
カルドナ北西の街トレーナから、ヴェルタ南東の街グルノブルットにかけて僅かな範囲で平野が広がっているが、ここ以外に大規模軍の侵攻ルートは無いと言ってもいい。
僅かな規模であれば、グルノブルット南の沿岸部にあるウェリースという街から東に延びたルートが存在する。だが、この沿岸ルートは断崖と海に挟まれた隘路であり、その中間点にヴェルタ軍の沿岸要塞が築かれている。要塞を攻略しない限り通過はできず、攻略には膨大な時間と兵力を要する。カルドナにとって、この道は実質的に閉ざされていた。
つまり、カルドナ王国がヴェルタに攻め入るならば、トレーナからグルノブルットへと続く、あの狭い平野を突破するしかない。ヴェルタもまた、それを知っている。
ヴェルタ軍第2軍を率いるのは、バルト・ハインリヒ・フォン・ツェッペリン大将。貴族院20名家の一つ、ツェッペリン家の次代の家長であり、38歳という若さで大将に上り詰めた男である。
若くして大将の座に就いた理由は、家柄だけではない。士官学校を首席で卒業した後、ハイデンベルグ帝国との合同演習で最優秀指揮官に選出され、その後も数々の辺境討伐で功績を挙げた。理論と実戦の両方を知る、ヴェルタ軍では稀有な将官である。
だが、ツェッペリン将軍には一つの癖があった。準備を完璧に整えることに執着する。布陣、兵站、情報収集――全てが揃うまで動かない。それは堅実さとも言えるが、裏を返せば、想定外の事態に対する反応が遅い。全てが整った盤面でこそ、この男は最も力を発揮する。
ツェッペリン将軍は、ウェリースにウェリース守備隊1個歩兵師団、1個騎兵師団、1個弓兵師団を配備すると、残りの全軍をグルノブルットへ駐屯させた。その中から、4個歩兵師団、2個騎兵師団、1個弓兵師団、1個銃歩兵師団を抽出し、ヴェルタ軍第2軍第1軍団として平野部国境手前まで進めさせると、陣地構築の指示を出した。
このヴェルタ軍第2軍第1軍団司令の職責を任されたのが、ウィリバルト・ネイ少将である。
新貴族の出身でありながら、ツェッペリン将軍の右腕として名を馳せた名将だった。フォンもドも持たぬ男がこの地位に就いていること自体が、彼の実力を証明している。
ネイ将軍は到着した当日、馬に跨ると供を3名だけ連れて平野を駆け回った。地形を自分の目で確かめるためだ。
候補となる丘陵は三つあった。
一つ目は国境に最も近い丘。敵を早期に捕捉できるが、後方との補給線が伸びすぎる。
二つ目は平野の中央にある緩やかな起伏。見晴らしは良いが、周囲に遮蔽物がなく、側面を突かれれば防御に向かない。
三つ目は平野の北端、ガゲンテラ山の裾野から南に張り出した丘陵地帯。背後を山に守られ、正面と左翼に開けた射界を持ち、右翼は山裾の森林が自然の障壁となる。補給線もグルノブルットから一本道で繋がる。
ネイ将軍は僅か半時で三つ目を選定した。
「ここだ。背中を山に預ければ、正面だけを見ていればいい。」
陣地構築が始まった。
ネイ将軍は丘の正面に三重の塹壕を掘らせた。第一塹壕は斥候と前哨用、第二塹壕が主防御線、第三塹壕は予備兵力と負傷者の収容。塹壕と塹壕の間には逆茂木と落とし穴が設けられ、敵の突撃速度を削ぐ構造になっている。
丘の頂上には指揮所と弓兵の射撃陣地を設け、左翼の開けた平野には騎兵の反撃用出撃路を確保した。さらに、補給線となる後方の一本道沿いには、等間隔で伝令の中継点を設置した。
兵は昼夜を問わず働いた。ネイ将軍自身が塹壕に降りて土を掘る姿を見て、将校たちも黙って鋤を取った。
6日とかからず、陣地は完成した。
ネイ将軍は完成した陣地を見渡すと、傍らの副官に静かに言った。
「これで少なくとも、正面からの攻撃で崩れることはない。問題は正面から来てくれるかどうかだが。」
陣地構築完了後は、越境しないように、トレーナ方向に逐次斥候を出した。20個の騎兵小隊を代わる代わる斥候に出すことで、兵の疲労を軽減し、カルドナ王国軍の動きを絶えず見張った。
これに対し、カルドナ王国軍はハイデンベルグ帝国国境で戦闘中のカルドナ王国軍第3軍、14個軍団の中から、カルドナ王国軍騎兵第2軍団、カルドナ王国軍重装歩兵第4軍団、カルドナ王国軍銃歩兵第6軍団、カルドナ王国軍第10軍団の計4個軍団をトレーナに向かわせると、新兵と予備役で編成した4個軍団を新たにハイデンベルグ国境付近へと向かわせた。
トレーナに到着した4個軍団に、沿岸防備に付いていた3個軍団を加えると、カルドナ王国軍第4軍とし、トレーナと国境の守備にあたらせた。
ヴェルタ軍、カルドナ王国軍共に、国境付近でにらみ合いを続けるも、どちらも宣戦布告していないことから、戦争の火種になってはならぬと、両軍ともに全くと言っていいほど動きは無かった。
ネイ将軍の斥候は毎日欠かさず報告を上げた。敵の兵力は増強されている。だが動かない。ネイ将軍は報告を読むたびに同じ言葉を繰り返した。
「動かない敵が一番怖い。」
ツェッペリン将軍はグルノブルットの司令部で、毎日届く斥候報告を精査し、兵站の数字を確認し、万全の態勢を維持していた。彼の準備は完璧だった。
それが裏目に出ることを、まだ誰も知らなかった。
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