第63話「順番を間違えるな」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
ブレンナーが着席した後、会議室には張り詰めた沈黙が残った。
フランドール大佐は表情を変えなかった。
「では聞くが、政治的な配慮を理由に、評定の結果を歪めることは許されるのか」
誰も答えなかった。
「同じ過ちを、二度繰り返すのか。それが、この会議の真の論点だ」
誰も口を開かなかった。
フランドール大佐は少し間を置いて、意外な話を始めた。
「諸君はフットボールを知っているかね」
会議室に困惑が広がった。この場にフットボールの話題が出るとは、誰も思わなかった。
「フットボールには、ゴールポストがある。選手はそのポストの間にボールを蹴り込む為に走る。だが、もしボールが飛んでくる度にポストを動かせるとしたらどうだ?」
フランドール大佐は会議室を見渡した。
「平民がゴールを決めそうになったら、ポストをずらす。貴族がゴールを外しても、ポストを寄せてやる。そんな試合を、誰が見たいと思う。そんな試合で勝った者を、誰が認めると思う」
誰も答えなかった。
「第一回模擬戦で、我々はまさにそれをやったのだ。従来の規定であれば、1位は平民47班であった。それが、私のあずかり知らぬところで、評定基準が班の撃破数に変更された。貴族の面子を守る為に、ゴールポストをずらしたのだ」
会議室が静まり返った。
「あの時、私は事後報告でその変更を知った。誰が、誰の指示で変更したのか、今もって明確な回答を得ていない。だが、この場にいる誰かが関わっていたことは、間違いないだろう」
フランドール大佐は教官たちの顔を一人一人見据えた。目を逸らした者が、数名いた。
「変更を知ったのは、表彰式の直前だった。私はあの壇上で、本来1位であるべき者の名を呼ばず、別の名を読み上げた。あの時、どのような気持ちで壇上に立っていたか、分かるか」
誰も答えなかった。
「教育者が、自分の評定を信じられなくなる。これがどれほどの屈辱か、諸君には想像もつかんだろう。私は15年間、この壇上で一度も嘘をついたことがなかった。あの日、初めて嘘をついた」
フランドール大佐の声は静かだったが、その静けさの中に、15年分の矜持が詰まっていた。
「一度ゴールポストをずらせば、二度目もずらせる。二度目をずらせば、三度目からは慣例になる。そうなった時、我々の評定に何の価値がある。貴族の家名が重い順に並べるだけの、茶番ではないか」
フランドール大佐は、かつて自分の上官であった男の言葉を思い出していた。
フルブライト・フォン・グリルファウスト大将。帝国からの移民であり、帝国の北方戦線での三度の大会戦を全勝した、伝説的な将軍。
その大将が、まだ若い士官だったフランドールに言った言葉があった。
「正しい評価を怠る軍は、正しい人材を失う。正しい人材を失った軍は、戦場で負ける。フランドール、順番を間違えるな」
あの時、大将が何を言いたかったのか、今なら分かる。
そして今、その大将が推薦した男が、ここにいる全員に同じ問いを突きつけている。
「我々は教育者だ。政治家ではない。新兵の能力を正当に評価し、適切な順位をつけることが我々の任務であって、貴族院の顔色を窺うことではない」
フランドール大佐の声は静かだったが、会議室の隅々まで届いた。
「だが、査閲官殿」
副査閲官が食い下がった。
「現実として、我々の決定が貴族院に波及すれば、教育隊そのものの立場が危うくなります。来期以降の予算、人事、全てに影響が出かねません」
「承知している。だからこそ、手順を踏む。カンニング疑惑の精査、罰則記録の精査、全てを透明に行い、結果に対して一点の曇りもない状態にする。明日の最終試験の結果も含め、全教官で検証する。その上で出た順位であれば、誰が何を言おうと、我々は胸を張れる」
フランドール大佐は一拍置いて、続けた。
「そして、その結果に対して貴族院から異議が出るのであれば、私が全責任を負う」
会議室が静まり返った。
誰も動かなかった。誰も口を開かなかった。
フランドール大佐は、会議室に残った全員の顔を見渡した。退室した者を除き、残った教官たちは、その目を見返した。覚悟が決まった者も、まだ迷いを抱えた者もいた。だが、少なくとも、誰も席を立たなかった。
「罰則による減点は、班長の裁量に依存する部分が大きい。ドワイト軍曹の罰則記録を精査し、不当な減点がなかったか確認する。カンニング疑惑についても、明日の最終試験の解答を含め、改めて全教官で検証する。精査の結果を以て、最終順位を決定する。異論はあるか」
誰も声を上げなかった。
「では、精査は最終試験終了後3日以内に完了させる。それまで順位の発表は保留とする。以上だ」
フランドール大佐が立ち上がると、教官たちも席を立った。
ドワイトは壁際に戻り、会議室を出ようとした。その背中に、フランドール大佐の声がかかった。
「ドワイト軍曹」
「はい」
「精査の結果次第では、お前にも話を聞くことになる。覚えておけ」
「承知しております」
ドワイトは敬礼し、会議室を後にした。
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廊下に出たドワイトの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
誰にも見えない、ほんの一瞬の笑みであった。
ドワイトは歩きながら、会議室の連中を思い返していた。
——こいつらは、何もわかっちゃいない。
あの2人が受けている試験は、平民用ではない。貴族の子弟が、幼少期から家庭教師をつけて学んだ末に受ける試験だ。それを平民の2人が受けている。その受験資格を誰が手配し、その費用をどこから出しているのか。誰一人、疑問にすら思わない。
——まして、誰がこの俺に「徹底的に鍛えろ」と命じたのか。
あの罰則の数々を、ただの嫌がらせだと思い込んでいる。反省室で棒で叩いたのも、理不尽な難癖をつけたのも、全て意味があった。あの2人が、どんな環境でも折れない精神を持てるように。どんな理不尽にも冷静でいられるように。
——実際には、何の意味もなかった様だがな。
ドワイトは苦笑した。
あの2人は、最初から折れなかった。鍛えるまでもなく、折れない精神など、とうに持っていた。特にジェラルトの方はやばい。体術、剣術、風魔法、隠密。現時点で、階級以外は俺より全てが上だ。
——班長の俺が、班員に力で負けている。笑い話にもならん。
それぞれの思惑があるのだろう。大将には大将の、中将には中将の、夫人方には夫人方の。そしてこの俺には、俺の。
ドワイトは鼻を鳴らした。
——カンニングだ、政治的影響だ、ゴールポストだ。フットボールの話まで持ち出して、大の大人が20人以上も集まって、たった1人の平民の順位を決められんとは。それで査閲官や教官をやっているのだから、いい気なもんだ。
ドワイトは隊舎に向かう廊下を、いつも通りの底意地の悪い顔で歩いた。
明日はあの2人にとって、最後の試験だ。
——まあ、あいつらなら心配はいらんだろう。
ドワイトはそう思うと、もう一度だけ、誰にも見えない笑みを浮かべた。
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