第62話「出ろ」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
「仮にラッセルを1位とした場合の影響について、意見を聞きたい」
副査閲官が慎重な声で答えた。
「率直に申し上げます。政治的な問題が生じます」
「具体的に」
「まず、グレッテ家です。フリオニール・フォン・グレッテは三度の模擬戦で総大将を務め、記録上全勝しております。しかし、ラッセルが1位となれば、記録が変更され団体戦2勝、班対抗戦1敗となり、団体戦では実質的な指揮を平民に委ねていたことが公式に認められることになります。ヴェルタ議会貴族院20名家の一つ、グレッテ家の嫡男が、班別対抗戦で敗戦した平民に作戦を任せていた。穏健派とはいえ、ライヒ派の名門です。家中から反発が出ることは避けられません」
「さらに言えば」
別の教官が続けた。
「ロンメル家の問題もあります。グレンダ・フォン・ロンメルは三度の模擬戦で全敗しておりますが、その相手が貴族のフリオニールであれば、まだ面目は保てます。しかし、実際の指揮官が平民だったとなれば、ロンメル家は20名家の名に懸けて、この評定に異を唱えてくるでしょう」
「つまり、ライヒ派のグレッテ家、同じくライヒ派のロンメル家、双方の面子を潰すことになる、と」
「はい。場合によっては、貴族院で教育隊の評定方法自体を問題視される可能性すらあります」
副査閲官は書類の束から一枚を取り出した。
「過去に前例がございます。8年前、第三軍の人事評定において、平民出身の下士官が貴族出身者を差し置いて昇進推薦を受けた際、ロワイヤル派の貴族院議員が人事評定の透明性を問題視し、第三軍の人事権が半年間凍結されました。その間、部隊配属が滞り、前線の兵力に影響が出ております」
「その件は承知している」
「であれば、今回も同様の事態が起こり得ることは、ご理解いただけるかと」
「似て非なるものだ。8年前は推薦の過程に不透明さがあった。今回は、全てを透明に精査した上での結論だ」
「しかし、貴族院がそう受け取るかどうかは別の問題です。査閲官殿」
会議室に重い空気が流れた。
ライヒ派の教官たちが次々と声を上げ始めた。
「査閲官殿。率直に申し上げます。ラッセルを1位にすべきではありません」
「同意です。平民が首席などと、前例がない。教育隊の権威に関わります」
「グレッテ家とロンメル家の両方を敵に回すことになります。査閲官殿ご自身のお立場も——」
言いかけた教官が、口を噤んだ。フランドール大佐の目が、その教官を射抜いていた。
「私の立場、とは何だ。言ってみろ」
「……いえ」
「言いたいことは分かっている。私がロワイヤル派だから、ライヒ派のグレッテ家とロンメル家の面子を潰すことに躊躇がないのだろう、と。そう言いたいのだろう」
会議室が凍りついた。
フランドール大佐は立ち上がり、声を上げた教官たちを一人一人見据えた。
「ここにいる者の中で、ラッセルの答案を読んだ者は何人いる。模擬戦の報告書を全て目を通した者は何人いる。その上で、1位にすべきでないと言っているのか。それとも、グレッテやロンメルの家名が怖いから言っているのか」
誰も答えなかった。
「もう一度言う。我々は教育者だ。家名で順位を決める機関ではない」
ライヒ派の教官たちが沈黙した後、今度は意外な方向から声が上がった。
「査閲官殿。お言葉ですが」
ロワイヤル派に属する術科教官が、慎重に口を開いた。
「私はフランドール大佐と同じロワイヤル派であります。だからこそ申し上げます。平民を1位にすべきではありません」
フランドール大佐の眉がわずかに動いた。
「理由を聞こう」
「ライヒ派だけの問題ではないのです。平民が貴族を差し置いて首席になれば、ロワイヤル派の貴族からも反発が出ます。『ド・フランドールが平民を贔屓した』と。大佐、我々ロワイヤル派は少数派です。ここでライヒ派だけでなく、味方のロワイヤル派からも孤立すれば、教育隊における我々の発言力は完全に失われます」
「つまり、派閥の利益の為にラッセルの評価を下げろと、そう言いたいのか」
「利益ではありません。生存の問題です。大佐がいくら正論を仰ろうと、貴族院はそうは受け取りません。正しいことをした結果、我々全員が潰されるのでは本末転倒です」
フランドール大佐は黙ってその教官を見据えた。
「続けろ」
「大佐。これは忠告です。ここにいる全員が、大佐のお考えを理解しています。だが、理解することと、それについていけることは別です」
術科教官は一呼吸置いて、続けた。
「正直に申し上げます。大佐がラッセルを1位にすると決められた場合——我々は、大佐の判断に従います。しかし、その結果何が起きても、責任を共有することはできません。大佐お一人で背負っていただくことになりますが、それでもよろしいのですか」
会議室の空気が凍った。
味方であるはずのロワイヤル派からの、事実上の見放し宣言であった。
フランドール大佐の目が、静かに燃えた。
「もう一度言ってみろ」
「申し上げた通りであります。大佐がどう判断されようと、その結果について我々は——」
「出ろ」
フランドール大佐の声は、低く、短かった。
「は?」
「この会議室から出ろと言っている。今すぐにだ」
「査閲官殿、私は——」
「教育者が、正しい評価をすることの責任を負えんと言ったな。ならばお前は教育者ではない。教育者でない者が、この会議に出る資格はない。出ろ」
術科教官の顔が蒼白になった。立ち上がり、敬礼をして会議室を出て行った。
扉が閉まった後、会議室には重い沈黙だけが残った。
フランドール大佐は、残された教官たちを見渡した。
「他に、出て行きたい者はいるか」
誰も動かなかった。
だが、ブレンナー少尉が静かに手を挙げた。
「査閲官殿。出て行けと仰るなら、私も出て参ります」
「理由を聞こう」
「先ほど退室された教官殿の意見は、正論です。責任を共有できないのは、信念がないからではありません。この会議の結論が、最初から決まっているように見えるからです」
会議室がざわめいた。
「査閲官殿は、最初からラッセルを1位にするおつもりだったのではありませんか。この議論は、形だけの手続きではないのですか」
フランドール大佐の目が鋭くなった。
「ブレンナー少尉。それは重大な発言だぞ」
「承知しております。ですが、私は首席修了者として、評定の公正さには人一倍関心がございます。公正であるならば、私の疑問にもお答えいただけるはずです」
フランドール大佐はしばらくブレンナーを見据えた後、静かに答えた。
「結論は決まっていない。だからこそ精査する。お前の疑問は記録に残す。だが、今ここで出て行くのであれば、精査の結果に異を唱える資格を失う。それでも出るか」
ブレンナーは一瞬黙った後、手を下ろした。
「……残ります」
「賢明だ」
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