第61話「逃げ道を残しませんでしたよ」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
休憩が終わり、教官たちが席に戻ると、フランドール大佐は議論の後半を開始した。
「では、カンニング疑惑の扱いについて議論する。改めて確認するが、現状の論点は一つだ。前回の学科試験で、ラッセルの解答をカンニングと認定するか否か。各自の見解を聞きたい」
学科主任教官が最初に発言した。
「学科を預かる立場として申し上げます。カンニングの認定は、証拠に基づいて行われるべきです。現時点で、ラッセルがカンニングを行ったという物的証拠はございません。解答の内容が教本の範囲を超えていることは事実ですが、それは不正の証拠ではなく、能力の証拠です。先ほどの補給線の設問を例に取れば、ラッセルの解答は教本の模範解答を包含した上で、より深い次元の回答をしています。これはカンニングでは書けません」
「だが、その能力の出所が不明だ」
副査閲官が反論した。
「平民の新兵が、教官すら知らない理論をどこで学んだのか。帝国軍の輜重運用教範の数値まで正確に記述している。それが説明できない限り、カンニングの疑いは完全には晴れない」
「出所が不明であることは、不正の証拠にはなりません。我々が知らないことを知っている人間がいた。それだけのことです」
「それだけのこと、で済ませてよいのか?前例を作ることになるぞ。今後、教本の範囲を超えた解答を書く者が現れた時、全て正解として認めるのか」
「論理的に正確であれば、認めるべきです。教本が全ての知識を網羅しているなどと思い上がってはなりません。我々教官の知識が、天井ではないのです」
学科主任教官の強い言葉に、副査閲官は押し黙った。
だが、すぐにブレンナー少尉が手を挙げた。
「主任教官殿の仰ることは理解できます。しかし、筆記試験だけでは不十分ではないでしょうか。本人を呼んで口頭試問を行うべきです。知識が本物であるなら、質疑に対しても即座に答えられるはずです」
会議室がざわめいた。口頭試問。新兵教育過程では前例のない提案であった。
「口頭試問だと?新兵に対して行う手続きではないぞ」
術科教官の一人が異を唱えたが、ブレンナーは引かなかった。
「前例がないのは、このような事態が前例にないからです。教本の範囲外の知識を持つ新兵など、過去に存在しなかった。であれば、前例のない手続きを取ることも、やむを得ないのではないですか」
フランドール大佐は少し考えた後、口を開いた。
「ブレンナー少尉の提案には一理ある。だが、口頭試問は明日の筆記試験の結果を見てからだ。筆記で前回と同じ傾向が確認された場合、その上で口頭試問を行うかどうかを改めて判断する。明日の試験がカンニング疑惑の最終判定になる。この方針で異論はないか」
ブレンナー少尉が口を開きかけたが、フランドール大佐の視線を受けて、黙って頷いた。
異論は出なかった。
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「では、次の議題に移る」
フランドール大佐の声が、少し重くなった。
「カンニング認定の有無と、罰則記録の精査結果によって、ラッセルの最終順位がどう変わるか。まず数字を確認する」
学科主任教官が補足した。
「カンニングを認定せず、罰則の減点をそのまま維持した場合、ラッセルの総合順位は1位であります」
「カンニングを認定し、前回の学科試験を無効とした場合は」
「総合3位であります」
「ただし」
学科主任教官が付け加えた。
「仮にカンニングを認定した場合でも、ドワイト軍曹の罰則記録が不当と判定され、減点が取り消された場合は、総合1位に戻ります」
会議室が静まり返った。
カンニングを認定しなければ1位。カンニングを認定しても、罰則が覆れば結局1位。3位に留めるには、カンニングを認定し、かつ罰則を正当と認めるしかない。だが、先ほどの議論で、カンニングの証拠はなく、罰則の恣意性は他の班長からも指摘されている。
どちらの道を選んでも、結論は変わらない可能性があった。
「ラッセルだけではありません」
学科主任教官が続けた。
「体術の順位も確認しておく必要があります。体術1位はランズベルク2等兵。こちらも平民です。ラッセルが総合1位、ランズベルクが体術1位。首席も体術首席も、共に平民で、共に47班という結果になります」
会議室がどよめいた。
「2名とも47班だと……」
「一つの班から、総合と体術の首席が同時に出る。しかも平民だ」
「さらに申し上げます」
学科主任教官が書類をめくった。
「ラッセルが総合1位となった場合、フリオニール・フォン・グレッテは総合2位に後退します。模擬戦の記録も変更され、団体戦2勝、班対抗戦1敗。グレッテ家の嫡男が、平民に次ぐ2位となります」
会議室の空気がさらに重くなった。
ここで、年配の教官が静かに手を挙げた。模擬戦主任教官であった。
「一つ、申し上げてもよろしいでしょうか」
「申せ」
「政治の話が続いておりますが、我々は今、戦時下にあるということを忘れてはいないでしょうか」
会議室が静まった。
「イドリアナ連合王国とカルドナ王国が、ハイデンベルグ帝国に宣戦を布告しております。帝国は我がヴェルタの準同盟国です。いつ我々にも火の粉が降りかかってもおかしくない。そのような時に、有能な人材を身分の問題で潰している場合なのでしょうか」
副査閲官が口を開きかけたが、年配の教官は続けた。
「ラッセルが平民であることは事実です。だが、この男が戦場で指揮を執れば、兵の命が助かるかもしれない。逆に、この男を身分を理由に低い評価に留めれば、いずれ戦場で、我々はその判断を後悔することになるかもしれません」
会議室を重い沈黙が満たした。戦時下という現実が、政治の議論を一瞬で色褪せさせた。
フランドール大佐は小さく息を吐くと、誰にも聞こえないほどの声で呟いた。
「……大将。貴方が推薦した男は、我々に逃げ道を残しませんでしたよ」
その時であった。
壁際でずっと腕を組んでいたドワイトが、初めて自分から口を開いた。
「一つだけよろしいですか、査閲官殿」
フランドール大佐が目を向けた。会議室にいる全員が、ドワイトを見た。
ドワイトは底意地の悪い顔のまま、だがその声には、初めて真剣な色が滲んでいた。
「ラッセルは明日の試験でも同じことをしますよ。あいつは学科も模擬戦も、はては罰則まで楽しんでいる。そういう男です」
会議室が静まった。
ドワイトの言葉は、評価でも弁護でもなかった。ただ、毎日その男を見てきた班長の、偽らざる観察であった。
「楽しんでいる、だと」
フランドール大佐が呟いた。
「はい。苦しいとか辛いとか、そういう顔を一度も見たことがありません。罰則で反省室に送っても、次の日にはケロッとしている。模擬戦の作戦を練っている時など、目が輝いてやがります。あいつにとっちゃ、全部が盤上遊戯の一局なんでしょうよ」
ドワイトはそれだけ言うと、また壁に背をもたれた。
フランドール大佐はしばらくドワイトを見据えた。底意地の悪い班長の目の奥に、何かが見えた気がした。だが、それが何であるかは、まだ分からなかった。
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