第60話「何者なんだ、あの平民は」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
「ただの平民が、士官教育の範囲の戦術を操り、三度の模擬戦で指揮を執り、教官が知らない理論を書くのか」
「さあ。私は学問のことは分かりませんので」
ドワイトの態度は飄々としていた。フランドール大佐の目が細くなった。
「では聞き方を変えよう。お前はラッセルの班長として、この男の日常をどう見ている」
「日常ですか。まあ、生意気な男ではあります。口の利き方も知らん。何度反省室に送ったか分かりません」
「反省室の記録を見たが、ラッセルとランズベルクの2名は、他の班員と比較して突出して罰則回数が多い。これはどういうことだ」
ドワイトは鼻を鳴らした。
「規律を守らんからであります。平民の分際で、いちいち理屈をこねる。軍人として当然の矯正であります」
「矯正か。だが、この2ヶ月は罰則回数が激減している。なぜだ」
「……最終試験前でありますので。試験に支障が出ては本末転倒かと」
「お前がそんな配慮をする男だとは思えんがな」
フランドール大佐の言葉に、周囲から小さな笑いが漏れた。ドワイトは表情を変えなかった。
隣に立っていた別の班長が、ドワイトを横目で見ながら小声で呟いた。
「ドワイト軍曹の班だけ、明らかに罰則の基準がおかしいんだよ。他の班なら問題にもならんことで、あいつは毎日のように反省室に送っていた」
その声はフランドール大佐の耳にも届いていた。
「ドワイト軍曹。他の班長から、お前の罰則基準について疑問の声が上がっているようだが」
「他の班長殿が、私の指導方針に口を出される筋合いはないかと」
「指導方針か。ラッセルとランズベルクだけが突出して罰則を受けている以上、それは指導方針ではなく、個人への恣意的な制裁と見做される可能性がある。分かっているな」
ドワイトは黙った。だが、その目には、怯えも動揺もなかった。
「それから、もう一点確認する」
フランドール大佐は書類を一枚取り上げた。
「ラッセルの入隊前の経歴だが、推薦者の欄にフルブライト・フォン・グリルファウスト大将とトランガ中将の名がある。これは事実か」
会議室の空気が一変した。
グリルファウストとトランガ。どちらもヴェルタ軍の重鎮であった。
フルブライト・フォン・グリルファウスト大将は、現役の軍参謀本部の本部長であり、帝国からの移民であった。かつて帝国の北方戦線で三度の大会戦を指揮し、全勝した伝説的な将軍であり、ヴェルタに渡った後も軍の中枢で重きをなしていた。前線からは退いているが、参謀本部長としてその発言力は健在であった。
トランガ中将は、現役の軍参謀本部の副本部長であり、先の大戦での戦後処理の迅速さから、次期本部長の最有力候補とされていた。
参謀本部の本部長と副本部長。軍の最高意思決定機関の頂点に立つ2名が、揃って一人の平民の新兵を推薦するなど、尋常なことではなかった。
「事実であります」
「大将と中将がなぜ平民の新兵を推薦したのか、理由は聞いているか」
「いいえ。私の権限で知り得る情報ではありません」
ドワイトの答えは簡潔であった。嘘ではなかった。だが、全てを話している訳でもなかった。
ここで、壁際に控えていた人事担当の教官が手を挙げた。
「査閲官殿。推薦者の件で、補足がございます」
「申せ」
「推薦者欄の記入ですが、ラッセルとランズベルク本人が行ったものではありません。入隊時の書類には、推薦者の記載はございませんでした。入隊後に、大将と中将から直接、人事課に推薦者欄への記入指示がございました。本人たちは、推薦されていることすら知らないものと思われます」
会議室が静まり返った。
「本人が知らない?参謀本部長と副本部長が、新兵に知らせずに推薦者欄に名を入れた、ということか」
「はい。極めて異例でありますが、参謀本部長直々のご指示でしたので、人事課としては従うほかございませんでした」
「もう一点ございます。推薦者欄に記入されたのは、大将と中将だけではありません。その後、故アルドリック将軍夫人、故ベルナード将軍夫人をはじめとする戦争婦人会、さらに退役軍人会からはラーム将軍の縁戚からも、推薦の追記がございました」
会議室がどよめいた。
「戦争婦人会と退役軍人会だと?一体どういうことだ」
「詳細な理由については、いずれの方からも説明はございませんでした。ただ、いずれも先の戦で戦死された将軍方に関わる方々であり、ラッセルとランズベルクの2名に対する推薦である、とだけ記載されております」
「ラッセルだけでなく、ランズベルクもか」
「はい。全ての推薦が、2名を対にして記入されております」
教官たちの間でざわめきが一層大きくなった。
「参謀本部長と副本部長に加えて、戦争婦人会と退役軍人会だと……」
「一体何者なんだ、あの平民は」
「いや、平民が2人だ。2人とも同じ47班にいる。偶然のはずがない」
「単なる田舎の平民に、参謀本部のトップが揃って名を貸し、戦死した将軍の遺族が推薦する。何かあるとしか思えん」
ブレンナー少尉が、先ほどの叱責からようやく顔を上げた。その目には、屈辱と、新たな疑念が混ざっていた。
「……グリルファウスト大将は、帝国からの移民です。ラッセルの解答に帝国軍の教範の数値が含まれていた。これは偶然でしょうか」
会議室がざわついた。ブレンナーの指摘は、論破された直後にしては鋭かった。
フランドール大佐は一瞬ブレンナーを見据えた後、小さく頷いた。
「その点については、私も気付いている。だが、推測で結論を出すことは許されん。事実のみを積み上げる」
「ドワイト軍曹。ラッセルが教本以外の知識を得る手段を持っていたか。例えば、外部との接触、書物の持ち込み、そういった事実はあるか」
「私の知る限り、外部からの書物の持ち込みは確認しておりません。外出についても、一度だけ新貴族1班のアルドリックと新貴族3班のアルファイマーの誘いで、ヴェルテブールに出たのみであります」
「目的は」
「私用であります」
「それ以外に、外部との接触は」
「ございません」
ドワイトの投げやりな答えに、フランドール大佐は小さく息をついた。
フランドール大佐は囁きが収まるのを待ち、静かに口を開いた。
「本日の議題の前半は以上だ。ラッセルの評価に関して、異常な点が多数あることは全員が認識したと思う。ここで一度休憩を入れる。後半では、カンニング疑惑の扱いと、最終順位の決定方針について議論する」
フランドール大佐が立ち上がると、会議室の空気が少し緩んだ。
教官たちは席を立ち、小声で話し始めた。その話題は一つしかなかった。
マイトランド・ラッセルとは、何者なのか。
壁際のドワイトは、腕を組んだまま動かなかった。その顔には、何の表情も浮かんでいなかった。
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