第59話「ただの平民でありますよ」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
再びざわめきが広がった。フランドール大佐は表情を変えずに続けた。
「第二回は」
「第二回模擬戦。同じくフリオニール軍の勝利。中央の歩兵を意図的に後退させて敵を引き込み、両翼から半月状に包囲する陣形戦術が用いられました。さらに、敵遊兵騎兵が突撃してきた際には、歩兵の隊列を二分して通路を開け、後方で殲滅するという、二重の罠が仕掛けられておりました。加えて、左翼では泥濘地に騎兵を誘い込んで歩兵戦に持ち込み、右翼では数的優位を活かした騎兵突撃で敵を撃滅しています。この戦術の立案者も、複数の証言からラッセル2等兵とされています。フリオニール・フォン・グレッテは総大将として前線に立っておりましたが、作戦の骨格はラッセルが構築したものと見られます」
「中央後退からの半月包囲だと?それだけでも相当な統率力が要るが、隊列を割って敵を通し後方で仕留めるなど、一歩間違えば自軍が瓦解する。新兵にできる芸当ではないぞ」
術科教官の一人が声を上げた。
「しかも、あの戦場の泥濘地は自然にできたものではありません。報告を精査したところ、ラッセルは陽動部隊を使って河の上流に関を築き、下流への水量を減らしています。水位が下がった河の下流は川底が露出し、泥濘地と化しました。そして、ロンメル軍の騎兵が川の中央まで進出したところで、関の所有権を敵に渡したのです」
「所有権を渡した?どういうことだ」
「関を奪わせたのです。ロンメル軍の立場からすれば、関を壊せば上流から水が戻り、川の中央にいる自軍の騎兵が水没します。つまり、関を壊すことも、放棄することもできない。ロンメル軍は自らの手で、泥濘地を維持し続けるしかなくなったのです」
「敵に自分の罠を管理させた、ということか」
「はい。地形を読んだのではなく、地形そのものを作り変え、その維持を敵に強制した。新兵の発想ではありません」
会議室がしばらく沈黙に包まれた。
ブレンナー少尉が腕を組んだまま、低い声で呟いた。
「……教本にない、か」
その声には、先ほどの冷たい確信はなかった。代わりにあったのは、認めたくない現実に直面した者の、押し殺した苛立ちであった。
別の教官が、隣の者に小声で話しかけた。
「これだけの戦術を組み立てた人間が、学科で教本以上の解答を書いた。むしろ、教本通りの解答しか書かなかったら、そちらの方がおかしくないか」
「だが、問題はどこで学んだかだ。戦術も学科も、全てが教本の範囲外だ。誰かが教えたとしか思えん」
「誰が教えた?教育隊の中にそれだけの知識を持つ者がいるか?」
「少なくとも、我々の中にはいない」
教官たちの囁きが、会議室のあちこちで交わされていた。
フランドール大佐は手で制した。
「第三回」
「第三回模擬戦。攻城戦。フリオニール軍の勝利。この戦いでは、戦闘開始前の段階で、敵軍内部に3名の離反者を確保する調略戦が展開されました。門上の確保、砦内の橋の破壊、敵総大将の討ち取り、全てが事前の計画通りに実行されています」
「調略戦だと。新兵の模擬戦で、調略を仕掛けた者がいるのか」
「はい。調略の中心人物も、ラッセル2等兵です」
ブレンナー少尉が再び口を開いた。
「査閲官殿。調略は卑怯ではないのですか。模擬戦は戦闘能力を評価する場であって、裏工作の巧拙を評価する場ではないはずです」
模擬戦主任教官が即座に答えた。
「模擬戦の規定には、調略を禁止する条項はございません。実戦において調略は正当な戦略手段であり、それを模擬戦で用いたことは、むしろ実戦的な判断力の証左であります」
「しかし——」
「ブレンナー少尉」
フランドール大佐が制した。
「調略は軍の正式な手段だ。禁止されていないことを行ったことは、評価の対象にこそなれ、減点の理由にはならん。続けてくれ」
「第三回に関して一つ補足させてください」
模擬戦主任教官が書類をめくった。
「この攻城戦では、フリオニール軍の兵力は12個班。対するグレンダ軍は48個班です。兵力比は実に1対4。通常であれば、攻撃側に勝ち目はありません。にもかかわらず、ラッセルは戦闘開始前の調略で敵軍の内部に10個班の離反者を確保し、実質的な兵力差を大幅に縮めた上で、砦の防衛機構そのものを無力化しています」
「1対4の兵力差を、戦闘が始まる前にひっくり返したということか」
「はい。これはもはや戦術ではなく、戦略の領域です」
副査閲官が眉を寄せた。
「戦略の領域と言うが、それは新兵教育の評価としては過大ではないか。我々が評価すべきは、あくまで新兵としての基礎能力だ」
「では、基礎能力とは何でしょうか」
学科主任教官が問い返した。
「戦場で勝つ能力です。ラッセルは三度の模擬戦で、三度とも勝っています。それが基礎能力でないと言うなら、一体何を評価すべきなのですか」
副査閲官は押し黙った。
だが、ブレンナー少尉が椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「基礎能力だの、戦場で勝つ能力だの、綺麗事を並べるのはやめていただきたい!」
会議室が凍った。ブレンナーの顔は紅潮し、もはや冷静さの仮面は剥がれ落ちていた。
「平民は貴族に従っていればよいのです!考える必要などない!命令に従い、剣を振り、盾を構える。それが平民の役割です。戦術を考え、戦略を練り、軍を動かすのは、我々貴族の務めです。それが、この国の秩序ではありませんか!」
会議室が沈黙した。誰も口を開かなかった。
ブレンナーは息を荒くしながら続けた。
「平民が指揮を執り、平民が首席を取る。そんなことを認めれば、貴族が何の為に存在するのか分からなくなります。教育の意味が、血統の意味が、全て崩れる。そうなったら、この軍はどうなるのですか!」
フランドール大佐は、黙ってブレンナーを見ていた。
その目には、怒りはなかった。あったのは、深い失望であった。
「ブレンナー少尉。お前は今、本音を言ったな」
「……は」
「最初から、カンニングの有無など、お前にはどうでもよかったのだ。平民が貴族の上に立つことが許せない。それだけのことだろう」
ブレンナーは口を開きかけたが、言葉が出なかった。
「お前の言う秩序とは、貴族が上にいることが前提の秩序だ。それは秩序ではない。ただの序列だ。序列を守ることと、正しい評価をすることは、別の問題だ」
フランドール大佐は静かに、だが会議室の隅まで届く声で続けた。
「そして、もう一つ言っておく。『考える必要などない』と言ったな。では聞くが、考えない兵を、戦場で誰が守るのだ。考えない兵を率いて、お前は勝てるのか」
ブレンナーは答えられなかった。
フランドール大佐はそれ以上、ブレンナーの相手をしなかった。
「着席しろ、ブレンナー少尉。お前の発言は、全て記録に残す」
ブレンナーは蒼白な顔で座った。拳は膝の上で震えていた。
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会議室が静まり返った。
フランドール大佐は腕を組み、しばらく黙った後、口を開いた。
「三回の模擬戦全てで、実質的な指揮を執っていたのが同一の平民兵。学科試験では教官すら知らない理論を記述している。先ほどから諸君の間で囁かれている疑問は、一つに集約される。この男は、一体誰に教わったのか」
教官たちが顔を見合わせた。
「帝国軍の教範の数値を知っている。教本にない戦術を操る。地形を作り変える発想を持っている。これらを独学で身につけたとは考え難い。誰かが教えた。だが、教育隊の中にそれだけの知識を持つ者はいない」
フランドール大佐は壁際に目を向けた。
「……47班の班長はどこだ」
ドワイトが壁際から一歩前に出た。
「ここにおります」
「ドワイト軍曹。お前の班のラッセルについて聞く。この男は何者だ」
ドワイトは一拍置いて、底意地の悪い顔のまま答えた。
「何者と言われましても。ただの平民でありますよ、査閲官殿」
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