第52話「初めから味方ではありませんよ」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
「門の外に出てきた2人は、死なないとはいえ、一生もののトラウマになるな。悪いとは思うが、これも戦争だ」
マイトランドが呟くと、フランの火魔法は荷馬車に着弾し、酒樽一杯の火薬に引火した。
ドガアアアアアアン!
という轟音が、砦全体を揺らした。
閉まっていた落とし格子はフレームが大きく歪み、門はもう二度と開くことはなかった。
格子の裏手で待機していた兵たちは、何が起きたのか理解する間もなかった。爆風が門の隙間から吹き込み、先頭にいた者は吹き飛ばされ、後列にいた者も飛散した鉄くずに打たれて倒れた。門の周辺は一瞬にして土煙と黒煙に包まれ、何も見えなくなった。
悲鳴が上がった。助けを求める声、何が起きたのかを叫ぶ声、ただ痛みに呻く声が、煙の中で重なり合った。
もちろん、兵の先頭に立っていたエルンスト隊も、無事では済まなかった。エルンスト自身は爆風で数歩よろめいたものの、格子から少し離れた位置にいた為、辛うじて立っていた。
だが、耳が遠くなっていた。周囲の音がくぐもり、自分の呼吸だけが頭の中に響いた。
「何が……何が起きた!報告しろ!」
エルンストは煙の中で叫んだが、まともに答えられる者はいなかった。兵たちは地面に伏せ、あるいは壁にもたれかかり、ただ咳き込んでいた。
煙が薄れ始め、ようやく門の惨状が見えてきた時であった。
「おら、弓を放て!油を流せ!」
門の上から、ライアネンの声が響いた。
ライアネンは、爆発の衝撃で門下が混乱に陥った瞬間を見逃さなかった。自分の隊に命令すると、煮えたぎった油が門の上から滝のように流れ落ちた。
まだ立ち上がろうとしていた兵たちの頭上に、熱い油が降り注いだ。絶叫が上がった。続けて火矢が次々と放たれ、地面に広がった油に引火すると、門の裏手はたちまち火の海と化した。
「おい、待て貴様!こちらは味方だ!敵は侵入していない!今すぐ攻撃をやめろ!」
エルンストは飛散した油を足元に受けながら、攻撃をやめさせようと両手を上げ命令を出した。爆発で敵が門を破って侵入し、混戦状態にあるところにライアネン隊が上から攻撃してきたのだと、そう判断したのであった。味方を巻き込んでいることに気付いていないだけだと。
「やめろ!下にいるのは味方だ!味方を焼いているんだ!」
エルンストは何度も叫んだ。だが、油と火矢は止まらなかった。
「はぁん?何言ってるか分らねぇな」
煙の向こう、門の上から聞こえたライアネンの声に、エルンストは凍りついた。
聞こえていないのではなかった。分かっていないのでもなかった。
冷静に考えれば、全てが繋がっていた。監視台のクリードは、最初から嘘を報告していた。階段を塞いで登らせなかったのも、降りてこなかったのも、ポエルを撃たなかったのも、全て同じ理由であった。
最初から裏切っていたのだ。
エルンストの背筋を、戦場の熱気とは別の冷たいものが走った。
ゲシュハルトが駆け寄ってきた。顔に煤がつき、左腕から血を流していた。
「ベルナー卿!門上は完全に敵です!このままでは全滅します!」
「分かっている!……撤退だ、撤退!砦内に撤退せよ!橋を渡れ!砦内に入れ!急げ!」
だが、統率された撤退にはならなかった。兵たちは我先にと橋へ殺到した。油にまみれた者、火矢で火傷を負った者、爆風で足を引きずる者が、狭い通路に押し合いへし合いしながら走った。
後方ではまだライアネン隊の火矢が降り注いでいた。逃げ遅れた者の悲鳴が背中に刺さる。だが、振り返る余裕はなかった。
エルンストは先頭の兵を押しのけ、橋が見える位置まで走った。
あと少しであった。
橋の向こう側に、ヨーゼフが立っているのが見えた。腕を組み、砲撃の準備を終えた兵を従え、こちらを見ていた。
ヨーゼフは、第二回模擬戦で戦闘を放棄して降伏した男であった。戦う意味がないと言い放ち、誰からも臆病者と嘲られた男であった。
その男が、なぜあんな顔で、こちらを見ているのだ。
「全員、止まれ!橋から離れ——」
エルンストの声は、轟音にかき消された。
ヨーゼフの魔導砲撃が橋の支柱を直撃し、石と木材が砕け散った。橋は中央から折れ、ゆっくりと傾き、そして崩れ落ちた。
橋の上にいた十数名の兵が、悲鳴とともに水の中に落ちていった。
エルンストは橋の手前で踏み止まったが、足元の地面が崩れ、そのまま水の中に滑り落ちた。冷たい水が腰まで浸かり、油まみれの体に染み込んだ。
水の中で立ち上がり、顔を上げた。
橋のあった場所には、もう何もなかった。砕けた石材と木片が水面に浮かんでいるだけであった。
背後からはライアネン隊の攻撃が続き、前方は橋を失った水路に阻まれていた。退路はなかった。
ゲシュハルトが水の中を駆け寄ってきた。
「ベルナー卿、東の通路から回り込めるかもしれません!」
「……無駄だ」
エルンストは、橋の向こうに立つヨーゼフを見上げた。
「おい、なんだ、貴様!味方を見捨てるのか!まさか……おま……」
その声は、もう怒りではなかった。信じたくない現実を、言葉にすることで否定しようとする、最後の抵抗であった。
ヨーゼフは表情一つ変えなかった。
「何をおかしなことを言っているのです?初めから味方ではありませんよ。さようなら」
ヨーゼフはそう言い残すと、エルンストに背を向けて歩き出した。振り返りもしなかった。
エルンストは膝を落とした。冷たい水が腰から胸まで這い上がってきた。
周囲では、水に落ちた兵たちが岸に這い上がろうとしていた。だが、這い上がったところで、もう行く場所はなかった。門はライアネンに押さえられ、橋は落ち、門は歪んで開かない。
ゲシュハルトが何かを叫んでいた。だが、エルンストの耳にはもう何も入らなかった。
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