第39話「名前のない功績」
剣より頭、魔法より読み。
平民の少年が戦場の頂を目指す、泥臭い成り上がり戦記です。
ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
グレンダ軍の歩兵が瓦解していく中、マイトランドはジェラルトとポエルを伴い、戦場を駆けた。
「ジェル、ポエル、敵の大将を捕まえるぞ。」
「大将って、あのグレンダか?」
「ああ。後方にいるはずだ。」
水色の鳥で確認すると、グレンダは副官と数名の護衛に囲まれ、戦場の西側へ後退しようとしていた。だが周囲はすでに瓦解した自軍の兵で溢れており、進路が塞がれていた。
3人が馬を駆って近づくと、護衛の騎兵が立ちふさがったが、ジェラルトが風魔法を纏わせた剣で先頭の1騎を叩き落とし、ポエルが弓で2騎目の馬を射止めた。残りの護衛は戦意を失い、武器を下ろした。
副官がグレンダの前に出て盾を構えたが、グレンダがそれを制した。
「もういいわ。」
グレンダは戦車の上に立ったまま、崩壊した自軍を見渡した。
「……これ以上やっても、お風呂が遠くなるだけよ。」
グレンダの声は震えていなかった。思い込みの激しい性格は、敗北を認める時にも発揮されるようであった。潔いとも言えるし、現実が見えていないとも言えた。
「グレンダ・フォン・ロンメル。フリオニール・フォン・グレッテの名において、貴殿の身柄を確保する。フリオニールの元まで同行願いたい。」
マイトランドがそう告げると、グレンダはマイトランドをじっと見た。
「あなた、前の模擬戦にもいたわよね。平民の……」
「マイトランド・ラッセルだ。」
「そう。覚えておくわ。」
グレンダは戦車を降りると、マイトランドの先導でフリオニールの元へ向かった。
グレンダがフリオニールの前に連れてこられると、フリオニールは馬を降りてグレンダに歩み寄った。
「グレンダ殿、よく戦われた。敬意を表する。」
「負けたのに敬意なんて、嫌味に聞こえるわよ。」
「嫌味ではない。本心だ。」
フリオニールの穏やかな声に、グレンダは一瞬だけ目を伏せた。だがすぐに顔を上げると、
「次は負けないわ。覚えておきなさい。」
そう言い放って、副官と共に去っていった。
事ここに至って全ての戦闘は終結した。
戦闘開始時は、数的有利なグレンダ軍の勝利かと思われていたが、終わってみれば、フリオニール軍の損害、歩兵128名、騎兵19名。グレンダ軍の損害、歩兵全滅、騎兵95名という圧倒的な勝利であった。
査閲官と随伴の班長らが損害状況の確認を終えると、
ドーン、ドーン、ドーン
という鐘の音が響き渡り、模擬戦の終了を告げた。
各軍は戦闘開始前の広場に集結すると、評定が始まった。
査閲官フランドールが登壇すると、魔力拡声器を持った軍人が戦功表彰を読み上げた。
「第1功、フリオニール・フォン・グレッテ。大将として全軍を率いた功績。」
フリオニールの名が呼ばれた瞬間、フリオニールの表情が強張った。壇上に向かう足が、一瞬だけ止まった。
私の兵だ、とあの時言った。身分に関係なく、名を上げた者の名を覚えると約束した。だが今、この場で名を呼ばれるのは自分だけだった。作戦を立てたのは自分ではない。あの地獄のような中央で耐え続けたのも、泥濘地で死を覚悟したのも、自分ではなかった。
「第2功、ロンベルト・フォン・ライト。敵左翼騎兵を壊滅させた功績。」
ロンベルトは名を呼ばれると、壇上に向かいながら一度だけ振り返った。その視線の先には、隊列の後方でじっと立っているマイトランドがいた。ロンベルトは何も言わなかった。だがその目には、戦場で初めて見せた種類の苛立ちが宿っていた。
「第3功、フレデリカ・アルドリック。敵左翼騎兵の殲滅、及び敵歩兵の壊滅。」
フレデリカは名を呼ばれると、隣のクレアに小声で言った。
「おかしくない?これ。」
「何がですか。」
「だって、左翼の救援を指揮したのはクリストよ。それに、そもそも右翼の作戦を考えたのは……」
「フレデリカ様。」
クレアが静かに遮った。
「行ってください。壇上で待っています。」
フレデリカは口を噤むと、複雑な表情のまま壇上に向かった。
戦功発表は第3功までであった。
またしてもマイトランド達平民の名前はなかった。ライアネン隊の奮戦も、アダムスの旗信号による指揮も、ジェラルトとポエルの陽動も、アーシュライトの死守も、全ては評価の対象外とされた。
広場の後方に整列したライアネン隊の間に、沈黙が落ちた。
怒りの表情を浮かべる者もいた。だがそれは少数であった。大半の者は、最初から期待などしていないという顔をしていた。平民が戦功で表彰されたことなど、この訓練所の歴史で一度もなかったからであった。
ライアネンだけは、違っていた。怒りでも諦めでもなく、ただ静かにマイトランドの背中を見ていた。あの男がどう受け止めるのか。それだけを見ていた。
敗軍側に並ぶグレンダは、壇上に立つ3名を見上げ、次に広場の後方に目を向けた。自分を捕まえに来た平民の姿を探した。
いた。隊列の中に、何事もないかのように立っている。
グレンダは眉をひそめた。自分の軍を壊滅させた男が、なぜあそこにいるのか。自分を捕らえに来た時、あの男は「フリオニール・フォン・グレッテの名において」と言った。フリオニールの名を使ったのは、平民である自分には権限がないからだと、今になって理解した。
あの作戦を考えたのは、あの平民だ。グレンダにはそれがわかっていた。フリオニールやロンベルト、アーシュライトにあれほどの策略ができるとは思えなかったからだ。
なのに、名前すら呼ばれない。
それが当然のこととしてまかり通っている。グレンダは思い込みの激しい女であったが、不公平を不公平と感じる目は持っていた。
フリオニールが壇上で表彰を受けている間、その目は何度もマイトランドの方を向いた。
壇を降りたフリオニールは、真っ直ぐマイトランドの元に歩み寄った。申し訳なさそうにマイトランドに顔を向けると、
「勝ったのに、なんて顔してるんだ?そんな顔されたら、命懸けで戦った皆に示しがつかないだろう。それより金一封、楽しみにしてる奴らがいるんだ。大将がそんな顔してたら配れないぞ。」
マイトランドは笑ってそう言った。まるで、表彰されないことなど最初から気にしていないかのように。
だがその笑顔の奥に何があるのか、フリオニールには痛いほどわかっていた。
貴族に生まれなかっただけで、なぜ名を呼ばれない。貴族に生まれなかっただけで、なぜ功績が消える。それを口にしないのは、諦めているからではない。この男は、もっと先を見ている。今ここで怒っても何も変わらないことを、わかっているのだ。
「……すまない。」
フリオニールは小さく呟いた。
「謝るなよ。お前が悪いんじゃないだろう。」
マイトランドの声は穏やかだった。
「いや、私が変えなければならないことだ。これは。」
フリオニールは複雑な表情のまま、大きく頷くと、壇前に向かった。
模擬戦の全工程を終了したマイトランド班は隊舎に戻ると、ライアネンが嬉しそうに尋ねてきた。
「いよぉ、マイトランド。貴族様から約束の金一封を貰ったんでな。一緒に飯でもどうだ?」
「そりゃいいな。皆も誘っていいか?」
「もちろんだ。お前達のおかげだからな。」
「そりゃあ違う。ライアネン隊のおかげだ。お前の部隊がいなければこの勝利はなかったぞ。」
「そうか。そう言ってくれると、皆も喜ぶだろう。次も同じ軍を希望するぞ。よろしく頼んだぞ!軍師殿!」
2人は笑いながら、ライアネン隊、マイトランド班の全員を伴い、食堂へ向かって行った。
金一封を平民班全員で分けたので、ライアネン達の懐事情では、育ち盛りの男達の食べる量に対しては当然のことながら足りなくなり、マイトランドも食事代を払う羽目になったのは言うまでもない。
この模擬戦で、平民は戦功こそ認められなかったものの、マイトランドはライアネンという頼もしい仲間を得た。
そしてもう一つ。グレンダ・フォン・ロンメルという名の少女が、マイトランド・ラッセルの名を記憶に刻んだ。それが後にどのような意味を持つかは、まだ誰も知らない。
面白いと思っていただけたら、ブックマークしていただけると大変励みになります。次回もよろしくお願いします!




